どこからが「セクハラ」なのか
大学教員による女子学生へのセクシュアル・ハラスメントが、定期的にニュースになります。昨年末にも、筑波大教授が飲食店で女子学生と飲酒した後にホテルへ移動し、学生にわいせつ行為をしたという事件がありました。(セクハラ:筑波大男性教授を解雇 /茨城 - 毎日新聞)
自分の周りにも、「男性上司からのセクハラや恋愛感情に悩んでいる」知人は結構います。深刻な場合は精神を病んでしまったりするケースもある。一方で「上司と恋愛している」女性も、当然ながら沢山います。「セクハラと、合意の上での恋愛」の境界線がどこからなのか判別できない男性上司が多いのではないかと思った次第です。
「地位が上の男性が抱く恋愛感情」はセクハラになり得る
ここではあえて、大学や職場など公的な場における、男性から女性へのセクハラに限定して考えてみます(というのも今のところ逆パターンの事例は顕在化していないのと、後ほど「セクハラを帰結する女性の行動パターン」についても書こうと思っているからです)。
立場が「上」の男性が、立場が「下」の女性に恋愛感情を抱いた場合、それを行動であらわすことは、一歩間違えばセクハラになりえます。
ただでさえ上司と部下であれば、はっきりした上下関係がある。部下の女性は、自分を評価する立場である上司の好意を断ることのデメリット(査定を下げられるのでは、仕事がなくなるのではないか等)を考えてしまい、誘いを断れない。
その結果、はたからは「上司の恋愛感情を受け入れた」ように見え、セクハラが「合意の上の恋愛関係」にしか見えないこともあります(それで女性側が叩かれたりする、私としてはおかしいと思いますが)。実際、女性からすれば全くそうでないことも多いわけです。
「はっきり断れない」という女性的コミュニケーション
社会学者の牟田 和恵氏による『部長、その恋愛はセクハラです!』によると、とかく上司と部下の職場恋愛はセクハラになりやすいそうです。なぜなら、そこには上下関係があるから。
はじめは「合意の恋愛」だったケースでも、関係が破綻すればセクハラとして訴えられても仕方がないとのこと。2人の間に上下関係が存在し、「女性が男性の好意を断りづらい」という前提があれば「ハラスメント」の要素は十分です。
「訴えられたらセクハラ成立」というのには、「恋愛だと思っていたのに」という男性からすれば理不尽に思われるかもしれません。が、結果としてセクハラになってしまう「過程」には、男女のコミュニケーションのすれ違いがあるような気がします。
なぜ「結果的にセクハラ」になってしまうのか
知人の話(内容は変えてあります)になりますが、職場の上司が何やら自分に好意をもっているらしいということが(同僚の話を通じて)分かったそうです。上司は毎週「差し入れ」と言って美味しいお菓子をくれますが、それは女性のバイト全員に配っていたようなので「自分だけが特別扱いされているわけではない」と思っていたらしい。
彼女は礼儀として毎回、差し入れのお礼をメールしていました。それがあるとき、返信せずにいたところ、翌日「返事がなくて悲しかった」と言われた。その辺りから「ん?」という感じになっていったといいます。
しかしながら、何かとよくしてくれる上司に対して「これからはそういったプレゼントはお断りします!」みたいな強硬な態度を取れば関係がぎくしゃくするだろうとの思いや、「たかが(他の女子社員にもあげている)差し入れくらいで自意識過剰になっては恥ずかしい」との感情もあり、何となくそのままにしてしまった。
ひとつの例だけを引き合いに出して一般化するのはちょっと気が引けますが、こういう風に「ハッキリ断るのは悪い気がするから」と、上司の好意に対して表面上は全く嫌な顔を見せないという女性は多いのではないかと思います。
だから「ありがとうございます」とか「嬉しいです」なんて言ってしまう。実際、多くの女性にとっては、好意「だけ」なら嬉しいものだと思うのです。女性としての承認欲求や「特別扱いされて嬉しい」という感情も(あるには)ある。
こうしたお礼の言葉が、男性上司を「勘違い」させてしまうケースは結構あるのではと思います。
どこからがセクハラか?
