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経済的損失は約3兆円~ 「6人に1人」の貧困の放置で起こること

「貧困家庭のお子さんを見ていると、勉強が『分からない』という経験が重なり、学校生活のなかでどんどん劣等感を募らせていくのが分かるんです」

先日、石川県のとある温泉街で、貧困世帯の学習支援を手掛ける女性(Aさん、50代)にインタビューした。彼女は、経済的に貧しい家庭の子どもたちの学習支援に加え、学童クラブの運営にも関わっている。さらに、学童に来ることができない貧困家庭の子どもたちが立ち寄れる「場所づくり」にも取り組んでいる。
彼女は言う。「小学校3年生が、ギリギリのターニングポイントなんです」。経済的に厳しい家庭では、親が昼も夜も働き詰めで、子の勉強を見てあげることが難しい。そのため子どもは「授業が分からない」状態が続き、小学校3~4年生になる頃には、勉強や学校そのものに対して「劣等感」や「反発」を覚えるようになってしまうそうだ。

過去最悪の数字となった「子どもの貧困」

今や6人に1人の子どもが貧困状態にある。「平成26年版 子ども・若者白書」によると、子どもの相対的貧困率は90年代半ば頃からじりじりと上昇。最新のデータ(2012年)には16.3%で、過去最悪となっている。この状態をそのままにしておくと、どうなるか。日本財団三菱UFJリサーチ&コンサルティングの推計によると、「子どもの貧困」を放置した場合、1学年あたりでも経済損失は約2.9兆円、政府の財政負担は1.1兆円増えるという。

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(写真 記者発表の様子。マスコミ各社からの質問が相次いだ)

子ども時代の経済格差は、教育格差を生み、将来の所得格差につながる

「子どもの貧困を放置した場合の経済的損失」といっても、ピンとこない人もいるだろう。どうやって算出するのか、筆者もはじめはよく分からなかったが、説明を聞いて徐々に理解できた。

まずは大前提から。子ども時代の経済格差は、教育格差を生み、将来の所得格差につながる。親の経済力と子の学力は相関し、学力は学歴に相関し、学歴と将来の所得はおおむね相関する。この前提のもと、図2にある「①現状シナリオ ②改善シナリオ」にもとづいて、両者の差分を算出。「現在15歳の子どもが64歳までに得る所得(=政府の収入)」と、「税・社会保障の費用の純負担額(=政府の支出)」を算出し、現状が改善されなかった場合に将来、政府が負担する税・社会保障純負担額を「経済的損失」とした。身も蓋もない言い方をすれば、「子どもの貧困」を放置した場合、教育・所得格差が開いた状態で大人になる人が増え、それだけ政府の社会保障負担も大きくなるということだ。

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(図 配布資料より。上が「推計に使った用語の定義」、下が「①現状シナリオと②改善シナリオ。①と②の差分が"経済的損失"。いずれも◯を追加)

 財政負担額、1学年あたり1.1兆円増加

推計では、貧困世帯の子どもの「進学率」や「高校中退率」などを改善しなかった場合、政府の財政負担額は、1学年(現在の15歳人口119.8万人)あたり1.1兆円増加することが分かった。わずか1学年で、このインパクトだ。平成27年度の児童手当の政府予算は「全体で」1.2兆円なので、1.1兆円の財政負担という数字がどれほど大きいか分かる。

子ども時代の経済状態と進学率、大人になってからの所得には、はっきりとした相関がある。たとえば最も差が開くケースとして、日本財団三菱UFJリサーチ&コンサルティングでは、「中卒・男性・無業者・生活保護受給者」と、「大卒・男性・正社員」を比較。この場合、所得においては生涯に平均約2億9000万円の差、税・社会保障の純負担(国側の負担)は約1億7570万円の差が開く。こうしたケースも含めて計算すると、個人所得の経済損失は1学年あたり約2.9兆円に達する。 

生涯獲得年収には「高校中退率」のインパクトが大きい

先ほどの図では、推計に使った3つの指標を解説している。いちばん上の「高校進学率」は、現状シナリオで「生活保護世帯・児童養護施設・ひとり親世帯」の子ども、いずれも9割近い。これが改善シナリオでは、ほぼ100%になると仮定されている。次に「高校中退率」だが、推計では先にあげた3つの世帯の子どもの現状(いずれも約4~5%)から、非貧困世帯並みの1.3%まで改善すると仮定した。日本財団ソーシャルイノベーション本部によると、推計のなかで、高校中退率が将来の所得に与える影響が予想以上に大きいことが判明したという。中卒では高卒と比べ、正社員になれる割合がガクッと落ちる。非正規雇用を転々とし、貧困に陥る確率も高まる。将来の貧困層を減らすためには、高校をきちんと出て、正社員など安定した職を得てもらうかが重要なのだ。

幼い時期の教育介入は、長期的な学習意欲の向上につながる

「大学等進学率」を見てみよう。現状シナリオでは、生活保護世帯の進学率(専門学校なども含む)は3割、児童養護施設では2割、ひとり親世帯では4割となっている。これが、改善シナリオではそれぞれ54%、44%、63%まで増えると仮定。推計では非貧困世帯の進学率に近づけたが、厳密には全く同じというわけではない。

会見では「大学等への進学率改善率には、どのような計算方法を使ったのか?」との質問が出た。同本部によれば、国内には「どうすれば貧困世帯の大学進学率がアップするのか」という調査研究はない。そのため、欧米で就学前の子どもに対して教育的介入を行った「アベセダリアンプロジェクト」を参考にした。同プロジェクトは、1970年代に生まれた子どもたちを対象に就学前教育を実施、その効果を長期的に検証したもの。実験では、未就学児に就学前教育をほどこした結果、学業成績だけでなく、ものごとを最後までやりぬく力など「非認知能力」も向上した。結果的に、子どもたちには努力し続ける力がつき、進学率も向上。日本財団三菱UFJリサーチ&コンサルティングでは、このアベセダリアンプロジェクトの結果を参考に、②改善シナリオの大学等進学率を算出した。現状からは、22ポイントの上昇だ。

もちろん、高等教育機関への進学が人生のゴールではない。が、統計的に見て学歴と生涯獲得年収(≒個人の納税額)が相関しているのは明らかなので(下記図参照)、国の社会保障負担額を算出するには参照しやすい数字なのだ。

 

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 (図 性別・学歴別・就業形態別の賃金カーブ)

