ホリエモン「泣く子供に睡眠薬」には「可哀想な母親アピール」でOK?
堀江貴文氏が、公共交通機関内で泣く子どもに対し「舌打ちもしょうがない」「睡眠薬飲ませればいい」と発言して話題になっています。
はじまりは、駒崎弘樹氏によるこのツイート。
今、新幹線で後方の席の子どもが泣いてて、隣の席の女性がうるせーな、って言いながら舌打ちしたんだけど、そういう人は新幹線自由席じゃなく、車で移動すべきだ。公共交通というのは、老若男女、色んな人が乗るもの。公共圏は、我々が当事者意識と寛容によって生み出すものだと思う。
— 駒崎弘樹:Hiroki Komazaki (@Hiroki_Komazaki) January 5, 2014
これに対し堀江貴文氏が
舌打ちくらいいいんじゃないかと思ったりするwww RT @Hiroki_Komazaki: 今、新幹線で後方の席の子どもが泣いてて、隣の席の女性がうるせーな、って言いながら舌打ちしたんだけど、そういう人は新幹線自由席じゃなく、車で移動すべきだ。公共交通というのは、
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) January 5, 2014
と発言。
すると駒崎氏は、
いや、うるせーな、とか言われると子持ちには地味に傷つくもんすよー。 "@takapon_jp: 舌打ちくらいいいんじゃないかと思ったりするwww RT: 新幹線で後方の席の子どもが泣いてて、隣の席の女性がうるせーな、って言いながら舌打ちしたんだけど、そういう人は車で移動すべき"
— 駒崎弘樹:Hiroki Komazaki (@Hiroki_Komazaki) January 5, 2014
と応じます。
堀江氏はその後、自身の経験から
赤ちゃんを新幹線とか飛行機に乗せること自体をできるだけ避けてたし、もしどうしても必要が出てきたら、できるだけ乗り物で寝るように疲れさせてたり、それでも起きて泣きそうなら、おしゃぶりを咥えさせたり色々手はあると思うんだけどなあ。少なくとも私はそうしてた。
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) January 5, 2014
そうなんだよ。甘やかしすぎ。なく子にイラつくんじゃなくて親の対応にイラつくんだよね RT @yangadget:それ以前に泣くのは当然とか騒ぐって事におんぶにだっこな親は多いですよね。最低限のケアもしないで騒がしいのはどーかと思う。逆に子供いない世代や人はその違い分からないかも
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) January 5, 2014
と発言しています。
その後、色々あって、ついには 公共交通機関内で泣く子どもに対し「睡眠薬を飲ませたら良い」と発言し、ネットで賛否両論(ライブドアニュース)という事態になりました。同氏は批判に対し「別に正論言って炎上するなら本望」と持論を繰り返しているようです。
堀江氏の考え方はある意味一貫している
ツイートを見ていると、彼は何度も同じことを言っています。
■ 赤ちゃんの泣き声は周囲にとって「単純に不快」なもの
■ 周囲に不快な思いをさせている以上、親は自己責任で何らかの配慮・対応をすべき
■ それができない親に怒りを覚える。これは「正論」なので批判は無効
ということです。
想像力が欠けている、という批判
そんな同氏には、「子連れの親の苦労に対する想像力が欠けている」という批判が多く寄せられています。一方で堀江氏は、「泣く子の親は、周囲に迷惑をかけているという想像力が欠けている」と言うわけです。互いに議論は噛み合いません。
私は子育てしたことがなく、子連れで公共交通機関を利用した経験もなく、ぐずる子どもをあやした経験もない者です。友人の苦労話を聞くことはありますが、身を持ってその辛さを味わったことがありません*1。そうした「育児の当事者ではない」者の意見ではありますが、今回の件で、数年前のある出来事を思い出しました。
海外旅行からの帰り、飛行機の中で一晩中ぐずっている赤ちゃんがいて、全く眠れなかったのです。自分はその親御さんに対し、もちろん何も言いませんでしたが*2、恥を承知で告白すると、何だかモヤっとした気持ちは残りました。本当は眠れずイライラしているのに「赤ちゃんの泣き声に不寛容な人間だとは思われたくない」と、ある意味「良い人ぶった」自分に気づいたからかもしれません(これが私の"公共心"の正体かと情けなくなりました)。
なので私は、堀江氏に「泣く子に不寛容なアナタは冷徹に過ぎる」といった批判はできなさそうです。「かくいうお前は、本当に何があっても寛容でいられるか?」と、ブーメランになってしまいそうで。
どうすればいいのか(自分の場合)
もし将来、自分の子どもが公共の場で泣き出したらどうするだろう…と想像してみます。おそらく私は、周囲に「すみません、すみません…」と言ってまわると思います。
私の場合、それは不純な動機からです。過剰に謝ってみせることが、少しでも“周囲に迷惑をかけていることへの免罪符”になるような気がするのです。要は「私は頑張ってる母親なんですアピール」。自分は(多くの子育て中の方々と比べて)とてもズルい性格なので、きっとそのように過剰なアピールをするだろうと思われます。
その心は、「自分は泣いている子どもを必死であやしているのです、でも泣き止まないのです、私はダメな母親なんです、ごめんなさい」。あくまでアピールするのは「かわいそうでダメな自分」(こんな利己的な考えじゃ子育てなんて到底できないだろうなぁと、書いてて悲しくなります…)。
でも「可哀想な母親アピール」をすれば、周りは何とか「仕方ないよね」と許してくれそうな気がする。私は日本社会に対し、その程度の信頼はしています。
そんなふうに「可哀想な母親」を演じてしまうだろう自分は、とても浅ましいと思う。と同時に、そんな演技をしなければ、「お前の赤ちゃんうるせーな、チッ」と言われてしまうような社会では、子どもを産みたくないなぁとも思いますが。
【北条かやプロフィール】
86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。
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