1記事150円で書くライターと、媒体価値の上がらないWebメディア
「フリーライターでは食えない」という話は、ネットでもリアルでも、よく聞きます。(最近話題になったところでいえば、Web記事原稿料「一文字0.1円」ってマジすか……など)nanapiやネタりかをはじめ、メンジョイ、ハウコレ、Peachy、WooRisなどなど、ハウツー系のWebメディアが乱立する中、各媒体はできるだけ低コストで多くの記事を集めないといけません。ハウツーものなら、経験のあるライターさんに頼むより、「ライター募集サイト!未経験でも大歓迎!長期・安定的に仕事依頼可!」などを利用したほうが早いのかもしれません。が、報酬の低さには驚きました。
ライターの時給150円
「業界最高峰の報酬体系」をうたう、ある募集サイトを見ると、「ビギナーライター」の場合、600文字以上で150円、1200文字以上で300円、1800文字以上で450円となっています。え…その原稿料、安すぎ…!? 1800文字となると、私の場合、長くて3時間以上かかることもあります。時給にして「150円」。情報収集の時間や取材なども考えると、完全に赤字です。
また、あるサイトには【在宅】経済ニュース・経済用語をわかりやすく解説出来るライター様を募集中! とありますが、こちらは100文字55円~(1文字0.55円)税込からのスタート。1800文字だと990円です。ニュースメディアでは1000文字くらいの記事が多いので、だいたい500円で次のような記事を書いてくれということですね。「シャドーバンキングって何?/公定歩合ってよく聞くけどどういう意味?/サブプライムローン問題って実際どういうものだったの?」……かなりハードルが高いように思うのですが。下調べの時間を考えると、こちらがお金を払って記事を載せてもらう感じですね。何のコネクションもないけれど、とにかくWebメディアに名前を売りたい人を狙って募集をかけているのかもしれません(それで名前が売れるのかは分かりませんが)。それにしても安すぎると思うのは私だけでしょうか。
募集サイトには、「メールでのやり取りが雑な方、急に連絡が取れなくなる方、他サイトの文章をコピー・引用する方、仕事という意識が一切感じられない方とはお仕事が出来ませんので、お仕事を中止させていただく事もございます」とあります。しかし、何時間もかけて記事を書いてもワンコイン以下では、要領よくコピペするライターさんが出てきても仕方ありませんし、そもそも「仕事という意識」をもつことすら難しいのでは。
「ライターになりたい」だけでは買い叩かれる
乱立するWebメディアを見ていると、彼らはとにかく「ライターになりたい人」を求めているんだなぁと感じます。あるニュースサイトに関わる知人いわく、ライターになりたい人=ライターの供給は増えていると。で、なるだけ安く、彼らの夢を買い叩くのがWebメディアの仕事……とまでは言いませんが、世知辛い世の中だなと。
雨宮まみさんは『女子をこじらせて』(ポット出版、2011年)の中で、「ライターになるのに資格はいりません。自分で『ライター』と刷った名詞を作るだけです。それで仕事をもらえば名実ともにライターになれる。まるでインチキのようですが、私はそうしてライターになりました」と書いておられます(p.144)。確かにそうです*1。
今や、1記事150円の記事を書くだけでも「ライター」です。仕事も、選ばなければ沢山ある。「パソコンひとつで誰でもライターに!」とのたまう、こんなウェブサイト(↓)を見ると、ライターデフレの時代を痛感します。
新興メディアの媒体価値が上がらない「負のループ」
新興Webメディアもまた、媒体の「広告収入」だけで社員を食べさせていくのは至難の業です。メディアの性質上、広告単価が安くて儲かりづらいからです。そんな新興メディアが、自社のみに書かせるライターを多数抱えるのは、不可能に近い。だから「初心者歓迎!」で、夢追い型、もしくは副業・兼業のWebライターを集めまくるわけです。ライターへの参入障壁が低くなり、ライターになりたい人が増えていると仮定すると、発注単価が安くても人は集まります。
媒体価値が低い(新興メディアだから)→1文字0.5円でライターに納品させる→ライターの質が低いから、記事の質も低い(とレッテルを貼られる)→媒体価値が上がらない→広告単価がアップせず、収益も上がらない→もっと安く記事を仕入れたい→1文字0.1円でライターに納品させる→記事の質が上がらない→媒体価値も上がらない……こういうループがあるわけですね。
これまで、いわゆる新興メディアを運営する方々と何度かお会いしましたが、広告収入をアップさせるために、媒体価値を上げようと苦労されている様子が伝わってきました。でも、記事やライターにお金はかけられない。難しいですね。
※企業の皆様におかれましては、気に入った新興メディアに「テレビCM1回分」くらいの広告費を投入してみるのもありではないでしょうか。面白い媒体に成長するかもしれませんよ……あ、でもそれだと、記事がスポンサー寄りになってしまうリスクもありますね。結局、無限ループかもしれません。
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。
※Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。
【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]
*1:雨宮さんがライターになられた頃は紙媒体が中心だったと思いますので、今よりも記事の単価は相当、高かったと想像しますが。
