スクールカーストを生き抜くためのキャラ

最近の若者はキャラによって自分を演じ分けているらしい。中学生を対象とした調査*1によると、教室内での地位とキャラに対する考え方には相関があるそうです。これが本当に若者のリアルを現しているかはわかりませんが、集団の中での自分を、キャラという側面から考えてみるのは面白いと思います。



突然暗い話題で恐縮ですが、自分は小学校から中1まで完全なる「仲間外れキャラ」でした。いじめられっ子というわけではなかったのですが、3人グループにいるといつの間にか自分以外の2人が仲良くするようになっている。こっちは3人で仲良くしたいのに、あちらは私を除いた2人でどんどん仲良くなっていくのです。これが割と辛かった…義務教育期間はもう友達関係が全てですから

 

 

どうにかしてその2人の間に入ろうと、ときには媚び、ときには他人の悪口まで言い、仲良くしてもらおうとするわけです。ところがそんな行動を取れば取るほど、自分以外の2人は離れていってしまう。

 

 

自分は中くらいのグループにいたのでより上位のグループに入れてもらおうと必死だったのですね。あの子たちと仲良くできるなら、他の子の悪口だって言っちゃうぞ。でも私だって、誰かから影口を叩かれているかもしれない。昨日の親友は今日の敵です。まさに戦国小学生時代…

 

 

そんな学校生活に齢13にして疲れ切った私は、中2で「誰の悪口も言わない=特定の誰かに肩入れしない」「いじられキャラになるのを厭わない」ことを決めました。

 

 

女子には他のグループの悪口を言うことで連帯を強くする因習があります。でも当時の私のように、特に立場の弱い人間などは言った内容がそのまま告げ口されて伝わり、自分の立場を危うくしてしまう。それならもう誰の悪口も言うまい。

 

 

当時はミニモニ。が流行っており、ツインテールにしていた私は友達から「ロリコンロリコン」といじられていました(今思えば意味不明ですけど)。初めは嫌だったのですが、そのうち「これはもしかして、オイシイのではないか」と思うようになりました。そして「人の悪口を言わないこと」、「いじられても嫌な顔をしないこと」を徹底したのです。するとグループ抗争に巻き込まれることもなく、そこそこ快適な学校生活を送ることができました。いじられている間はみんなで楽しく過ごせるうえに、人の悪口を言わないことによって敵も作らないからです*2

 

 

人の悪口さえ言わなければ誰からも攻撃されることはない。あったとしてもその相手からの攻撃にそれほどの根拠はないので、こちらが不利になることはありません。女子のグループ内でうまくサバイブするには、徹底して相手を攻撃しないことなのです

 

 

人の悪口を言わないようにするためには、人の噂話に興味を持たないことも重要です。他人のゴシップにやたらと首を突っ込むのは、その人の悪口を言っているも同然だからです。

 

 

そうしてひょうひょうと過ごしているうち、かやは「変わってるけど良い子」キャラを確立しました。このキャラは割と楽で、時々変なことを言っても「あの子変わってるから」で見逃してもらえます*3

 

 

高校時代にはすっかり、「良い子だけど時々空気を読まない真面目な変わり者キャラ」が完成していました。当時のクラスの女子は幾つかのグループに分かれており、それぞれが互いをゆるーくdisり合いつつ共存していたのですが、そんな中でも私は徹底して、人の悪口を言わなかった。かつ、「変わってるねー」といじられてもそれを否定することなく、ニコニコと笑っていたのです。

 

 

このキャラを貫くと結果的に、グループのリーダー格のなりそうな強い女子が守ってくれるようになりました。強い女子は義を重んじるのです。寄らば大樹の陰と言われそうですが、かやはそんな自分のことを、そこまでズルくはないと思っています。自衛のために良い子を貫いただけなので…。



 

冒頭で少し触れましたが、中学生を対象とした調査*4では、教室内での地位が「低」または「いじられ」である場合に「自分はキャラを演じている」と回答する率が高いそうですスクールカーストの上位者は周りに対して「自分」を堂々と認めさせることができるけれど、それ以外の子たちは適当にキャラを演じてサバイバルしている。殺伐とした教室のリアルが目に浮かぶようですね。

 

 

私などまさにその典型で、クラスでの地位が「中」かつ「いじられ」であったため、「ちょっと変わった良い子キャラ」を作ってなんとかサバイブしてきたわけです

 

 

さて、そのキャラは次第に顔から剥がせなくなり、今に至ります。まあ別にいいんですけれどね、そこそこ楽しいし快適だから。あと人の悪口を言わないのは、精神衛生的にも良い。

 

 

ただ「人の悪口さえ言わなければこちらが攻撃されることはない」という私のスタンスは危うくもあります他人の悪い面を見ないようにしているうち、他人の性格や発話自体に興味を失ってしまうのですオイディプス王じゃないけれど、自分の目を潰してしまえば何も見なくて良いから楽なのですね。というわけで、かやは友達の悪い面を見なくなった代わりに、他人への興味も少し失って今に至ります。人の噂話どころか、人にすら興味がない…見る人が見たら、かやってイヤな奴でしょうね。

 

 

神戸連続児童殺傷事件の少年Aは自分を「透明な存在」と表現しました。この言葉は多くの10代の心を捉え、「共感」を集めたそうですが、自分もある意味「透明な存在」でやってきたのだと思います。今になって思えばどんなグループにも溶け込めるよう、ときには余計な自我を消すことも必要だったのだと。や、別に私は酒鬼薔薇聖斗本人に対して特別な親しみを抱いたりはしませんが

 

 

長々と自分語りにお付き合い頂きありがとうございました。次回は得意のagehaネタでいきたいと思いますw ではではっ

 

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