ウェディングドレスは「死に装束」?!
10月といえば結婚式が1年で最も多い時期ですが、美輪明宏さんが以前、朝日新聞の悩み相談でこんな発言をしていました。
よく結婚式で「おめでとう」と言いますが、まったくおめでたくないと思います。「えらいことしましたね。大丈夫ですか」というのが私の思いです。
たとえ血がつながっていても、2人以上の人間が一つ屋根の下で暮らすのはしんどいのですから、まして他人となれば、「努力」「忍耐」「あきらめ」の連続以外の何ものでもありません。
結婚というのは「決別式」。夢と自由に別れを告げ、今日から夫や子どものため、現実に取り組むという覚悟の儀式です。だからウエディングドレスの白は「死に装束」だと、私は常々言ってきました。
なるほど。真っ白なドレスを着た花嫁が(ときに)神々しくさえ見えるのは、それが「死に装束だから」かもしれません。ヴェールをかぶってヴァージンロードを歩む瞬間、花嫁は一歩一歩「死」に近づいている…その儚さが美しさにつながるのでしょう(それに対し、お色直しのカラードレスは何とぬるく品がないことか…やはり「白」は特別なのでしょう*1)。
自由を捨て、家族に縛られて生きること、イコール結婚。まあ「既婚者の墓場」なんてまとめサイトがあるくらいで、男女ともに「結婚のデメリット」を意識する向きは多いのかもしれませんが。
一方、第14回出生動向基本調査をみると、「結婚に犠牲は当然」と考える人は2002年以降どんどん増えています。
今や独身男性の6割、独身女性の半数近くが「結婚に犠牲は当然」と考えているのです。ちなみに独身女性よりも、既婚女性の方が「犠牲派」が多くなります。これは実際に結婚して不自由な思いをしたから、かもしれません。*2
厚労省のデータでは、離婚の件数は2002年の約29万件をピークに減り続けています。昨年は23万件でした。
まとめるとこうなります。
2002年以降、
1)「結婚したら家族のために自己犠牲は当然」と考える独身男女が増えている
2) 結婚した男女は、離婚しにくくなっている
これを、多くの人が「結婚に犠牲は当然である」と考え、そのような結婚生活を続けている、と解釈することもできます。
先ほども紹介した第14回出生動向基本調査では、00年代以降、「離婚は避けるべき」「生涯独身でいるのはよくない」「同棲より結婚すべき」など、伝統的な価値観をもつ独身男女が増えていると指摘されています。
良くいえば「家族の絆への意識」が高まっているということかもしれません*3。
それと同時に「理想の母親像に対する信仰(母性愛!良妻賢母!)」や「家父長制的な父親像へのあこがれ(父権再興!)」が高まったりしていなければ良いのですが。
最近では「ロンブー淳の妻、半沢の妻…今、良妻がブーム?」なんて風潮もあるようですね。
そういえば少し前、大物作家の曽野綾子氏が「出産したら会社をお辞めなさい」と発言して話題になりました。彼女の考えに賛同する人が週刊現代の編集部にいたから、ああいう記事が載ったわけです。批判もされていましたが、心中では「よくぞ言ってくれた」と拍手喝采した人も多かったはず。曽野綾子氏にとってはまさに「ウェディングドレスは死に装束」だったのかもしれません。
「男は黙って社畜となり、家族に尽くすべきだ」という昭和的な価値観には、もれなく「女はそんな男の後ろを三歩下がって付いてくべきだ」がついてきます。
「男は結婚したらATMにされるだけ」というネットの書き込みにも、わずかながら「家父長制的な家族へのこだわり」が見え隠れします。それ自体を善悪で判断することはできませんが、私たちが「昭和に戻ることはできない」ことだけは確かです。
昭和の家族制度に代わる、新たな「生産と再生産のシステム」(会社での労働と、子どもを産み育てる労働の2つをうまく回す方法)が、今はまだ確立されていないのです。
だからこそ「結婚に犠牲は当然」という考えに賛同する人が増えるのでしょう。
コメントはTwitterアカウント @kaya8823に頂けると幸いです。
※Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。