「他人をひがむ」芸風はとっても、ウケがいい
ジャーナリスト、千葉敦子さんによる日本文化論『ちょっとおかしいぞ、日本人』(1985)の中に、面白い指摘があります。「男も女も、すぐ僻む(ひがむ)」という章で、日本人は何かにつけ、他人をひがむというんですね。
僻み根性というのは、日本人の最も得意とする“根性”ではないでしょうか。日本はこれだけ一生懸命やっているのに、欧米はちっとも理解してくれないと僻む。(中略)私の方が彼女よりよく働いているのに、彼女ほど美人じゃないから認められないんだわと僻む。(『ちょっとおかしいぞ、日本人』1988年の文庫版 p.55)
え~そうかなぁ?僻む人はどこにでもいるし、日本も欧米でも同じでは…と思って続きを読むと、驚いたことに「ひがむ」に相当する英語って存在しないらしいのです。千葉さんが参照している「大和英辞典」(74年版)では、“become jaundiced [prejudiced] ; be biased; regard with suspicion; take a jaundiced view” と、あるようですが、これらは「偏見を持つ・疑いのまなこで見る」という感じで、正確に「僻む」を言い表してはいない。
私も「ジーニアス和英辞典」を引いてみましたが、形容詞の“jaundiced”は “not expecting sb/sth to be good or useful, especially because of experiences that you have had in the past:”。対象を悪い色眼鏡で見る、といったニュアンスでしょうか。「僻む」というには、しっくり来ません。英語には「僻む」という語彙・概念がないのか。千葉敦子さんいわく、英語圏のメディアと比べ、日本のマスメディアには「ヒガミ言説」が溢れているといいます。
日本人の間では僻みは氾濫しているようにみえます。とくにマスメディアは、出演者や執筆者が僻んでみせることによって、一般大衆と同じ位置にいることを誇示する傾向が強い。(前掲書 p.56)
有吉の毒舌キャラのキッカケは「ひがみ根性」
毒舌タレントの有吉弘行さんは以前、ある番組で、今の芸風について次のように話していました。「猿岩石が解散して無一文になったとき、ストレスから不眠症になり、1日20時間テレビを見ながら芸能人たちに毒づいていた。それが今の芸風の土台になったと。「毒舌キャラはひがみ根性がキッカケ!」らしいです。
有吉さんは一般人とはかけ離れた収入を得ていると思われますが、「ひがみ根性」を元にした毒舌で、親近感を演出しているのかもしれません。そういえば、80年代に売れっ子エッセイストになった林真理子も「(ブスの)ひがみ」を面白おかしく書いたからこそ、多くのファンがつきました。彼女は言います。
ヒガミ、ネタミ、ソネミ、この3つを彼女たち(※引用者注:当時の若い女のエッセイスト)は絶対に描こうとしないけれど、それがそんなにカッコ悪いもんかよ、エ!(『ルンルンを買っておうちに帰ろう』文庫版 p.4)
林真理子はすさまじき「ヒガミ根性」で、「男にモノを買ってもらう女は、やはり……うらやましい」とか「女だって、金、地位、名誉がほしいのだ」といった刺激的な文章を書き、同世代の女性から共感を集めました。「他人を僻む心」は胸の奥に閉まっておくべきだ、というタテマエがあるので、著名人が「あいつが妬ましい」だの何だの言ってくれると、スカっとするわけです。いわば「ヒガミのアウトソーシング」です。
常見陽平さんの「サラリーマンコンプレックス」
BLOGOSなどでよくお見かけする常見陽平さんも、「ヒガミ」が時たま滲み出るような文章が上手な方の1人かもしれません(良い意味です)。一流企業出身で、執筆やメディア露出など多方面で活躍されているのに、「サラリーマンコンプレックス ―会社を辞めても自由にはなれない」と言う常見氏。サラリーマン時代に偉くなれなかったこと、仕事ができなかったこと、同期のうち2人が会社を上場させたと知った時の、何とも言えない気持ちなど、読んでいて面白く、分かるなぁ…という感じ。自分の経歴に微妙に自信を持てない点や、活躍する同世代へのコンプレックスを適度に吐露する、ある種の「芸風」が確立されているような気がします(こちらが勝手に、自分の僻み根性を投影しているだけなのでしょうけれども)。
かくいう私も、BLOGOSで月間ランキング2位に入るほど読まれた記事は「一流企業の受付嬢」への酷いコメントに、ちょっと共感した 」です。美人受付嬢への「僻み根性」で書いたとしか思えない内容……。
会社員時代、いわゆる「一流企業」を訪問することも多かったのですが、確かに受付嬢には美人が多いような気がしました。彼女たちを見ていると、おんぼろスーツに疲れ顔の自分が寂しくなり「同じ女でこうも違うのか…」と何とも言えない気持ちになったのを覚えています。(「一流企業の受付嬢」への酷いコメントに、ちょっと共感した 」より引用)
受付嬢への「何とも言えない気持ち」とオブラートに包んでおりますが、要は「ヒガミ」です。みっともない。とはいえこのように、ネガティブな感情を包み隠さず書いた記事ほど、多くの人に関心を持って頂ける部分はあります。本音とタテマエの使い分けが当然とされている中で、あえて「ヒガミ」=本音らしい言葉を吐いてみせる。すると、それが多くの人からの共感と反発・批判という名の承認につながることがあって、嬉しくて、ますます「ヒガミ芸」(とでも名づけましょうか)がやめられなくなる。気づけば「ヒガミ芸」が十八番になりつつあるのです。
ヒガミの背景にある「自己正当化」
