ホリエモン「泣く子供に睡眠薬」には「可哀想な母親アピール」でOK?

 

堀江貴文氏が、公共交通機関内で泣く子どもに対し「舌打ちもしょうがない」「睡眠薬飲ませればいい」と発言して話題になっています。

はじまりは、駒崎弘樹氏によるこのツイート。

 これに対し堀江貴文氏が

と発言。

すると駒崎氏は、

と応じます。

堀江氏はその後、自身の経験から

と発言しています。

その後、色々あって、ついには 公共交通機関内で泣く子どもに対し「睡眠薬を飲ませたら良い」と発言し、ネットで賛否両論ライブドアニュース)という事態になりました。同氏は批判に対し「別に正論言って炎上するなら本望」と持論を繰り返しているようです。

 

堀江氏の考え方はある意味一貫している

ツイートを見ていると、彼は何度も同じことを言っています。

■ 赤ちゃんの泣き声は周囲にとって「単純に不快」なもの

■ 周囲に不快な思いをさせている以上、親は自己責任で何らかの配慮・対応をすべき

■ それができない親に怒りを覚える。これは「正論」なので批判は無効

ということです。

 

想像力が欠けている、という批判

そんな同氏には、「子連れの親の苦労に対する想像力が欠けている」という批判が多く寄せられています。一方で堀江氏は、「泣く子の親は、周囲に迷惑をかけているという想像力が欠けている」と言うわけです。互いに議論は噛み合いません。

私は子育てしたことがなく、子連れで公共交通機関を利用した経験もなく、ぐずる子どもをあやした経験もない者です。友人の苦労話を聞くことはありますが、身を持ってその辛さを味わったことがありません*1。そうした「育児の当事者ではない」者の意見ではありますが、今回の件で、数年前のある出来事を思い出しました。

海外旅行からの帰り、飛行機の中で一晩中ぐずっている赤ちゃんがいて、全く眠れなかったのです。自分はその親御さんに対し、もちろん何も言いませんでしたが*2、恥を承知で告白すると、何だかモヤっとした気持ちは残りました。本当は眠れずイライラしているのに「赤ちゃんの泣き声に不寛容な人間だとは思われたくない」と、ある意味「良い人ぶった」自分に気づいたからかもしれません(これが私の"公共心"の正体かと情けなくなりました)

なので私は、堀江氏に「泣く子に不寛容なアナタは冷徹に過ぎる」といった批判はできなさそうです。「かくいうお前は、本当に何があっても寛容でいられるか?」と、ブーメランになってしまいそうで。

どうすればいいのか(自分の場合)

もし将来、自分の子どもが公共の場で泣き出したらどうするだろう…と想像してみます。おそらく私は、周囲に「すみません、すみません…」と言ってまわると思います。

私の場合、それは不純な動機からです。過剰に謝ってみせることが、少しでも“周囲に迷惑をかけていることへの免罪符”になるような気がするのです。要は「私は頑張ってる母親なんですアピール」。自分は(多くの子育て中の方々と比べて)とてもズルい性格なので、きっとそのように過剰なアピールをするだろうと思われます。 

その心は、「自分は泣いている子どもを必死であやしているのです、でも泣き止まないのです、私はダメな母親なんです、ごめんなさい」。あくまでアピールするのは「かわいそうでダメな自分」(こんな利己的な考えじゃ子育てなんて到底できないだろうなぁと、書いてて悲しくなります…)。

 

でも「可哀想な母親アピール」をすれば、周りは何とか「仕方ないよね」と許してくれそうな気がする。私は日本社会に対し、その程度の信頼はしています。

そんなふうに「可哀想な母親」を演じてしまうだろう自分は、とても浅ましいと思う。と同時に、そんな演技をしなければ、「お前の赤ちゃんうるせーな、チッ」と言われてしまうような社会では、子どもを産みたくないなぁとも思いますが。

 

 

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

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*1:おそらくそれは想像を絶するものだと思います。正直怖いです。

*2:某漫画家のように、後でクレームをつける人はいるようですが…;