貧困世帯の子どもたちが無力感を抱いてしまう前にできること

今回の推計で明らかになったのは、貧困状態の子どもに対して、政府が何も介入しなかった場合、将来的な経済的損失は「1学年あたり約2.9兆円」にもなるということだ。本来、子どもたちはどんな家庭環境に生まれ落ちようと、よく学びよく遊び、自分なりの仕事を見つけ、やりがいや社会での役割意識を感じるようになっていくべきである。今のままでは、貧困状態にある子どもは、何の支援も得られないまま、貧しさから抜け出すことができず、(こんな言い方は嫌だが)社会の“お荷物”になる確率が高まってしまう。経済的損失に焦点を当てた、ややセンセーショナルな推計だからこそ、「では貧困世帯の子どもたちに、何ができるのか?」という議論のたたき台になるはずだ。

冒頭で引用した、貧困世帯の子どもの学習支援を手掛けるAさんによれば、親の経済力が弱い子どもは、高学年になっても、小1で習う「足し算の繰り上がり」が理解できないケースもあるという。

彼女の言葉が繰り返される。

「小学校3年生が、ギリギリのターニングポイントなんです。」

Aさんはこう続けた。

「小学校に上がってすぐの頃は、親の経済力によって、そこまでの差はありません。でも、3~4年生になると、成績を周りと比べ始める。貧困家庭の子どもは、勉強や学校、親や社会に対して劣等感やあきらめ、反発心を抱くようになり、問題行動を起こすケースもあるんです。中には親をかばう子もいますが、『どうせ親や先生は何もしてくれない』と、暴力をふるう子もいます。本当は、どの子も『自分は自分だ』と思えればいいのですが……」

貧困世帯の子どもたちが無力感を抱いてしまう前に、私たちには何ができるだろう。幼い時期から地域の大人たちが「介入」し、セーフティネットになることができればいいが、コミュニティが機能していない地域では、それも難しい。

「お金」では改善できない「心の貧困」

Aさんの団体には、自治体から予算がつくこともある。が、国の予算はいわゆる「紐付き」が多く、きめ細やかなニーズに対応できないケースが多い。そのことも問題だが、彼女が最後に発した言葉は重かった。

「紐付き予算の問題に加えて、もっと大切なことがあります。親にお金をあげるだけではダメなんです。もちろんお金は大切ですが、それだけでは、子どもの『心の貧しさ』を救えないんです」

貧困世帯への「金銭的な支援」と「精神的な支援」は、別に考えるべきだ。どちらも必要で、その配分は個々の家庭のニーズに沿った、きめ細やかなものでなければならない。が、政府や自治体がそこまでできるだろうか。やはり、民間の力を活用すべきではないか。今回の推計は、あくまで政府の社会保障負担に限ったものだが、何もしなければ、失われるものはあまりに大きい。金銭的な支援と、精神的な支援、それぞれ自分には何ができるのか。政府に頼るだけでは限界があるだろう。が、寄付文化を根付かせたり、企業に協力を求めたりするなど、方策はないものか。私たちの社会は、すぐ隣にある貧困を、「他人ごと」ではなく「自分ごと」として捉えるべき時期に来ている。

文学作品を通して「人間とは何か」を考える。「ハンセン病文学」をテーマにビブリオバトルが開催

ビブリオバトルは読書界の「スポーツ」


ビブリオバトル」という、本の紹介コミュニケーションゲームを知っているだろうか。参加者が各自「面白い」と思った本を持ち寄り、1人5分間で内容をプレゼンする。その後2~3分間の質疑応答が行われ、最終投票では「どの本がいちばん読みたくなったか」を基準として“チャンプ本”が決定される。最後まで結果がわからない、スリルあふれるイベントだ。

ビブリオバトルのやり方の図

公式サイトによると、2007年に京都の学生有志が始めたのがきっかけ。今では全国47都道府県すべてで開催済みで、大学の約3割が導入、毎年行われる全国大会も盛況だという。ここ数年はマスコミに取り上げられる機会が増え、私も「読書会と似たようなものかな」と思っていた。が、実際のプレゼンテーションをYou Tubeなどで見てみると、まったく違う。まさに「バトル」で、1冊の本にじっくり親しむというよりは、短時間で多くの本や他者の考え方を知ることができる「スポーツ」に近い。コミュニケーションによって読書の輪を広げる効果もあり、ネットを通じて、ファンは自己発生的に増えているようだ。

ビブリオバトルハンセン病を「つなぐ」


そんな00年代のネット社会を象徴するかのようなビブリオバトルと、明治時代から続く「ハンセン病」の問題をつなげようとのプロジェクトが、日本財団によって開催される(「『世界ハンセン病の日』にビブリオバトル開催!」 )。毎年1月の最終日曜日は、「世界ハンセン病の日」とされており、2016年1月31日(日)に、ハンセン病文学をテーマとしたビブリオバトルが行われる。場所は六本木の多目的スペース「umu」。参加者は事前審査で選ばれた5人で、対象作品は、真正面からハンセン病を扱ったルポなどにかぎらない。

ひとくちに「ハンセン病文学」といっても、その幅は私たちの想像を超えて広がっている。松本清張の名作『砂の器』はもちろん、遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』(個人的にも思い入れのある作品だ)、海外からはサマセット・モームの『月と6ペンス』などの名作にも、ハンセン病が登場する。宮本常一の『忘れられた日本人』にも出てくるという。手元にある岩波文庫版を読み返してみたら、確かに一部、ハンセン病患者に触れた箇所があった。 イベントは、こうした幅広い分野にまたがる「ハンセン病文学」を、ビブリオバトルで知ってもらおうとの試みだ。

ハンセン病を考えることは、人間を考えること」


日本財団は40年近く、国内のハンセン病支援に携わってきた。近年はより啓発活動に注力し、ウェブサイト「THINK NOW ハンセン病」には、ダライ・ラマ法王をはじめ、田原総一朗に元F1選手の片山右京、広告界のカリスマである佐藤可士和や、タレントのマツコ・デラックスなど、著名人らがメッセージを寄せる。昨年は、フォトグラファー富永夏子氏による写真展ハンセン病を考えることは、人間を考えることの開催も話題になった。富永氏は、ハンセン病を考えることは、人間を考えること」と言う。人間を考えることは、「すぐ隣にいるかもしれない身近な人々が抱える、病や差別、イジメなどの問題に思いを馳せる営み」(富永氏)でもある。

インドモティプール・ハンセン病コロニー(撮影:富永夏子)