ヒガミ根性の背景には、「ひがむことを通して自分を正当化したい」という思いがあるようです。美人で女らしい受付嬢を僻んでみせ、そんな「私」の自意識を正当化する。認めてもらおうとする。実際、ヒガミ根性を正直に書けば書くほど強い承認を得られる面もあり、あ~何か良くないなぁこれ、やりすぎると深みにハマるぞ……と思います。ヒガミによる自己正当化は、ほどほどにしなくては、と感じつつ、「メタなヒガミなら普遍性があるし良いじゃないか!」と、これまた自己正当化に走る。そんな無限ループから抜け出せずにおります。
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。
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「女性の貧困」をエンターテイメントにするな
「NHKスペシャル 調査報告 女性たちの貧困~"新たな連鎖"の衝撃~」が話題になりましたね。今年1月に放送されたクローズアップ現代「あしたが見えない」にも、大きな反響があったようです。このように最近、若い女性が極貧状態で暮らしている、そういう女性たちが暮らすシェアハウスの環境が劣悪だ、シングルマザーが風俗でなんとか生計を立てている、といったセンセーショナルなルポがまた増えてきたように思います。これを、どう見るか。
女性の貧困が問題とされ始めたのは、2011年
「女性の貧困」が一種のブームになったのは、11年です。国立社会保障・人口問題研究所の阿部 彩氏によるレポートで、「一人暮らしの女性の3人に1人が貧困」という数字が出ました。シングルマザーの3人に2人、高齢女性の2人に1人が貧困層。夫の収入に頼れない女性や、夫に先立たれた女性が貧困に陥りやすいという、女性問題論や社会階層論を少しかじった人間であれば「当たり前の事実」が、ようやく社会的に認知されるようになりました。女性の貧困に関心をもつ人が増えるのは、たぶん悪いことではないのでしょう。
安倍政権の「女性活用」で、忘れ去られた「女性の貧困」
ところが12~13年にかけては、アベノミクスによる景気回復と「女性活用」の大合唱。「仕事でもっと女性は輝く!」ムードが高まり、女性の貧困への関心は少しずつ薄れていったように思います。マスメディアは、すでに結婚できたカップルの「両立支援」や、正社員を中心とした女性の「社会進出バンザイ」のお祭り状態。もちろん地道に貧困女性の支援を続ける団体はありましたが、テレビや新聞が、女性の貧困を真正面から取り上げる機会は減りました。ところが14年になり、またもや「女性の貧困ブーム」が再来している…ように見える(NHKが音頭を取り始めた段階なので、これからどうなるか分かりませんが)。そもそも貧困とは「常にそこにある、解決されるべき問題」なのに、時期によって議論がさかんになったり、無視されたり、というのはヘンな話です。
「貧乏な女性」は昔からたくさんいた
そもそも「貧しい女性たち(男性もですが)」は、昔から沢山いました。一生独身では貧しいままだから多くの女性は嫁に行ったし、DVなんて概念もありませんから、離婚もできずに耐えていた。ウーマンリブの旗手、田中美津さんの『いのちの女たちへ』(1972)には、貧しいために養子に出され、性暴力や過酷な労働環境が当たり前だった大正~昭和の女性たちが、生々しく描かれています。
高度成長を経て社会が豊かになっても、若い女性は貧困に陥りやすいものでした。作家の林真理子氏(60)は、20代前半の自分が「極貧状態だった」と書いています(『ルンルン症候群』角川文庫)。72年の石油ショックで、当時の女子学生は就職難に直面。彼女も、田舎の両親から仕送りを断ち切られ、日雇いバイトで糊口をしのいだといいます。食費は1日40円。ご飯が買えず、空腹を忘れるため1日中寝ていたこともあると……。
これは、極端な例ではないのだと思います。70年代のおわりも今も、貧しい一人暮らしの女性は沢山いたし、今もいる。ただし、昔は経済が(今よりは)成長していたし、結婚しようと思えばそれなりの相手が見つかったので、若い女性にとっての「貧困」は一時的な問題でした。
団塊世代の女性は95%以上が結婚しています。専業主婦にならずとも、女性の正社員比率は今より高かったし、男女ともに安定雇用のパイはどんどん増えていたのです。そんな中、「貧困」は遠い存在、ノスタルジックなものとされていきました。それこそ、林真理子が売れっ子になってから「若い頃はビンボーだったのよ」とネタにするほどの、思い出話にすぎない存在になっていったわけです。現実には、いつもそこに「貧困」はあったにもかかわらず。
専業主婦は、年収だけ見れば「貧困層」
最近、上野千鶴子氏が『女たちのサバイバル作戦』で指摘していましたが、専業主婦は、年収からすれば完全に「貧困層」です。パートなど、低賃金で不安定な労働を担っていきたのは、主に女性でした。ただしこうした女性たちも、夫の稼ぎ込みの「世帯年収」でみれば裕福だとされていた。“一億総中流”の幻想があったので、みんな「女性がそもそも貧困に陥りやすい存在であること」「周縁的な労働力として扱われてきたこと」を問題にしなかったのです。
フリーターからワーキングプア、そして「女性の貧困」へ
「貧困」は「格差」とは違って、社会に「あってはならない存在」です。経済格差なら「まぁ競争に負けたのだから仕方ない」という意見もありえますが、貧困はそうはいかない*1。社会が積極的に、その状態を定義して「発見」し、何らかの介入によってなくさなければならない存在です。
