羽生結弦選手に「夢」を託すけど、若者から搾取するおじさんメディア
羽生結弦選手(19)が、フィギュアスケート日本男子では初の金メダルを獲得しましたね。2月25日にはソチ五輪の選手団が帰国し、羽生選手や浅田真央選手の記者会見報道が盛り上がっています。仙台市出身の羽生選手は五輪の報奨金を被災地のために寄付する考えを表明し、賞賛の声が集まりました。羽生選手の被災地に対する思いと行動はきっと、多くの人を勇気づけ励ますものでしょう。
とはいえ羽生選手を称えて「日本人としての誇りを取り戻した」「被災地のためによくやってくれた」等とはしゃぐテレビ・新聞などの "おじさんメディア" を見るたびに、やるせない気持ちになったりもします。
お涙ちょうだいの物語をつくり上げるテレビ・新聞
羽生選手が被災地の出身であり、そしてその経歴が輝かしいものであることは報道されている通りです。国民の期待を背負うオリンピックの重圧。試合前にプレゼントされたという寄せ書きの日の丸には「金メダル、待ってます!」「何とるの?金でしょ!」といったメッセージがずらずらと書かれていたそうです。
(羽生結弦にかかった「善意のプレッシャー」と、五輪がもたらすやるせなさ - WEBRONZA+社会・メディア)[※全文は有料会員限定です…]
国民の期待に応えて金メダルを獲得し、さらに被災地への思いを語る羽生選手の姿には感動を覚えました。
とはいえ、羽生選手の行動をできるだけ多くの人が感動できるストーリーとなるようアレンジし、ときに組み替え、脚色して広めるのがマスメディアの仕事の一側面でもあるのでしょう *1。
彼らが羽生選手について報じる際に強調するのが、「被災地出身で、震災後はスケートをやめようかと悩んだ」「そこから頑張って這い上がった」「幼い頃からの体の弱さ(ぜんそく等)をはねのける努力」といったエピソードの数々。
一部には、年長世代が好みそうな「被災地、ひいては祖国のために、自己犠牲の精神で頑張る克己的な若者」イメージ色が強いものも目立ちました(特に金メダル獲得直後)。多くの視聴者はこうしたストーリーをテレビでぼんやり見て、何となく「日本人としての誇り」を取り戻させてもらっているわけです。
もちろんオリンピックは、ダヤンとカッツが論じたように集団的な記憶を形作るメディア・イベントなので、羽生選手に関する報道が「国民の一体感」を煽るのは当然ともいえますが。
若者からエネルギーを吸い取る「おじさんメディア」
この国のシステムは基本的に、年長世代に手厚く、若い世代が損をする仕組みになっています。少子化をほぼ想定していない賦課方式の年金制度や、終身雇用の名のもとで年長者の雇用を守り、多くの若者や女性を非正規雇用にとどめおく伝統的な日本企業。組織票に守られたお年寄りばかりの国会議員や地方議員。ほとんどの政治家は、数が多い高齢者層の票をあてにして「世代間格差の解消」をうたいません。
ちょっと過激な言葉を使うと、日本社会は年長世代が若者を年金やら税金、雇用差別で搾取している社会でもあります(陰謀論ではなく「日本社会がそういう構造である」という一見解です)。
そして若者を搾取する一方、「最近の若者はなっとらん」「これだからゆとり世代は…」といった定型句の根拠なき批判を繰り返すのが、年長世代が動かす "マスメディア" なのだと思います。
彼らは一方で、羽生選手など一握りの「すばらしい若者」だけは褒めたたえ、そこからエネルギーをもらおうとします(少なくとも自分にはそう見えます)。
それはまるで、枯れかけて自信を無くしたおじさんメディアが「理想の若者」である瑞々しい羽生選手からエネルギーを吸い取ろうとしているようにも見え、ちょっとグロテスクではありました。
羽生選手の金メダルや、被災地への寄付の裏にある抱えきれないほどの思いを、マスメディアや個々人が解釈し、グローバル化の中でパッシングされる日本(人)が「誇り」を回復するきっかけにするのは自由でしょう。が、そういうふうに一部の若者を持ち上げて崇拝する一方、多くの若者を物理的に搾取するこの社会の構造には、やりきれない思いを抱いてしまうのです。
※誤解のなきようお伝えしたいのですが、私も、羽生選手をはじめ日本人選手団の活躍に心打たれた1人ではあります。感動しましたです。
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。
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