その、身近な差別に思いをはせてもらうための「入り口」が、今回はビブリオバトル=文学作品との出会いとして開催される。

今回のイベントの広報を務める佐治氏は、次のように話してくれた。

「これまでの啓発活動で、ハンセン病の歴史や差別を知ってくれた人たちは、すでに関連文学作品も読んでくれている。そういう人たちには、社会問題としてリーチできているという実感があります。ただ今年、あえて流行の『ビブリオバトル』を取り入れたのは、まだハンセン病に興味がない人が、身近な文学からハンセン病を知り、周りの人たちに伝えるツールにしてほしいからなんです」

同じく日本財団の和田氏も、「ハンセン病を考えるビブリオバトルをきっかけに、大学のゼミなどで差別について考える学生が増えたり、啓発イベントをおこなう若者が増えたり……そうした『つなげる』効果も期待しています」と語る。

イベントは無料で、2016年1月31日(日)、13:00~16:00を予定。場所は六本木の多目的スペースumu(東京都港区六本木6-9-1)。私も一部始終を観覧しようと思っている。ぜひ皆さんも、このビブリオバトルをきっかけに、人間が抱え込んできた「差別」という普遍的な問題に触れ、思索を深めてみてはどうだろうか。

もう結論は出ている。「施設」と「家庭」どちらで育つのが子どもにとって最適か。

「私は逆に、皆さんに問いかけたい。なぜ多くの人は、幼い子どもたちが深刻な状況に置かれていることに、これほど無関心でいられるのかと。“baby” という単語を思い浮かべてみて下さい。笑顔にあふれた、愛情いっぱいの環境にいる赤ちゃんのイメージが浮かぶでしょう。でも実際には、家庭で愛情を受けられずに、笑顔を失ってしまう赤ちゃんが大勢います。そのことに、なぜ無関心でいられるのでしょう。そういう人たちはきっと、多くの子どもが苦しんでいるという現実を、見たくない、忘れてしまいたいのだと思います。知らなければ、自分を守ることができますから

「日本の読者、それも、あまり社会的養護に関心のない人たちへ向けて、最も訴えたいことは何ですか?」という筆者の質問に対し、チャールズ・H・ジーナ教授は力を込めて訴えた。

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1人の養育者にうまくなつけない「アタッチメント(愛着)障害」

私も含めた、多くの日本人にとって「アタッチメント(愛着)障害」とは耳慣れない言葉だ。が、9月30日に行われたシンポジウム、「乳幼児の養育にはなぜアタッチメントが重要なのか」(於・日本財団ビル)に参加してみて、その輪郭と大切さが改めて理解できたように思う。

米チューレイン大学で、赤ちゃんの「アタッチメント(愛着)障害」とその改善策を研究するジーナ教授によると、赤ちゃんには生物学的に、自分を育ててくれる人に「アタッチメント」を形成していく性質がある。難しい言葉で言えば、「選択的に、少なくとも1人の養育者に対し、安らぎやサポート、養育、保護を求める幼児の性向」のことだ。

同じく当日、研究発表を行った目白大学の青木豊教授によると、「アタッチメント」にしっくりくる日本語訳はまだないが、「なつく」という言葉がもっとも近いという。なるほど、赤ちゃんが養育者に「なつく」ことが「自然に」できなくなってしまう状態、それが「アタッチメント(愛着)障害」なのかもしれない。

赤ちゃんに「アタッチメント(愛着)障害」が起きるとどうなるのか、という研究は、第二次世界大戦後の欧米で始まった。戦争によって多くの孤児が生まれ、家庭で育つことができない子どもが増えたこと、そうした環境で育った子どもたちは、より「非行」に走る傾向が高まる、という仮説が提示されたことなどもあって、幼い時期の「愛着障害」に注目が集まってきた経緯もある。

さらに大きなきっかけは、60~80年代におけるルーマニアの「チャウシェスク政権」だ。チャウシェスクは権力者として君臨し、女性の人工妊娠中絶を禁止。「子どもを5人以上産むこと」を押し付けるなど強引な人口増加政策を推進した。そのため、貧しくて育てられない親が急増し、孤児院が数多く作られた。孤児院の環境はひどいもので、結果的に治安は悪化。将来にわたって「チャウシェスクの子どもたち」と呼ばれる貧困層が生まれたのだ。こうしたルーマニアの状況への社会的な介入が、「アタッチメント(愛着)障害」研究の大きな足がかかりとなった(参照記事)。

愛着を形成できないことで起こる問題

冒頭のジーナ教授は、ロンドンの先行研究を紹介。2歳まで施設で育った赤ちゃんを、(1)養子縁組され、家庭的な環境で育つグループ、(2)親元に戻ることができたグループ、(3)施設に残るグループの3つに分けて追跡調査を行った結果、施設に残った乳幼児たちには、ある特徴が見られるようになった。それが「愛着(アタッチメント)障害」だ。あるグループでは、どの養育者にもなつかず、無反応で感情のコントロールがきかなくなる、などの傾向がみられた

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一方、養育者に対し「なつきすぎる」傾向の愛着(アタッチメント)障害もある。映像で見せてもらったが、ある5歳くらいの子どもは、施設で初めて会った大人(見知らぬ人間で、普通は「怖い」存在のはず)に対し、やたらとベタベタしている。無差別な愛着を示し、初対面の大人にもくっついていく。映像からは、大人の方が逃げ出したくなるほど「なついてくる」印象を受けた。このタイプは、いわゆる「空気が過度に読めない」状態になってしまうこともある。見知らぬ大人に対し、過度に立ち入った質問をしたり、馴れ馴れしく接したりする。

2歳以降、里親などのもとで育った子どもには、こうした傾向は少ないそうだ。「施設」と「家庭」どちらで育つのが子どもにとって最適か、ということが、徐々に明らかになってきている。というより、もう結論は出ている。はじめは愛着障害を示していた赤ちゃんでも、1対1の愛情が注がれる家庭で育つにつれ、徐々にその傾向が改善される傾向にあるのだ

「最高の馬車」と「普通の車」という比喩

会場からは、里親をしている方からの質問が相次いだ。何らかの事情で家族と暮らせない子どもを一定期間、家庭で預かる「養育里親」の男性からは、こんな質問が寄せられた。

「日本では、1施設あたり、職員15人で子ども24人を見ています。シフト制なので、夜間には2人体制になってしまう。昼間でも、職員は7人です。こうした現状は、欧米諸国と比べてどうなのでしょう」

