「親に恵まれない子供たちには “箱モノ”ではなく、ケアを担う“ヒト”への投資こそ必要~「ハリー・ポッター」原作者が設立したNGO「ルーモス」が目指すもの~

ヒット作「ハリー・ポッター」の作者が立ち上げた国際的NGOを設立

ハリー・ポッター」シリーズといえば、イギリスの作家J・K・ローリングによる児童文学の大ベストセラー。全世界で翻訳され、販売数は数億部にのぼる。世界各国で販売される関連グッズや映画の興行成績、日本ではUSJユニバーサル・スタジオ・ジャパン)でのアトラクション開業など、その経済効果は計り知れない。そんな大ヒット作を生んだローリング氏が2005年、ある国際的NGOを立ち上げたことを知る人は、あまりいないだろう。

その名は「ルーモス」。名前の由来は、シリーズ第1作から出てくる魔法の呪文「ルーモス(光よ)」だ。NGO「ルーモス」の役割は、世界中で、子供たちが施設ではなく家庭で暮らすための仕組みづくりを支援すること。特に、かつて「孤児」があふれていた東欧の貧しい国々、モルドバチェコブルガリアなどで、科学的なリサーチ結果に基づき、里親と子供のマッチングを行なったり、施設で暮らす子供の数を減らしたりする活動に取り組んでいる。

 そんなルーモスのCEOであり、「世界で最も影響のあるソーシャルワーカー30人」の1人でもある、ジョルジェット・ムルヘア氏が先日、来日した。ムルヘア氏は、ルーモスの活動成果を報告。日本で、ルーモスが取り組む「施設から家庭へ」という流れをどう作っていくか、日本に特有の問題など、議論は盛り上がった。なお、同日にはEUの政策アナリスト、アンドル・ユルモス氏も来日し、EU全体で取り組む「脱(子供の)施設化」についても講演を行なった。今回は、それらの一部始終をレポートしたい。

施設に入所している赤ちゃんの脳は、「電気的活動」が弱くなる傾向

NGO組織、ルーモスの理念は「世界中で、子供が『施設』ではなく『家庭』で育つ権利を保障する」というもの。だが日本では残念ながら、その理念が叶えられているとは、とてもいえない。何らかの事情があり、親元を離れて暮らす子供のうち約9割が、乳児院児童養護施設で暮らしている。一口に「施設」といっても、大型でいかにも“箱モノ”といった感じの施設から、子供たちが少人数で暮らすグループホームなどいろいろな形がある。ただ、どの施設も結局、「子が親と『1対1の関係性』を築く形」ではない。そこが、国際的な観点から大きな問題とされているのだ。

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(来日して講演した、国際的NGOルーモスのムルヘア氏)

施設に入所している赤ちゃんの脳は、「電気的活動」が弱くなる傾向

NGO組織、ルーモスの理念は「世界中で、子供が『施設』ではなく『家庭』で育つ権利を保障する」というもの。だが日本では残念ながら、その理念が叶えられているとは、とてもいえない。何らかの事情があり、親元を離れて暮らす子供のうち約9割が、乳児院児童養護施設で暮らしている。一口に「施設」といっても、大型でいかにも“箱モノ”といった感じの施設から、子供たちが少人数で暮らすグループホームなどいろいろな形がある。ただ、どの施設も結局「子が親と『1対1の関係性』を築く形」ではない。そこが、国際的な観点から大きな問題とされているのだ。ムルヘア氏(上記写真)によると、施設で暮らすことが子供の発達に「悪影響を及ぼすことは、科学的に証明されている」。かつて孤児が大量にあふれていた、ルーマニアブカレストで行われた研究が証拠だ。下記の図を見ていただきたい。

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(図1)ムルヘアのスライドより「施設への入所が子どもに与える影響」

  図のオレンジの部分は、脳の神経細胞が「電気的活動」を行なっていることを示している。一見して、施設に入っている子供より、そうでない子供の方が、脳の活動状態が高いことが分かる。子供の脳は、産まれた時点では6割しか完成していない。その後、約半年かけて残りの4割が完成していくが、出生してすぐ施設に入った子供の脳は、その「残り4割」の発達が、うまくいかない可能性が高いのだ。この事実は今後、その子供が成長していく過程で、社会的・心理的に大きなハードルとなる。 

