痴漢は身体の万引きか

こんばんは、寒くなりましたね。みなさま秋の夜長をいかがお過ごしでしょうか。今日は久しぶりの更新です。突然ですが先日、真夜中に新宿某所のドン◯ホーテで痴漢に遭いまして。もちろん今でも思い出すとゲェ…とか思うわけですが、そこは転んでもタダでは起きないかやです。今回は、その時に感じたことを掘り下げてえぐってみることにしました。

 

痴漢に遭ったのは本当にすれ違いざまの一瞬で、声を上げる間もなく加害者(黒いジャンパーみたいなのを着た自分より身長が低い中年男性ですが)は逃げてしまい捕まえられませんでした。

 

最初は何が起きたのか分からなかったのですが、ハっと我に返った瞬間に思ったのは「声をあげなきゃ」ってことで、できる限り勇気を出して「触らないで下さいよ!!」って言ったのですね。でも犯人は振り向きもせず逃げてしまい…追いかけようかと思ったが、足がすくんで動かない。

 

で、そんな自分に「加害者に敬語使ってどうするねん!」等とツッコミを入れながらも、自分から楽しい休日を奪った犯人を憎む気持ちがふつふつと湧いて来ました。

 

2分ほど経ち少し冷静になって思ったのは、「痴漢に遭うのは若い女の代償なのか。そんな特権いらないから早く、欲望されない中年になりたい…」ということです。そして同時に「自分は男が横にいないと身体ひとつ守れない脆弱な存在なのか」とも思いました。

 

たとえばセクハラ的な視線を浴びせる男社会に対抗して、あえてミニスカートを履き女として 「見せる主体」になろうとしても、横に男がいないと結局、隙間から滑りこむ性暴力を交わすことさえできない。男の視線を逆手に取って「見せる主体」たろうとする行動が、実は男の保護下でしか機能しないというジレンマにぶち当たったわけです。そんなこと理論的には分かっていたものの、実際に体感してみると割とやるせない。

 

そこで家に帰ってから痴漢というものについて考えてみたのですが、かやは痴漢加害者の気持ちって全く分からないのです。彼らは万引きでもするような感覚なのでしょうか…お金を払えば性的サービスは手に入るが、タダでは絶対に触らせてくれない身体をタダで陵辱する、おまけにスリルもあるという動機だとしたら、浅ましいと思う

 

万引きは犯罪です」も「痴漢は犯罪です」もよく見るコピーだけど、どちらもお金を払わずに 商品を手に入れようという根性だとすれば、ずるいしタチが悪いと思うわけです万引きする者は品物の対価を払っていないし、痴漢加害者は性的サービスの対価を払っていない。いや、万引き痴漢を一緒にするな、女の身体は売り物じゃない…と言いたいところですが、この社会ではそうはいかない。

 

というのも小学生の頃から「援交する女子高生たち」をメディアでさんざん見てきた自分は、この社会で(男女年齢関係なく)性的な存在は商品たることを避けられないと思っているからです。寂しいけど、女の性がカジュアルに商品になることは当たり前だと思うんだよね。だからあえてこういう言い方をするが、痴漢加害者はタダで性的満足を得ているから許せない。

 

もちろん、痴漢に対する不快感の大部分は自分の身体が何者かに侵犯を受けることの恐怖であったわけです。だけど、自分の中にはほんの一部「タダで触らせてしまった!悔しい」って感情もあったんだよね。性的価値の高い(とされている) 身体に触れたいならそれなりの対価を払って下さいよという。

 

対価を払ったからといって相手(この場合は若い女)がそれを提供してくれるとは限らないが、だったらそういうサービスを提供してくれる性風俗店なりに行けばよい。とにかくタダで性的快楽を得ようとするそのズルい感情が自分 の身体に向けられたことへの、嫌悪感があったのです。



だからタダで痴漢するオヤジとキャバクラに行ってセクハラするオヤジとでは、後者のほうがほんの少しだけマシだと思う。対価としては少ないにしろ、一応はサービスに対しておカネを払っているからね。

 

もちろんセクハラ加害者を擁護するつもりは毛頭ないけれど、 自分の痴漢に対する不快感のうち数%は、彼らがタダで快楽を得ようとする点にあるのです。そんなセコい感情のために、私の、そして多くの若い女性の身体を犯さないで下さい。性的快楽を得たいならそれ相応の対価を払ってもらわなくては。だって誰も、深夜の店内をうろうろして痴漢できそうな女性を探し回 るあなたみたいな存在に身体を売りたいとは思わないのですし、という怒りですね。



痴漢は性的サービスをタダで手に入れようとするから浅ましい」。こういう考え方はきっと性の商品化に反対する向きからすれば反動的と映るかもしれない。だがこの資本主義社会で「性」が商品になることが避けられないなら、徹底的に高く売るべき、もしくはここが重要なんだけど、「売りたくない性は守られるべき」だと私は思う*1

 

いや、高くなり過ぎた価値はいつか暴落するんですけれどね。そのタイミングを自分でコントロールできないのが辛いですね。いっそ「モテ」や女らしさなど放棄して、ナンシー関のように我が道を行くか。だがそこまでの勇気もなく、今日もかやは男目線の盛り顔づくりに余念がないのでした。はよ寝よ。

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