 ジーナ教授は、「施設の環境は、国と国、国内でもエリアごとに違ってきます」と前置きしたうえで、次のように答えた。

ルーマニアの孤児院は、少なくとも、日本の数倍の子どもを、より少ない職員数で見ていました。日本の施設はどちらかといえば、イギリスやギリシャと近いように思います」

ただ、ジーナ教授は他の質問者の回答と絡めて、重要な指摘をしている。

「日本では施設の小規模化が進んでおり、グループホームのような形で子どもを育てる形式もあると聞きました。もちろん、施設の環境が家庭に似れば似るほど、良いことは確かです。しかしながら、『最高の馬車』と『自動車』があった場合、どちらを選ぶかといえば、答えは明白でしょう。どんなに優れた馬車よりも、やはり人は自動車を求めてしまうものなのです

最高の馬車(優れた施設)と、普通の車(普通の家庭)。幼い子どもが育つには、やはり「特定の養育者」が、ずっとついてくれる家庭の方が良い結果を生むとの考え方だ。異論もあるかもしれない。「産みの親」が子を虐待するケースも多いからだ。しかし、そうした実の保護者から子を離し(親権が強い日本では難しいかもしれないが)、別の暖かな家庭で育つ方が、施設で育つよりも子どもにとってはプラスになる。「最高の馬車」よりも、「普通の車」がいいというのは、そういうことではないだろうか。

子どもにとって最も良くないのは「ネグレクト」

施設から里親として、子どもを引き取って育てている人からは、「育て方」についての質問もあった。ジーナ教授は述べる。

「『親業』研究には、数十年の蓄積があります。結論としては、とにかくしっかり心を込めて、子と向き合う、ということです。子どもにとって最も良くないのは、ネグレクトなのです。心をこめて子どもと対峙すれば、必ず発達の状況は変わってきます」

特定の養育者が、子どもに「心を込めて向き合う」ということ。それがどんな形であれ、子どもにとってはプラスの影響をもたらすという。逆にいえば、それができていない家庭では、うまく他人と「愛着(アタッチメント)を形成できない子ども」が育ってしまう……ということでもある。誰かが、できるだけ早期に「介入」しなければならない。そして、その「介入」は早ければ早いほどよい。愛着という、目に見えないものを「科学する」のは難しいが、多くの研究では、子どもが早期に家庭で育つことのプラス面を裏付けている。虐待を受けている可能性がある子どもや、育児を放棄しがちな保護者に対し、私たちの社会ができることは何だろう

メディアのあり方と無関心の増殖~「里親」について報じるとき、私たちの関心は逸らされる~

冒頭の言葉が反芻される。

「“baby” という単語を思い浮かべてみて下さい。笑顔にあふれた、愛情いっぱいの環境にいる赤ちゃんのイメージが浮かぶでしょう。でも実際には、そうでない赤ちゃんが大勢います。そのことに、なぜ無関心でいられるのでしょう。多くの子どもが苦しんでいるという現実を、見たくない、忘れてしまいたいのでしょうか。知らなければ、自分を守ることができますよね」

 個々人だけの問題ではないだろう。メディアもまた、「里親」に対して必ずしも良いイメージだけを報じてくれるわけではない。ごく一部の里親が問題を起こしたとき、「これだから里親は……」という情報ばかりをピックアップして報じるケースは多い。里親が子を引き取ることで、良い結果がもたらされた例の方が圧倒的に多いはずなのに、そちらは報じない。

健やかに育ったケースは表に出づらいのだろうが、「悪い里親に関するニュースの方が、視聴者のゴシップ心を満たしやすい」という要因もあるだろう。ジーナ教授によると、アメリカでも、里親をめぐる報道の姿勢は、ポジティブとはいえないそうだ。こうして、私たちの関心は逸らされる。子どもたちにとって、本当に大切な「あたたかい養育環境」とは何か。無関心でいること、本質を見ようとしないことが、最も危ういのだ

小5で「赤ちゃんできた」子も……「妊娠SOS窓口」がつないできた“命のバトン”

「最も幼い妊婦さんは、小学校5年生でした」

「相談者のうち、20代が45%を占めていますが、10代も20%。職業別では、学生さんが26%と4人に1人、無職の方が36%です。最も幼い妊婦さんは、小学校5年生でした……」

会場が息を呑む。

「24時間体制で受け付けている相談のうち、内容の最多は『妊娠に関する相談』ですが、次に多いのは『思いがけない妊娠』で、3割に達しています。その内訳で最も多いのは『未婚の妊娠』、相手の男性が逃げてしまった、1人で育てる自信がない、というものです。次に多いのが『若年妊娠』――私たちは18歳以下の妊娠を、そう呼んでいます。『暴力・強姦』で子どもができてしまった、どうしよう、という相談もあります。レイプや近親(相姦)によって妊娠してしまい、全国から電話をかけてくる女性たちも、沢山います」(田尻さん)

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(写真:慈恵病院に寄せられた「思いがけない妊娠」相談の内訳。「未婚の妊娠」が最も多いが、「夫・パートナーの反対・離別」「若年妊娠」「不倫」「暴力・強姦」も)

いらない子だったから」子どもを“遺棄した母親”へのバッシング

7月下旬、愛媛県で乳児と見られる5遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された30代の母親は、乳児を遺棄した理由について「いらない子だったから」という趣旨の供述をしているという(毎日新聞2015年7月21日報道より)。この事件はネットでも大きく報じられ、母親の大きなお腹について保健師が尋ねても、「太っているだけ」と答えたなど、「妊娠そのものを否定していた」とみられることが、多くの人々に衝撃を与えた。ネットでは「常人には理解不能」などの反応が相次ぎ、容疑者の母親を一方的に攻撃するようなコメントもあった。

だがこの事件、私は決して他人ごととは思えない。以前、水商売の女性たちを取材していた際、20歳前後で初産をした女の子がいた。彼女はごく普通の、コミュニケーション能力に長けた可愛らしい子だったが、何気ない会話中にふと「子ども、産まなければ良かった」と、漏らしたのである。彼女はおそらく貧しかった。たとえ「母性本能」があったとしても、貧困や自身の生育環境から、「この子さえいなければ」と、思ってしまう母親はいるのではないか。母親の人格だけを責めればいい問題ではない。そんな思いが、ずっとくすぶっていた。

こうのとりのゆりかご(通称”赤ちゃんポスト”)」元関係者、女性たちの「妊娠前からのSOSに対応すべき」

こうした経験から、縁あって「こうのとりのゆりかご(通称”赤ちゃんポスト”)」で有名な慈恵病院(熊本県)で、看護部長を務めていた田尻由貴子さん*1を取材させていただく機会が多い。今回は15年7月22日、アジア太平洋エリアから、助産師や看護師たちが集まる大規模なサミット(第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会)で、彼女が講師を務めるというので参加してきた。