そういう意味では、「失われた20年」を経て、現代の貧困は次のような順番で発見されてきたといえるでしょう。まず、90年代には、それまで「好き勝手に遊んでいる」と思われていたフリーターやパラサイトシングルが、08年~09年の「派遣村」で「ワーキングプア」として社会問題化。やっと、フリーターなどの問題が貧困と結びつけて認識されるようになりました。今は、社会全体で低賃金のサービス労働化が進み、そうした働き口しか見つからない女性たちの貧困がようやく「発見」された段階です。
もちろん、劣悪な環境のサービス労働で働くのは女性だけではありません。若い男性を中心に、低賃金で使い捨てにされ、疲弊していく人は沢山いる。この問題をマスメディアが報道したからこそ、元々そういう環境で働いていた「女性の貧困」にもスポットライトが当たるようになったのです。
「女性の貧困」はエンターテイメントではない
だから、今になって「女性の貧困は由々しき事態である」と騒ぐ人をみると、違和感があるのです(自分の周りには年齢を問わず、割といます)。知らなかった社会的事実が目の前にあらわれ、びっくりしているのかもしれません。そういう人たちは、特にアクションを起こすこともなく、「大変だよね~」とか、「私は安定した夫を捕まえられてよかった」とか「ちゃんと貯金しなきゃ」とか、そのくらいは思うでしょう。そんなふうに、一種のエンターテイメントとして「女性の貧困」が消費されつつある空気すら感じます。
ホームレスの物語を消費した、90年代のマスメディア
テレビで見る「貧困状態にある若い女性の絵」には、大きなインパクトがあります。視聴率も期待できるでしょう。NHKは影響力も大きく、政策的な動きにもつながるかもしれません。ただ、テレビというのは「諸刃の剣」で、貧困問題がエンタメとして消費されて終わり……という危険もあることは、強調してもし足りないと思います。
90年代後半の「ホームレス問題」を思い出します。当時、多くのテレビ局は「エリートサラリーマンがリストラで、40代ホームレスに!」など、センセーショナルな内容で視聴率をとりました。が、現実のホームレスの大多数は、ブルーカラーの職を転々としてきた、学歴にめぐまれない独身の高齢男性たち。地道に支援をしている人たちの実感と、テレビにうつし出される「元エリートホームレスの転落物語」には、大きな乖離がありました。視聴者はそれらを、自分とは切り離したエンタメとして楽しんだのです。当時のテレビ局には、功罪あるでしょう。
あれから20年。また当時と似たようなドキュメンタリータッチの番組が、沢山作られていくかもしれません。「若い女性がDV離婚、風俗と子育てのリアル」とか、「女性の貧困とメンタルヘルス問題、自傷行為の生々しさ」とか。そんな番組を、ソファにゆったり腰掛けつつ視聴し、「貧困って大変だな~」「でも、自己責任なんじゃない?」「頑張れば何とかなるって!」と、消費する視聴者たち。もちろん、マスメディアの報道に刺激され、具体的な行動を起こす人が増える可能性もあるでしょう。が、「貧困」はエンターテイメントとして消費して終わっていい問題では、決してないのです。
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。
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*1:参照:『現代の貧困』岩田正美著.
オバマ大統領の「ほめて隠す」演説テクニック
アメリカの大統領としては18年ぶりに「国賓」として訪日した、オバマ大統領。彼が24日、宮中晩餐会でおこなった挨拶が「素晴らしい」と絶賛されているので、全文を見てみました。(あいさつ全文はこちら)
天皇、皇后両陛下、本日は私ども一行を格別に温かく歓迎していただき、ありがとうございます。
から始まるスピーチは、日米関係について色々と示唆に富んでいるように思います。先の震災から立ち直った国民性など、とにかく日本を絶賛。米国大統領の演説の特徴としては「国民をほめちぎり、一体感を演出する」というのがありますが、オバマ大統領は本当に「褒める」のが上手だなぁと思います。
天皇、皇后両陛下に対するあいさつなので当然かもしれませんが、日本の皇室への賛辞もスマートに盛り込まれています。
私は第44代アメリカ合衆国大統領ですが、陛下は日本の125代目の天皇陛下です。日本の皇室は2000年以上の長きにわたり、日本人の精神を体現してきました。今夜、その精神を、陛下の平和への思いの中に感じることができます。またこれまでの困難な日々や、3年前の東日本大震災の悲劇にもかかわらず、その強さと規律正しさと高潔さで世界の人々に影響を与え続けている日本国民の立ち直る力の中にも感じられます。
このあたり、日米の歴史が面白い形で対比されているように思います。オバマ大統領は、米国の大統領制と日本の天皇制を単純比較しているようにみえますが、もちろん、ことはそれほど単純ではないわけで……。
周知のように、日本国民を戦争へと駆り立てた「イデオロギーとしての天皇制」は、敗戦によっていったん「象徴天皇制」へと "格下げ" されている。そのとき日本人は、神としての天皇、信じる対象を失ったのです。失われた「天皇」の位置に取って代わったのが「アメリカ」でした。
アメリカが、神としての「天皇」に代わって君臨したからこそ、多くの日本人はイデオロギー的な危機に陥ることなく、スムーズに高度成長へと入っていけた。象徴天皇制の背景には、そういうアメリカの存在感と思惑があるわけですが、これを明言せず、日本の皇室の「伝統」を尊重しているようにみせる。オバマ大統領は上手いなぁ、巧みだなぁと思いました。
あいさつの後半には、オバマ大統領の演説でよく見られるという「言葉の繰り返し」が効果的に使われています(参照:オバマ大統領に学ぶ演説テクニック)。