 施設で幼少期を過ごした成人が、その後「売春」に関わる可能性は、同世代の10倍

彼女が紹介したある調査いわく、施設で幼年期を過ごした成人は、

  • 売春行為に関わる可能性が、同年代より10倍高い
  • 犯罪歴を持つ可能性が40倍高い
  • 自殺する可能性が500倍高い    
    という。

このすさまじい事実を前に、私達は立ち尽くすしかない。売春、犯罪、自殺。どれも、他者との「愛情」に満ちた関係をうまく築けず、結果的に自らを傷つける行為だ。これほど厳しい人生が、施設で育った子供たちを待ち受けるのはなぜか。脳の発達の「遅れ」だけが、その要因とも思われない

赤ん坊は、産まれた瞬間から「親との1対1の関係性」を前提として育つことで、健全な発達に必要不可欠な要素(=愛着、アタッチメント)を形成する。つまり、人件費の制約から「1人の職員が複数人の子供を世話する施設」では、どうしても「1対1の愛着関係」が形成されにくいのだ。施設では集団として子供をみるため、時にはしつけのために「虐待的な方法」が取られることもあるという(すべての施設がそうではないが、そういう傾向にあるということだ)。児童養護施設で育つ子供たちは、地域社会から隔絶されている。外の世界で生きていくための基本的なスキル(電車の乗り方や、飲食店での振る舞いなど)を学ぶ機会も、家庭で育つ子供に比べれば少ない。18歳で施設を出てからは、家族や社会とのネットワークがないので、貧困層に陥りやすい。さらに彼・彼女たちは、幼少期に「親との1対1の愛着関係」を築けなかったため、愛情に飢えている。だからこそDVなどの暴力や虐待、性的搾取の対象になりやすいのだ。

 先進国である日本が、なぜ、子供たちを児童養護施設で育てるのか?

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(図2 施設に養育されている子どもの数[人口1万人あたり])

上図は、1万人あたりの「施設に養育されている子供の数」。東欧のブルガリアモルドバチェコなどの貧しい国々では、施設に入る子供の割合が高いことが分かるだろう。そんな中、先進国であるはずの日本が、ブルガリア共和国とあまり変わらない状態なのは、(1)国が児童養護施設に「入所している子供1人あたりで補助金を出していること」や、(2)里親制度がなかなか根付かないこと、(3)特別養子縁組制度への理解が低いこと、などが関係している(ちなみにグラフ左端のイングランドは、先進諸国の中では「施設に入る子供の多さ」が指摘されているものの、ほとんどの施設が「5~6人規模」のグループホームで、日本によくある大型施設とは異なるのだという)。

「施設から家庭へ」の方法は「簡単」、そのために必要なものとは?

これまで、先進諸国をはじめとして、多くの国で「脱施設化」が進んできた。理由としては、施設で子供たちを育てるより、家庭や地域社会で育てる方が、結局は「国家の福祉コスト」が安く済むから……という財政上の理由もあるが、もうひとつ、「脱施設化」を進めることが、すなわち「全家庭が公的福祉サービスの恩恵を受けられる【優れた福祉国家づくり】につながるから」だ。すべての家庭に対して、平等な「子育て支援」を徹底することは、「箱モノの施設に子供たちを閉じ込めること」よりも、低コストで、かつ健全な地域コミュニティの形成にもつながる。

たとえば、貧困層と富裕層の格差が大きく、貧困層子供たちの一部は施設で育ち、その後も貧困の連鎖から抜け出せずに、生活保護などのコストが膨れ上がる社会と比較すれば、「いかなる家庭に産まれたとしても、公的な育児、教育支援のサービスが受けられ、子供が最低限のスキルを身につけた社会人として育っていける国家」の方が、健全といえるのではないか。健全という言い方が主観的ならば、貧困層と富裕層のコミュニティが分断された、ゲーテッド・コミュニティ的な国家よりも、ある程度の「格差を解消させる仕組み」が整っており、すべての家庭と子供が公的福祉の恩恵を受けられる国家の方が、結局は地域コミュニティも充実していくのではないだろうか。