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(セミナーのパンフレット [※左が、慈恵病院の田尻由貴子さんの講演案内 ])

正午に開演する会場には、長蛇の列。アジアや太平洋地域から、多くの助産師さんが集まってきている。田尻さんの講演は英語で同時通訳される。セミナーの目的は、「日本でも未だに、虐待死の半数が『生まれたばかりの赤ちゃん』であること、危険で孤独な自宅出産や、飛び込み分娩がなくならない現実とその背景を知ってもらうこと」。そして、日々多くの妊婦と接する助産師さんたちに、「社会的に困窮した女性たちの妊娠」の心の中で、何が起こっているのかを知ってもらうことも重要な目的だ。分娩の専門知識をもった助産師たちといえども、「思いがけない妊娠」をした女性の、心のケアまでこなせている人は、意外に少ない。 

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(写真:田尻さんのセミナー「子どもが家庭で育つために妊娠相談窓口が果たす役割とは」を聴くために集まった助産師たち。定員は1000人。様々な国から集まっている。「ヒジャーブ」と呼ばれる、ムスリム女性特有のスカーフを身につけた女性も多かった)

日本では毎年「2000人」の赤ちゃんが「乳児院」に入所している

田尻さんの講演内容の前に、日本の社会的養護をめぐる状況を簡単に説明しよう。先進諸国と比べて、日本では親に恵まれない子どもたちが「施設」で育つ割合が圧倒的に高い。国連子どもの権利条約」では、「全ての子どもは家庭環境の下で成長すべきである」と定め、日本もそれに賛同しているのだが、産みの親のもとで育つことのできない子ども4万人のうち、9割近くが「児童養護施設」などで暮らしている。毎年約2000人の乳幼児(0~3歳まで)が、乳児院に入所しているのだ。

もちろん「児童養護施設」が一概に悪いともいえないし、日本の施設は(かつての東欧諸国などと比べれば)かなり整ってはいる。ただ、赤ちゃんの心身が最も発達する0~3歳期に、「保護者との1対1の関係」が与えられないと、赤ちゃんの脳には著しい「発達の遅れ」が見られる……という研究は、社会的養護に関わる人たちの間では、常識になりつつある。「産みの親」でなくてもいいから、できるだけ早く、養子縁組や里親制度で、養育者との1対1の関係を築くことが、赤ちゃんの発達には不可欠なのだ。

思わぬ妊娠に悩む女性に対し、責めては絶対にダメ。

前置きが長くなった。田尻さんの講演が始まる。長年、「こうのとりのゆりかご(通称”赤ちゃんポスト”)」に関わってきた具体例に富む彼女の話を聴き、中には、思わず涙を漏らす助産師さんもいた。現状では、「望まない妊娠」をした女性は、人工妊娠中絶を選ぶことが多い。産もうと決めた女性でも、相手の男性が逃げてしまったり、年齢の若さや経済的、心理的な事情から育てる自信がなかったりして、妊娠自体から目を背け、飛び込み分娩や自宅出産を選ぶケースも多くある。

f:id:kaya8823:20150813031500j:plain(写真:講演する田尻由貴子さん)

田尻さんによると、こうした状況を受け、11年には厚労省が「妊娠期からの妊娠・出産・子育て等に係る相談体制等の整備について」という通達を出した。これがきっかけとなり、今では全国20以上の自治体で、医師会が助産師会などに委託し、「妊娠相談SOS」窓口を設置する動きが進んでいる*2

ともあれ、全国に広がる「妊娠SOS窓口」の先駆けとして、若い女性たちの相談を受けてきたのが慈恵病院(熊本県)だ。14年度までの8年間で、慈恵病院に寄せられた9000件以上の相談のうち、熊本県からの相談はわずか17%。ほとんどが首都圏、大阪など、都市部からの相談だ。冒頭で紹介したような現実に対し、まだまだ全国の「妊娠SOS」窓口は対応しきれていない。

24時間体制で運営している自治体はほとんどなく、ネットで検索して、ようやく慈恵病院の電話相談にたどり着く女性が多いのだという。「絶対に、住んでいる場所や名前は言いたくない」と、匿名を固持しようとする女性も多い。背景には、これまで「誰にも打ち明けられなかった」「誰も気づいてくれなかった」という深い孤独がある。そんな女性たちも、粘り強くカウンセリングを行うことで、徐々に心を開いてくれるケースがあるそうだ。田尻さんたちが、話を聞く際に重視しているのは次のようなことである。

(1)思わぬ妊娠に悩む女性に対し、責めては絶対にダメ。「どうしたの?」と聴くだけでも、傷ついてしまう女性たちが沢山いる。そんな女性たちにはまず、お腹の赤ちゃんと2人だけで、孤独を抱えながら相談してきてくれたことに対し、「よく相談してくれたね、ありがとう、頑張ったね」と声をかける。相手の話を傾聴する。

(2)その上で、悩みを聴き、共感し、親身になって寄り添う。そうしていると、最初は「誰も信じられない、受け入れてもらえないだろう」と頑なだった女性も、徐々に自分のことを詳しく話してくれるようになる。

想定外の妊娠をしてしまい、「誰にも言えない」と孤独を深める、若い女性たち。田尻さんが関わったケースでは、ある女子大生が、当初は「自宅で1人で産みます。(家族や相手にバレたくないから)病院には絶対に行きたくない」と言っていたが、最終的には慈恵病院を通じて、育ててくれる親に赤ちゃんを託す「特別養子縁組」を選んだ、ということもあったという。大学生の彼女は当初、特別養子縁組という選択肢を知らなかった。もし、そのまま1人で産み、誰のサポートも受けずに育てていたら……万が一の可能性だが、虐待等に繋がっていたかもしれない。「1人で産む」と言い張る彼女に対し、田尻さんたちは何度も話を聞いた。結果、その女子大生は「きちんと病院を受診し、特別養子縁組で命のバトンをつなぐ」ことを選んだという。

はじめは「産みたいけど、『こうのとりのゆりかご(通称”赤ちゃんポスト”)』に預けたい」「育てる自信がないから中絶したい」「養子に出したい」という葛藤の中にいた女性たちも、カウンセリングの中で、徐々に多様な選択肢があることを知る。その結果、「自分で育てよう」と決意する女性もいれば、特別養子縁組を選ぶケースもある。こうして救われた命は、9年間で600件近い(慈恵病院、平成19年度~26年度の件数)。