そんな中、彼女は仕事を辞めることになりました。同僚からは「あの上司と、最後に2人で食事にいってあげてよ」と言われたのですが、さすがにそれはダメだろうなと思い断った(ここで彼女が食事に行っていたら、よくある「セクハラが成立する条件」が整ってしまうだろうなと思います)。
すると上司は、夜の11時過ぎに職場の駐車場で2人で会おうと言う。ここで彼女は、ちょっと恐怖を覚えました。定期的に差し入れをくれるだけだった時には「喜び5:微妙な感情5」だったのが、「喜び1:恐怖9」になったのだと思われます。ここからはイエローカードだろう、というかこれが「セクハラ一歩手前」ということなのかもしれません。
どこからがセクハラか?それは男性の行為(好意)を受けた女性側の思いが「喜び0:恐怖10」になったときだと思います。それでも男性が行動を変えなかった場合、セクハラになってしまうということです。
女性としては「喜び0:恐怖10」になっても、断れないケースが多々あります*1。個人差はあるものの、「男性に嫌われたくない、波風立てるのはイヤだ」という気持ちや「逆恨みされることの恐怖」は大きい。結果としてセクハラが成立してしまうケースはけっこうあるのではないかと思った次第です。
セクハラは「訴えた者勝ち」?
はじめに触れた牟田 和恵氏の『部長、その恋愛はセクハラです!』では、上司と部下の「職場恋愛」も、関係が破綻すればセクハラになってしまうことが指摘されていました。だから、職場恋愛はしない方がいいと。
このような、穿った見方をすれば「訴えた者勝ち」の状況が企業や大学で広がりつつあることを、社会学者の宮台真司氏は批判しています。
大学の先生が教え子を性的に誘惑するどころか食事に誘った程度で、今の日本ではセクハラ扱いされます。「権力で、断れない者に無理強いした」と。フランスの大学生たちは、そんなアメリカ流を、「女子学生が大学教員と性的関係を結ぶ権利を奪うのか(笑)」みたいにからかいます。(『日本の難点』p.146)
一理ありますが、背景にはセクハラが非常に訴えづらい問題であり、断り下手な女性のコミュニケーションが「上司の勘違い」を誘発してしまう過程があることは考慮すべきかなと思います。
訴えても、ひどい場合には「誘惑したのはお前だ」と、女性の方が非難されることもある。明らかなセクハラを受けて泣き寝入りする女性が多いのは、訴えることで自分の「落ち度」を避難されるのを恐れてのことだと思います。こういう構造を自分は憎みます。
宮台氏はまた、
刑法が性交可能年齢に達していないと見做す13歳未満でもない大人なのですから、大人同士のコミュニケーションと、優越的地位を背景にしたコミュニケーションとの区別を、慎重につけていく以外にありません。「女子学生が『不適切な関係』を訴え出れば聞き入れる」というのは愚昧です。(同)
と述べています。こちらは一部その通りで、対等な大人同士のコミュニケーションと、立場を利用したコミュニケーションの区別がつかない人たちがいるからこそ、悲しいすれ違い=「結果としてセクハラ成立」になるのだろうなと思います。
女性側の感情が「喜び」から「恐怖」に変わっていくのを上手く読み取ることのできない男性上司、上司という偉い立場の男性と恋愛していることで何らかの承認を得てしまう女性、そして女性部下が男性上司にどうしたって「媚びて」しまうジェンダー非対称な社会環境……これらを一朝一夕に変えることは難しいので、個々人でリスク対策をしていくしかないのかなと思うのでした。
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*1:個人的にはそうした「男性の誘いを断れない」女性の心理にはある種の「男性恐怖」も関係していると思いますが、それはまた別のところで考えてみようと思います。