日米両国民は、太平洋という広大な海を挟んでいますが、日々あらゆる分野で協力しています。私たちは共に創造し、つくり上げることにより、世界を変える新たなイノベーションを生み出します。共に学び研究して、病気を治療し命を救う新たな発見をします。平和を維持し、空腹の人々に食べ物を提供するため、共に世界の果てまで出かけます。宇宙の神秘を理解するため、共に宇宙にも行きます。日本人選手が大リーグのチームの勝利に貢献した時のような喜びの時にも、3年前のようなつらい時にも、私たちは共にいます。
なるほど、「共に◯◯する」を繰り返すことで、日米の一体感を醸し出すことに成功しています。共に学び研究し、イノベーションを生み出し、最終的には日本とアメリカで「共に世界の果てまで」出かけるというからすごい。さらに地球を飛び出し「共に宇宙にも」行ってしまう。スケールが違います。日米間にある太平洋という大きな海の隔たり(や、外交をめぐる摩擦)も、宇宙の巨大な存在感を前にしては、小さなものに感じられる。なんだか、いつの間にか納得させられています…。
オバマ氏が08年に米国の大統領となったとき、彼のスピーチ術は大変な話題になりました。08年11月4日の勝利演説は英語の教材として売りに出され、「ケネディを超えた」などと賞賛されたものです。そんな6年前を思い出す宮中晩餐会でのあいさつでした。次の韓国、マレーシア、フィリピンでの演説も、ちょっと楽しみです。
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【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。
※星海社新書「キャバ嬢の社会学」より引用
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40年前のあさま山荘事件にみる、テレビの「現実」
日経新聞が、72年の「あさま山荘事件」について大きく取り上げていました。
映像の力 報道変える「1億総観戦」あさま山荘の戦場 ~警察、世論意識しメディア対策~(有料会員限定の記事です)
「あさま山荘事件」を新聞社が振り返るとき、それはたいてい「国民がテレビ中継でリアルタイムに事件を"目撃"した、エポックメイキングな出来事」として描かれます。日経によると、10時間を超える中継の視聴率は最高で98.2%。テレビを見ていた国民のほとんどが、事件の様子をリアルタイムで共有していたことになります。
あさま山荘事件の中継は事件・事故報道に大きなインパクトを与えた。リアルタイムの映像の圧倒的迫真力は人々の感情を強烈に揺さぶった。
(※引用者注:事件を現場から実況した元日本テレビアナウンサーの)久能氏は「翌日、どの新聞も大報道だったが、臨場感を感じなかった。テレビ画面が訴える力を感じた。それまでテレビ報道は新聞の後追いが多かったが、テレビ時代が幕を開け、ニュースが変わっていくと思った」と話す。(日経電子版「1億総観戦 あさま山荘の戦場」より引用)
今から約40年前のあさま山荘事件は、新聞ではなく「テレビ」が報道の中心に踊りでる契機となりました。世論や事件そのものを、テレビが「つくりだしていく」時代になったといえるかもしれません。
あさま山荘事件の収束で、日本は「虚構の時代」へ
社会学や思想史の分野では、あさま山荘へとつながる一連の「連合赤軍事件」を、時代を象徴する出来事だと指摘する人が結構います*1。
大澤真幸氏は、戦後日本を「理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代」の3区分から分析。「理想の時代」から「虚構の時代」へと移り変わる転換点に「連合赤軍事件」があるといいます。
「理想の時代」とは、敗戦~高度成長期のこと。人々がアメリカ的な豊かさの実現を「理想」として共有できた時代です。ところが70年代に入ると、オイルショックで経済は停滞。「物質的な豊かさを追い求めること=理想」は、空疎なものになっていきます。
目的を担保する理想が失われ、「何が理想か分からない」時代へ。ここからが「虚構の時代」なのですが、理想から虚構へと時代の空気が変わるターニングポイントが、72年の連合赤軍事件というわけです。
連合赤軍の若者たちが、身内を「総括」した理由
大澤真幸氏は北田暁大氏との対談*2で、次のように発言しています。
「ぼくが連合赤軍の経験を重要視するのは、それが、理想の時代から虚構の時代への転換を画する蝶番(ちょうづがい)の位置にあるからです」
「どうして理想が空疎かというと、…理想の否定だけが理想だという段階に達してしまっているわけです。だから、(※引用者注:理想は)それ自体としてほとんど内容がない」
「だから、理想をまさに理想たらしめているのは、その客観的な内容ではなく、それに対する主体的なコミットメントの強度だけになってしまう。そういうなかで、『総括』ということが起きるのではないでしょうか」(『歴史の<はじまり>』2008年、左右社.p.28-9より抜粋、引用)
かつて皆が共有できた「理想」が、経済停滞によって、空疎で中身のないものになってしまった。連合赤軍事件を起こした若者たちは、最後の悪あがきといいますか、「総括」によって空疎な「理想」を達成しようとしたのです。が、いくら総括(理想を基準にした自己反省)をしても、「共産主義の地平」に達することができたかどうかなど、誰にも分かりません。案の定、中身のない「理想」を追い求めた総括は終わらず、12名の犠牲者を出しました。連赤の若者たちは「理想」を目指した結果、最終的には同志を殺し、自己否定に陥ったわけです。
「虚構の時代」とテレビの時代