人工妊娠中絶は年間約20万件、「手術はいつにしますか」淡々と進む医療現場

日本は「人工妊娠中絶」に寛容な国だ。厚労省のデータによれば、平成 25年度の人工妊娠中絶件数は 18万6253 件で、前年度に比べ5.3%減少したものの、毎年20万人近い命が「経済的事情」などの名目で失われている。「20 歳未満」の中絶では、「19歳」が6764件と最も多く、次いで「18歳」が4807件となっている

「産む・産まないを女性が選ぶ自由」は、60年代後半以降のウーマン・リブが勝ち取ってきた、女性たちの「権利」だ。当時は男性の主権が今よりもずっと強く、「夫婦間で避妊を拒むことは、ほとんどできない」「ピルなど、女性主体の避妊手段がない」などの現実があったことは、何度強調しても足りない。が、今はまた少し、状況が変わってきている。平均初婚年齢の上昇により、子どもをもちたいと「不妊治療」を続ける女性(男性)がいながら、「中絶」を選ぶ女性が年間20万人もいるという現実。田尻さんの後に登壇した、日本財団特別養子縁組事業企画コーディネーター、赤尾さく美さん(助産師)は、次のように語った。

医療現場では、「中絶したい」という患者さんを前にして、「じゃあ(手術は)いつにしますか」と、 カレンダーに目をやる状況もあったのです。…そういう医療関係者は、本当に多い。でも、もしかしたら中には「本当は産みたいけれど、どうすればいいか分からない、自信がない」という女性もいるかもしれない。

本来なら、保健室の先生から助産師、看護師、医師たちまで、医療に携わる人であれば全員が、「妊娠相談窓口」としての機能を果たすべきなんです。そうすれば、特別養子縁組や、里親制度などで「命」をつなぐこともできます。

f:id:kaya8823:20150813031939j:plain(写真:セミナーに集まった海外の助産師たち。撮影したのは、みなとみらいのパシフィコ横浜前)

助産師である彼女の言葉は、胸を打つ。そうなのだ。保健室の先生から医師まで、もっと多くの医療関係者が「妊娠SOS窓口」としての知識をもっていれば、望まない妊娠による中絶や虐待、赤 ちゃんの遺棄、 貧困の連鎖は防げるかもしれない。理想論だろうか。しかし、「妊娠相談窓口」のリアルな現状と、カウンセリングの過程で孤独だった女性たちが安堵していく、救われていく様子について知れば知るほど、「思わぬ妊娠をした女性たちの声に耳を傾けること」の重要性が感じられてならない。

女性の人権と、子どもの生存権を守るには、そういう地道な積み重ねが必要ではないか。個人的なことではあるが、私はまだ、自分が子どもを産むことが想像できない。それでも、女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖にかかわる全ての権利)と「現場の声」を届けていくことはできるし、そうすることに最近、使命を感じている。

 

【北条かやプロフィール】

1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月『キャバ嬢の社会学』刊行。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演する。15年5月26日、最新刊『整形した女は幸せになっているのか』発売。 

 

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*1:田尻さんは現在、慈恵病院の現場からは離れ、一般社団法人スタディライフ熊本特別顧問・慈恵病院の相談役を務めている。

*2:田尻さんに言わせれば、まだまだ「少ない」とのことではあるが……

日本の上位6%、富裕層女性が1ヶ月に自由に使うお金「20万円以上」が最多

1ヶ月間で自由に使うお金は、一般女性の93.3%が「5万円未満」であるのに対し、富裕層の女性では、27.5%が「20万円以上」を使うことができ、「上限なし」も16.8%いる――。こんな調査結果が、電通ハースト婦人画報社の調査で明らかになった。

www.dentsu.co.jp

調査は今年2月、世帯資産が1億円以上(日本全人口の約6%)、または世帯年収2000万円以上(日本全人口の約1%)を“富裕層世帯”と定義づけ、そのうち20~60代女性、約300人を対象にウェブアンケートで実施。比較対象となる一般女性に関するデータは、電通が独自に集めたものを使用した。

一般女性で1ヶ月に自由に使う金額が「20万円以上」と答えたのはわずか0.3%だが、世帯純資産1億円以上、もしくは世帯収入2000万円以上の富裕層女性では27.5%(「上限なし」の16.8%を含む)だった。富裕層の女性は「資産運用」に関心がある割合も高く、株式投資などを積極的に行っている割合は35%(一般女性:7.2%)と、3人に1人以上が何らかの投資を行なっていた。

世帯年収で上位6%を占める日本の「お金持ち」女性たちは、スポーツにも積極的だ。健康に配慮し、ヨガ・ピラティスやスポーツクラブ、ゴルフなどにも積極的な傾向がみられた。「美容関連の支出」にも前向きで、一般女性の22.3%に対し、富裕層女性では44.3%と約2倍に達した。心身ともに健康で、美意識の高い女性が多いのだろうか。文化に対する意識をみると、富裕層女性は「つつましやかさ」「奥ゆかしさ」に共感を覚える傾向があり、「海外文化よりも日本文化の方がより好き」という回答が多かった(海外文化が好き:13.6%、日本文化が好き:54%)。

積極的に「次世代への投資をしていきたい」という志向もある。子供を私立に通わせたい(通いたい)、留学させたい(したい)といった意識が強かったほか、「教育にはお金を惜しまない」と回答した一般女性は45%だったのに対し富裕層では74.8%と、30ポイント近く差が開いた。教育の平等という理念からすれば、やや複雑な調査結果だ。アベノミクスが生んだ株高や富裕層の資産増は、「一般層」との教育格差をますます広げるおそれがある。

【北条かやプロフィール】

1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月『キャバ嬢の社会学』刊行。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演する。15年5月26日、最新刊『整形した女は幸せになっているのか』発売。 

 

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「親に恵まれない子供たちには “箱モノ”ではなく、ケアを担う“ヒト”への投資こそ必要~「ハリー・ポッター」原作者が設立したNGO「ルーモス」が目指すもの~

ヒット作「ハリー・ポッター」の作者が立ち上げた国際的NGOを設立

ハリー・ポッター」シリーズといえば、イギリスの作家J・K・ローリングによる児童文学の大ベストセラー。全世界で翻訳され、販売数は数億部にのぼる。世界各国で販売される関連グッズや映画の興行成績、日本ではUSJユニバーサル・スタジオ・ジャパン)でのアトラクション開業など、その経済効果は計り知れない。そんな大ヒット作を生んだローリング氏が2005年、ある国際的NGOを立ち上げたことを知る人は、あまりいないだろう。

その名は「ルーモス」。名前の由来は、シリーズ第1作から出てくる魔法の呪文「ルーモス(光よ)」だ。NGO「ルーモス」の役割は、世界中で、子供たちが施設ではなく家庭で暮らすための仕組みづくりを支援すること。特に、かつて「孤児」があふれていた東欧の貧しい国々、モルドバチェコブルガリアなどで、科学的なリサーチ結果に基づき、里親と子供のマッチングを行なったり、施設で暮らす子供の数を減らしたりする活動に取り組んでいる。

 そんなルーモスのCEOであり、「世界で最も影響のあるソーシャルワーカー30人」の1人でもある、ジョルジェット・ムルヘア氏が先日、来日した。ムルヘア氏は、ルーモスの活動成果を報告。日本で、ルーモスが取り組む「施設から家庭へ」という流れをどう作っていくか、日本に特有の問題など、議論は盛り上がった。なお、同日にはEUの政策アナリスト、アンドル・ユルモス氏も来日し、EU全体で取り組む「脱(子供の)施設化」についても講演を行なった。今回は、それらの一部始終をレポートしたい。

施設に入所している赤ちゃんの脳は、「電気的活動」が弱くなる傾向

NGO組織、ルーモスの理念は「世界中で、子供が『施設』ではなく『家庭』で育つ権利を保障する」というもの。だが日本では残念ながら、その理念が叶えられているとは、とてもいえない。何らかの事情があり、親元を離れて暮らす子供のうち約9割が、乳児院児童養護施設で暮らしている。一口に「施設」といっても、大型でいかにも“箱モノ”といった感じの施設から、子供たちが少人数で暮らすグループホームなどいろいろな形がある。ただ、どの施設も結局、「子が親と『1対1の関係性』を築く形」ではない。そこが、国際的な観点から大きな問題とされているのだ。

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(来日して講演した、国際的NGOルーモスのムルヘア氏)

施設に入所している赤ちゃんの脳は、「電気的活動」が弱くなる傾向

NGO組織、ルーモスの理念は「世界中で、子供が『施設』ではなく『家庭』で育つ権利を保障する」というもの。だが日本では残念ながら、その理念が叶えられているとは、とてもいえない。何らかの事情があり、親元を離れて暮らす子供のうち約9割が、乳児院児童養護施設で暮らしている。一口に「施設」といっても、大型でいかにも“箱モノ”といった感じの施設から、子供たちが少人数で暮らすグループホームなどいろいろな形がある。ただ、どの施設も結局「子が親と『1対1の関係性』を築く形」ではない。そこが、国際的な観点から大きな問題とされているのだ。ムルヘア氏(上記写真)によると、施設で暮らすことが子供の発達に「悪影響を及ぼすことは、科学的に証明されている」。かつて孤児が大量にあふれていた、ルーマニアブカレストで行われた研究が証拠だ。下記の図を見ていただきたい。

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(図1)ムルヘアのスライドより「施設への入所が子どもに与える影響」

  図のオレンジの部分は、脳の神経細胞が「電気的活動」を行なっていることを示している。一見して、施設に入っている子供より、そうでない子供の方が、脳の活動状態が高いことが分かる。子供の脳は、産まれた時点では6割しか完成していない。その後、約半年かけて残りの4割が完成していくが、出生してすぐ施設に入った子供の脳は、その「残り4割」の発達が、うまくいかない可能性が高いのだ。この事実は今後、その子供が成長していく過程で、社会的・心理的に大きなハードルとなる。 

 施設で幼少期を過ごした成人が、その後「売春」に関わる可能性は、同世代の10倍

彼女が紹介したある調査いわく、施設で幼年期を過ごした成人は、

  • 売春行為に関わる可能性が、同年代より10倍高い
  • 犯罪歴を持つ可能性が40倍高い
  • 自殺する可能性が500倍高い    
    という。

このすさまじい事実を前に、私達は立ち尽くすしかない。売春、犯罪、自殺。どれも、他者との「愛情」に満ちた関係をうまく築けず、結果的に自らを傷つける行為だ。これほど厳しい人生が、施設で育った子供たちを待ち受けるのはなぜか。脳の発達の「遅れ」だけが、その要因とも思われない

赤ん坊は、産まれた瞬間から「親との1対1の関係性」を前提として育つことで、健全な発達に必要不可欠な要素(=愛着、アタッチメント)を形成する。つまり、人件費の制約から「1人の職員が複数人の子供を世話する施設」では、どうしても「1対1の愛着関係」が形成されにくいのだ。施設では集団として子供をみるため、時にはしつけのために「虐待的な方法」が取られることもあるという(すべての施設がそうではないが、そういう傾向にあるということだ)。児童養護施設で育つ子供たちは、地域社会から隔絶されている。外の世界で生きていくための基本的なスキル(電車の乗り方や、飲食店での振る舞いなど)を学ぶ機会も、家庭で育つ子供に比べれば少ない。18歳で施設を出てからは、家族や社会とのネットワークがないので、貧困層に陥りやすい。さらに彼・彼女たちは、幼少期に「親との1対1の愛着関係」を築けなかったため、愛情に飢えている。だからこそDVなどの暴力や虐待、性的搾取の対象になりやすいのだ。

 先進国である日本が、なぜ、子供たちを児童養護施設で育てるのか?

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(図2 施設に養育されている子どもの数[人口1万人あたり])

上図は、1万人あたりの「施設に養育されている子供の数」。東欧のブルガリアモルドバチェコなどの貧しい国々では、施設に入る子供の割合が高いことが分かるだろう。そんな中、先進国であるはずの日本が、ブルガリア共和国とあまり変わらない状態なのは、(1)国が児童養護施設に「入所している子供1人あたりで補助金を出していること」や、(2)里親制度がなかなか根付かないこと、(3)特別養子縁組制度への理解が低いこと、などが関係している(ちなみにグラフ左端のイングランドは、先進諸国の中では「施設に入る子供の多さ」が指摘されているものの、ほとんどの施設が「5~6人規模」のグループホームで、日本によくある大型施設とは異なるのだという)。

「施設から家庭へ」の方法は「簡単」、そのために必要なものとは?