70年代以降の若者は「シラケ世代」なんて呼ばれます。空疎な「理想」を追い求め、結局、自己否定に陥った連赤の若者たちを反面教師にするかのように、対象からあえて距離をとる「アイロニカルな態度*3」が時代の空気となりました。大澤真幸氏の言う「虚構の時代」の始まりです。
理想から虚構の時代へと移り変わるターニングポイント=「あさま山荘事件」が、「テレビの時代の始まり」と重なるのは象徴的だなぁと思います。
日経の回顧記事を読むと、
国民は画面に映る「戦闘場面」を食い入るように見続けた。(中略)「すじ書きのないドラマ、いや、ドラマにはない真実のもつ迫力が、人々をテレビの画面にひきつけたと考えられる。人質の命は、犯人の末路は……、人々は現実の事態の展開に、真のスリルとサスペンスを感じていた」(『テレビ視聴の30年』) (日経電子版「1億総観戦 あさま山荘の戦場」より引用)
とあります。“画面に映る「戦闘場面」”とカッコでくくられているように、テレビが人々の「現実」を作り出す時代になったとも読めるでしょう。テレビの普及率は、事件のあった72年あたりから、8割を超えています。新聞よりも「テレビ」がリアルな報道の中心となっていく時代を、あさま山荘事件は象徴しているのです。(↓赤い線が、カラーテレビの普及率です)
(「統計から見る日本の工業」工業製品のいま、昔| 経済産業省より引用、◯と矢印、「1972年」を追加)
連合赤軍の若者たちは、人々にとって「理想」がもはや、空疎なものであることを体現してしまった。その「理想の時代」の終わりを、「理想」=物質的な豊かさの象徴であった「テレビ」が生中継していたというのは、因果なものだと思います。以上、あさま山荘事件についての雑感でした。
<追記>
「テレビ」が、自分たちの作り出す「現実」に気づき、「テレビ的演出」を意識的にパロディ化していくのはもう少し先のこと。(北田暁大氏が『嗤う日本のナショナリズム』で指摘しているように)80年代に入ってからです。85年の『元気が出るテレビ』以降、テレビは意識的に「テレビ的演出」を取り込み、パロディ化していくわけですが、自分はそのようなメディア空間しか知りません。連合赤軍事件が終わらせた「理想の時代」における「テレビ」の現実とは、どんなだったのかなぁ、などと思いを馳せております。
※記事中で触れた、連合赤軍における「総括」の内実は、若松孝二監督による下記の映画を見て何となく理解できたように思います。
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。
※星海社新書「キャバ嬢の社会学」より引用
『小悪魔ageha』のDNAはギャルの垣根をこえて、新雑誌『LARME』に受け継がれていた
『小悪魔ageha』の版元、インフォレスト社が倒産しました。キャバ嬢ファッションのみならず、ロリータやガーリー系、パンクファッションまでを包括し、広くギャルカルチャーを牽引してきた『ageha』。しばらくは休刊になるかもしれません。
しかし!『ageha』の中條元編集長が築いたギャルカルチャーの礎は、しっかりと次の世代に受け継がれていたのです。徳間書店から出ている『LARME』。同誌の編集長は、全盛期のageha編集部にいたことで知られています。
ギャルでもないモテでもない『LARME』
同誌は全体的にパステルカラーで、ギャルでもないモテでもない、甘くて「ふわっ」とした感じの、写真集のような構成。モデルには乃木坂46白石麻衣、元『popteen』の菅野結以、そして元『小悪魔ageha』の黒瀧まりあなどを起用しています。モデルの布陣から見ても、同誌はギャルやモテといった固定の価値観をもっていないことが分かります。
「新しい雑誌が出てきたなぁ」と思っておりましたが、実はこの雑誌の編集長、中郡暖菜(なかごおり・はるな)さんは長らく『小悪魔ageha』で、創刊時の中條編集長のもと、編集にたずさわっていたのでした。
中郡編集長:「インフォレストという出版社におりまして、そこで5年間編集部員として女性誌に関わってきました。その頃の編集長(※引用者注:これは創刊した中條寿子元編集長ですね)には、好きなことをなんでもやらせてもらっていて、今の「LARME」に通じるような、絵本っぽいストーリー性のある企画を楽しんで作っていました」
「それが実際読者の方々から評判がよくて、モデルの女の子たちからも喜んでもらえたんですね。昔から編集者になるのが夢だったこともあり、1冊の本を作りたいなと。私の得意分野が「甘くてかわいい」というものだったので、それで勝負をしたという感じです。
そういえば、時々ありました。昔のagehaにはこういう物語性のある企画……*1。試みに09~10年頃の『小悪魔ageha』を見ると、最後のページにある編集者一覧に、“Haruna_Nakagori”のクレジットが。ほんとうに、全盛期のagehaにいらしたんですね。
『LARME』編集長の経歴
中郡(なかごおり)編集長は、86年2月10日生まれの27歳。以下、略歴の「→」は北条の勝手なコメントです。
■2006年12月、インフォレスト株式会社の旗艦女性誌にて編集アルバイトを始める(20歳)
→小悪魔agehaのことですね。06年といえば、agehaの創世記。
■2008年3月、大学卒業と同時に同誌の編集部員として就職
→agehaが30万部の大ブームになりつつあった頃です。
■2011年夏、「LARME」の構想を始め社内でプレゼン等を進める
→この1年前にはagehaの版元がカラーズインターナショナルに買収され、「儲かる雑誌を作れ」ムードが高まっていたと思われます。創刊時からの中條元編集長も、退職を考え始めていたと推察される。売れるかわからぬ新雑誌が、受け入れられる雰囲気だったのでしょうか…?
■2011年12月、インフォレスト株式会社での「LARME」の刊行が困難となり、退社
→やはりというべきか、中條編集長が「編集のアイデンティティを奪われた」と退社したのとほぼ、同じタイミングで彼女も退社しています。
■2012年4月、「LARME」刊行に関心を示した徳間書店にてフリーランスとして活動開始、同年9月、「LARME」001発刊(26歳)
(ファッション誌「LARME」即日完売・重版で定期化決定 美人編集長が躍進の理由を語る<インタビュー>より引用)
小悪魔ageha編集部にいた若き女性が、こうして新たなギャルカルチャー(とあえて呼びます)を発信し、女の子たちに受け入れられている。彼女が新雑誌『LARME』の構想をインフォレスト社内でプレゼンしていた11年は、会社が買収されて上層部が変わり、役員らが「おまけの付録をつけてタイアップを増やせ」との大合唱だったと想像します。そんな11年頃のagehaに見切りをつけ、中條元編集長と同じタイミングで退社した、彼女。
その後、彼女が構想した『LARME』は、徳間書店で花開いたというわけです。同誌には、中條元編集長も嫌っていた「おまけ」はいっさい付いていません。それでも即日完売、重版を重ねてきたのですから、コンテンツの力で勝負できているということでしょう。
編集長の「自分」が全面に出た雑誌が受ける
agehaの中條元編集長は、「読みたい雑誌がないなら、自分が作ろう!」と『小悪魔ageha』を創刊しました。彼女のもとで働いていた『LARME』編集長の中郡さんもまた、「自分の中で今一番かわいいと思うものをテーマに」雑誌を作っていると言います。編集長の「私が好きなもの」が誌面からにじみ出てくるような、ある種、強烈な思いが反映された雑誌の方が、若い読者にとって魅了的に映るのでしょう。
一方、「黒髪女子がモテる」とか「春のキャンパスメイクバイブル」などという、十年一日の特集を繰り返すばかりの『Canca◯』や『R◯y』など「赤文字系雑誌」は、部数減を強いられている*2。なんだか象徴的ではありませんか……『ageha』の中條元編集長のDNAを受け継ぐ(と勝手に私が思っている)『LARME』、これからも注目しております。
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。
※Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。
『小悪魔ageha』の版元が倒産へ、全盛期から何が変わったのか
『小悪魔ageha』のインフォレストパブリッシングの親会社、インフォレスト社が、事実上の倒産となりましたね。数社が報じていますが、ソースはほぼこちら。
雑誌「小悪魔ageha」など出版 インフォレスト株式会社 4月15日付で事業停止 負債30億円(大型倒産速報 | 帝国データバンク)
中小の出版社では、親会社がコロコロ変わったり、出版部門が売却されたり、といったことは珍しくありません。それでも業績が改善せず、倒産、コンテンツだけ売却、……インフォレスト社の件も、巨視的な観点からみればまあ、中小出版社の「いち末路」なのでしょう。それにしても、さびしい。GIGAZINEでは当ブログの記事を引用し、『小悪魔ageha』の衰退について報じております*1。
■中條編集長が去った『小悪魔ageha』に付録がついてもはや宝島社ですかと
「agehaショップ」が昨年末で閉鎖されていた
実は昨年末、agehaの通販部門である「小悪魔agehaショップ」が、ひっそりと閉鎖されておりました。(小悪魔agehaSHOP リニューアルに伴い一旦終了のお知らせ)
この度、agehaショップはリニューアルすと事となり12月25日(水)22:00をもちまして一旦、サービスを終了する事となりました。多くのお客様にご利用いただきましたこと、心より感謝申し上げます。2014年夏にリニューアルを予定しております!リニューアルオープンの際は、メルマガ&本誌面にてお知らせいたします♥(原文ママ)
とのことですが、13年末に閉鎖してから、リニューアルまで半年以上!?通販部門はそれなりの "ドル箱" なんだから、普通はもう少し早く再開するはずでは…と、心配になったもの。経営陣はどのような思惑でagehaショップを閉鎖したのか分かりませんが、現場社員は「14年夏にリニューアル」としか知らされていなかった可能性もあります。
そういえば『ageha』の中條元編集長は以前、中小出版社の社員は「残念ながら、世間の人が想像する以上にゴミのような扱い」と言っていました。カリスマ編集長ともいわれた彼女の発言から、agehaの変化をたどってみたいと思います。
小悪魔agehaの誕生前夜
『ageha』元編集長の中條寿子氏が、当初、在籍していたのは「英知出版」という中小出版社。英知出版は、01年にゼィープラス株式会社(現セブンシーズホールディングス株式会社)に全株式を取得され、完全子会社となります。
「私がいた出版社は10年前に、入社してまもなく金融屋さんに買収されました」(『週刊金曜日』2011.11.11号 中條寿子エッセイ「太陽が見えない私たちに届く光を探す物語」より引用)
02年、その「金融屋さん」=セブンシーズホールディングス傘下として、インフォレスト株式会社が設立。中條元編集長は、英知出版からインフォレスト社の社員になったわけです*2。
「私は読者のために雑誌を作っているのであって、口をきいたことがない親会社の役員のためではありません」
「大手のように給料もよく、予算に恵まれ、働く環境も整っていれば『会社の役員のために頑張ろう!』なんて気も奇跡的におこるかもしれませんが、残念ながら世間の人が想像する以上にゴミのような扱いです。(経営層は※引用者注)何も与えずに何かを搾りとろうという…」(同上)
おじさんたちのドロドロを目の当たりにしながらも、彼女は「夜のお仕事をしている女の子が、同じ境遇で働いている全国の女の子たちのファッションを参考にできるような雑誌を作ろう!」との思いを固めていきます。
「自分たちのための雑誌」、『小悪魔ageha』を創刊
05年、中條元編集長は「自分たちのための雑誌」として『小悪魔ageha』を創刊*3。これが大ヒットし、08年には「age嬢」ブームが到来、発行部数は30万部になりました。金髪で盛り髪、露出の多いギャル風ファッションに身を包んだ女性たちは、一大ギャルカルチャーをつくります。
09年には雑誌のうしろの方に、agehaの読モが商品を紹介する「通販ページ」が登場。中條元編集長はこの時、かなり抵抗したそうです。
「(通販を始めると※引用者注)会社に言われたときは本当に嫌でしたよ。でも会社の方針として、儲けるためにやらなきゃいけないじゃないですか……」
「読者の子がいろんな情報を得るために雑誌を買ってくれるのに、そこで物を売りつけるというのはすごく嫌なんですよ。やらなきゃいけないと言われた時はすごく抵抗しました」
(「小悪魔ageha」編集長にインタビュー、世の中には「かわいい」か「かわいくない」の2つしか無い - GIGAZINEより引用)
コンテンツで勝負したいとの思いが強く、読者に「情報」以外の服やカバンを売ることにすら抵抗していた中條元編集長。彼女の意志の強さには感服です。が、結果としては通販の開始がきっかけで、売上は右肩上がりに。
新規事業として通販事業を開始した2009年3月期には年売上高約74億9600万円を計上していた。 (大型倒産速報 | 帝国データバンクより引用)
中條元編集長には、色んな思いがあったことでしょう。その後は「小悪魔ageha風の雑誌を作れば儲かる」との思惑から、同じようなファッション誌が次々に創刊されていきました(今では1冊も残ってませんが)。
――初めてパクリが出たと知ったときはどうしました。
中條さん:「すぐパクリ雑誌を出した編集部に電話しました」
――どんな内容だったんですか?