これまで、先進諸国をはじめとして、多くの国で「脱施設化」が進んできた。理由としては、施設で子供たちを育てるより、家庭や地域社会で育てる方が、結局は「国家の福祉コスト」が安く済むから……という財政上の理由もあるが、もうひとつ、「脱施設化」を進めることが、すなわち「全家庭が公的福祉サービスの恩恵を受けられる【優れた福祉国家づくり】につながるから」だ。すべての家庭に対して、平等な「子育て支援」を徹底することは、「箱モノの施設に子供たちを閉じ込めること」よりも、低コストで、かつ健全な地域コミュニティの形成にもつながる。

たとえば、貧困層と富裕層の格差が大きく、貧困層子供たちの一部は施設で育ち、その後も貧困の連鎖から抜け出せずに、生活保護などのコストが膨れ上がる社会と比較すれば、「いかなる家庭に産まれたとしても、公的な育児、教育支援のサービスが受けられ、子供が最低限のスキルを身につけた社会人として育っていける国家」の方が、健全といえるのではないか。健全という言い方が主観的ならば、貧困層と富裕層のコミュニティが分断された、ゲーテッド・コミュニティ的な国家よりも、ある程度の「格差を解消させる仕組み」が整っており、すべての家庭と子供が公的福祉の恩恵を受けられる国家の方が、結局は地域コミュニティも充実していくのではないだろうか。

 理想論かもしれない。が、ムルヘア氏によれば、知識と経験のあるソーシャルワーカーを増やし、里親を育成していくことは、結局のところ「これまで児童養護施設が提供していたサービスを、地域に担ってもらうこと」になるという。つまり「脱施設化」とは、これまで児童養護施設が果たしていた機能を、発展的な形で地域コミュニティに移し、新たな平等理念に基づいた福祉国家をつくっていくことなのだ。

 下記の図は「ルーモス」の「脱施設化プロジェクト」の結果、モルドバ共和国で施設に入っている子供がどれだけ減ったかを示すもの。7年で劇的に減ったことが分かる。

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 (図3 モルドバにおける施設の子どもの数[2007~2014年])

モルドバでは、7年間の国家的プロジェクトで、福祉を担う人材へのトレーニングを行なったという。「7年」というのは、国の福祉システムを変えるのに現実的な数字だそうだ。国の仕組みを変えるには、野心も必要だが、早急すぎてもいけない。

建物ではなく、人々への投資を

ムルヘア氏は言う。

「多くの国家は、児童養護施設などの“建物”にお金を使いたがります。しかし、本当に大切なのは、ソーシャルワーカーや里親、教育者など、“ヒト”への投資なのです。もちろん、最善の方法をとるための、大規模なリサーチも必要です。たとえば現在足りていないのは、施設を出た子供たちが、どんな生活を送っていくのか調査すること。2~4年をかけ、長期的なリサーチを行う必要があります」

箱モノにお金を使う児童政策から、子供を地域=家庭で育てる「地域コミュニティづくり」へ。そうした考え方は、子供の発達にもプラスの効果をもたらす。下記の図は、施設から里親での養育に切り替えることで、子供の発達がいかに「改善」されたかを示すものだ。「身長、歩行、会話、認知能力」いずれも、親との1対1の関係において育つことで、高い発達がみられる。

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(図4 施設から里親への移行に伴い、子供の発達にみられた改善点)

「脱施設化」がもたらす、財政的なメリット

ムルヘア氏に次いで、欧州委員会の「地域・都市政策総局」で政策アナリストを務める、アンドル・ユルモス氏が講演した。欧州では、貧しい東欧諸国を中心に「親が育てられない子供は施設で育つ」のが一般的だったが、長い時間をかけて、EU全体として「脱施設化」を進めてきた。プロジェクトの「プログラム期間」は13年に一旦終了し、現在は「欧州構造投資基金(2014~2020年)」として、第二弾の「脱施設化」が始まったところだ。

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(写真:欧州委員会の「地域・都市政策総局」政策アナリスト、アンドル・ユルモス氏[左]を交えたセッションの様子)

ユルモス氏によると、2020年までのプログラムにおける優先課題として洗い出されたのは、EUにおいて、子供、障害者、高齢者などの施設入所に関するデータが不十分であること、障害者のニーズを把握すること、福祉サービスを受ける人々の「自立生活」の条件を決めること、労働市場への参加をいかに進めるかを決定することだったという。こうした課題を洗い出し、EU全体として2020年までに「脱施設化」を進めていくそうだ。 

それにしてもなぜ、EUではなぜ「脱施設化」=地域ケアサービスへの移行 を進めるのか? 元々、欧州では親に恵まれない子供に対する「施設ケア」が普及していたが、欧州および国際レベルで、「全ての子供は家庭で育つ権利がある」という合意ができてきたことが大きなきっかけだ。2020年までに「脱施設化」を進める「欧州戦略の目標は、施設で子供が育った場合の社会的コストをリサーチし、「脱施設化」=地域ケアサービスを充実させ、包摂的な社会をつくること。これがヨーロッパ(の先進諸国)の目指す社会である。

現状、施設で育った子供たちは、成人になってからの「犯罪歴」「人身売買の被害対象になる割合」「自殺率」「売春に関わる割合」などが高いことが分かっている。これらの結果も勘案し、包括的なコミュニティづくりのためにはどんな施策が必要なのか、コミュニティベースのサービス提供は、いかにして可能なのか、プロジェクトは既に始動している。

箱モノ=「ハード」への投資ではなく、地域コミュニティ=「ソフト」への投資を

日本は欧州と異なり、東欧と英仏独などの「エリア間格差」が可視化されにくい。実際には、国内でも貧困問題が財政を圧迫している地域はあるが、その地域だけに(ルーモスがモルドバ共和国に介入したように)政府が介入するのは難しいだろう。

では、どうすればいいのだろうか。まずは、施設への「インセンティブ」を変える必要があると思う。現行の制度では、児童養護施設に対して「子供1人あたりいくら」という形で補助金が支払われている。よって、施設を運営する側が、特別養子縁組や里親とのマッチングに消極的なのだ。このインセンティブをなくさない限り、「脱施設化」=施設の機能を家庭や地域コミュニティへ移すことは、不可能だろう。東欧の事例は、子供たちにとって家庭で育つことが、プラスの効果をもたらすことを確実に示している。繰り返しになるが、結局は「箱モノ=児童養護施設」への投資よりも、「ヒト=家庭や地域コミュニティ、ソーシャルワーカーなど」への投資を増やしたほうが、親に恵まれなかった子供たちにとっても、地域全体にとっても、ひいては国家の福祉予算軽減にとっても、いずれもプラスに働くということだ。

今回、NGO組織「ルーモス」の取り組みを知ったことで、改めて「少子化と格差拡大に悩む日本政府がすべきこと」が分かった。それは施設など「ハード」への投資ではなく、ヒトと地域コミュニティという「ソフト」への投資が大切だということである

【北条かやプロフィール】

1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月『キャバ嬢の社会学』刊行。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演する。15年5月26日、最新刊『整形した女は幸せになっているのか』発売。 

 

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