中條さん:「別に苦情ではなくて純粋に聞きたいことがあって電話をしたんです。「編集者として恥ずかしくないんですか?」って。「わたしは編集者としてほかの雑誌の内容をすべてまねるということは絶対にしたくないと思っているのですが、あなたは編集者として何から何まで同じに作って恥ずかしくないのですか?」って(後略)」
(「小悪魔ageha」編集長にインタビュー、世の中には「かわいい」か「かわいくない」の2つしか無い - GIGAZINEより引用)
この発言からは、中條元編集長が、利益目的で儲かりそうなコンテンツのコピーを量産することに対して嫌悪感を覚えていることが分かります。
2010年、『ageha』の親会社が変わる
ageha全盛期の10年、カラーズインターナショナル株式会社がインフォレストを買収します。中條編集長はここで、またも親会社が変わってドタバタに巻き込まれることに。経営体制の変更で、インフォレスト社は下記3社に分割されました。
1)「インフォレスト株式会社」 - グループ統括機能担当
2)「インフォレストパブリッシング株式会社」 -『ageha』などの雑誌出版部門
3)「インフォレストマーケティング株式会社」 - 広告機能担当
(インフォレスト - Wikipediaより引用)
ほどなくして11年11月、彼女は『ageha』の編集長を「卒業」すると明言*4。「版元はもうこりごり」と語っています。
「いつの間にか親会社が変わったり、知らない間に株主だかオーナーだか社長だか役員だかが大量に増えて、現れてもすぐ消える身元がわからないおじさんたち。みんな好き勝手なことだけ言って、私たちが耕した畑の作物だけを持って行く。もちろん、拒否権はなし!というのが自分のいる出版社だけではなく、中小はどこも何かしらが一緒だと……」
「その原因は役員おじさんたちのせいではなく、今の出版業界が非常に混乱しているからで。」
「雑誌はおまけで”おまけ”が本命という、雑誌破壊のA級戦犯が潤う反面(※引用者注:「A級戦犯」とは、付録ブームの火付け役となった宝島社のことかもしれません)、本当に面白いページだけを求めている読者が宙に浮き、私たち編集者という小作人は『いいページを作りたい』という編集のアイデンティティさえ奪われた」(『週刊金曜日』2011.11.11号 中條寿子エッセイより引用)
雑誌業界が、売上のために「おまけ中心主義」へとかじを切っていく中、中條元編集長は「編集のアイデンティティ」を奪われたとの思いから、agehaを去って行きました。
『ageha』は短絡的な「利益追求」へ
彼女が辞めたあと、『ageha』の誌面は画一的になり、中條元編集長が嫌っていた付録がつくように。たしかに「かわいい、使える」付録もありましたが、"付録の雄" である宝島社のクオリティにかなうわけはありません。「ヘンな付録は要らないからさぁ、価格下げてよ」みたいな意見がネットでもちらほら聞かれるようになりました。
広告に関しても、彼女が卒業したあとは「タイアップ記事」が大量に増え、「儲かるようになったのかしらん?」と思ったものですが…agehaが広告で分厚くなっていくことは、遂にありませんでした。
読者層が若いギャルや「夜の蝶」に限定されているので、大手ブランドなどからは、相変わらず敬遠されているのです。広告は現在も「体入(=キャバクラなどの体験入店)ドットコム」や「出会い系サイト」「中小の化粧品メーカー」「夜の仕事用ドレスのネットショップ」などが中心。
熱心な読者としては、付録とタイアップに流れ、それでも売上が増えない(ように思われる)agehaに一抹の寂しさを感じつつ、買い続けるという状態が2年ほど続きました。昨今はモデルオーディションの開催やアイドル化で、新たな読者を獲得できたかとも思われたのですが、ついに今回の倒産。
全盛期の『ageha』を買収したカラーズインターナショナルにとっては、結果的に損な買い物だったということになりましょう。『ageha』には、まだまだそれなりに読者もいるので*5、雑誌部門だけどこかに売却されるのかもしれません。
ただし、しばらくは休刊の可能性もあるでしょう。Amazonや他の書籍通販サイトに『ageha』の次号(14年6月号)が登録されていないからです。『ageha』と同じ、毎月1日発売のギャル雑誌『egg』の次号は既に登録されているので、agehaがしばらく休刊となる可能性は高い。編集部にはきっと、不安な空気が漂っていることでしょう。全盛期のagehaに触発され『キャバ嬢の社会学』(星海社新書)まで出した自分としては、色々な思いが交錯します。
「現れてもすぐ消える身元がわからないおじさんたち」の買収劇に翻弄される中で、信念をもったカリスマ編集長が静かに去っていく。そして雑誌は当初の輝きを失い、売れなくなって、親会社も倒産へ……。
万が一『小悪魔ageha』が休刊になるとすれば、さびしいことです。何らかの形で存続していってくれればなと、淡い期待を抱いております。
(↑写真は、創刊号から全てコンプリートしている我が『ageha』コレクションです…)
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。
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