 理想論かもしれない。が、ムルヘア氏によれば、知識と経験のあるソーシャルワーカーを増やし、里親を育成していくことは、結局のところ「これまで児童養護施設が提供していたサービスを、地域に担ってもらうこと」になるという。つまり「脱施設化」とは、これまで児童養護施設が果たしていた機能を、発展的な形で地域コミュニティに移し、新たな平等理念に基づいた福祉国家をつくっていくことなのだ。

 下記の図は「ルーモス」の「脱施設化プロジェクト」の結果、モルドバ共和国で施設に入っている子供がどれだけ減ったかを示すもの。7年で劇的に減ったことが分かる。

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 (図3 モルドバにおける施設の子どもの数[2007~2014年])

モルドバでは、7年間の国家的プロジェクトで、福祉を担う人材へのトレーニングを行なったという。「7年」というのは、国の福祉システムを変えるのに現実的な数字だそうだ。国の仕組みを変えるには、野心も必要だが、早急すぎてもいけない。

建物ではなく、人々への投資を

ムルヘア氏は言う。

「多くの国家は、児童養護施設などの“建物”にお金を使いたがります。しかし、本当に大切なのは、ソーシャルワーカーや里親、教育者など、“ヒト”への投資なのです。もちろん、最善の方法をとるための、大規模なリサーチも必要です。たとえば現在足りていないのは、施設を出た子供たちが、どんな生活を送っていくのか調査すること。2~4年をかけ、長期的なリサーチを行う必要があります」

箱モノにお金を使う児童政策から、子供を地域=家庭で育てる「地域コミュニティづくり」へ。そうした考え方は、子供の発達にもプラスの効果をもたらす。下記の図は、施設から里親での養育に切り替えることで、子供の発達がいかに「改善」されたかを示すものだ。「身長、歩行、会話、認知能力」いずれも、親との1対1の関係において育つことで、高い発達がみられる。

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(図4 施設から里親への移行に伴い、子供の発達にみられた改善点)

「脱施設化」がもたらす、財政的なメリット

ムルヘア氏に次いで、欧州委員会の「地域・都市政策総局」で政策アナリストを務める、アンドル・ユルモス氏が講演した。欧州では、貧しい東欧諸国を中心に「親が育てられない子供は施設で育つ」のが一般的だったが、長い時間をかけて、EU全体として「脱施設化」を進めてきた。プロジェクトの「プログラム期間」は13年に一旦終了し、現在は「欧州構造投資基金(2014~2020年)」として、第二弾の「脱施設化」が始まったところだ。

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(写真:欧州委員会の「地域・都市政策総局」政策アナリスト、アンドル・ユルモス氏[左]を交えたセッションの様子)

ユルモス氏によると、2020年までのプログラムにおける優先課題として洗い出されたのは、EUにおいて、子供、障害者、高齢者などの施設入所に関するデータが不十分であること、障害者のニーズを把握すること、福祉サービスを受ける人々の「自立生活」の条件を決めること、労働市場への参加をいかに進めるかを決定することだったという。こうした課題を洗い出し、EU全体として2020年までに「脱施設化」を進めていくそうだ。 

それにしてもなぜ、EUではなぜ「脱施設化」=地域ケアサービスへの移行 を進めるのか? 元々、欧州では親に恵まれない子供に対する「施設ケア」が普及していたが、欧州および国際レベルで、「全ての子供は家庭で育つ権利がある」という合意ができてきたことが大きなきっかけだ。2020年までに「脱施設化」を進める「欧州戦略の目標は、施設で子供が育った場合の社会的コストをリサーチし、「脱施設化」=地域ケアサービスを充実させ、包摂的な社会をつくること。これがヨーロッパ(の先進諸国)の目指す社会である。

現状、施設で育った子供たちは、成人になってからの「犯罪歴」「人身売買の被害対象になる割合」「自殺率」「売春に関わる割合」などが高いことが分かっている。これらの結果も勘案し、包括的なコミュニティづくりのためにはどんな施策が必要なのか、コミュニティベースのサービス提供は、いかにして可能なのか、プロジェクトは既に始動している。

箱モノ=「ハード」への投資ではなく、地域コミュニティ=「ソフト」への投資を

日本は欧州と異なり、東欧と英仏独などの「エリア間格差」が可視化されにくい。実際には、国内でも貧困問題が財政を圧迫している地域はあるが、その地域だけに(ルーモスがモルドバ共和国に介入したように)政府が介入するのは難しいだろう。

では、どうすればいいのだろうか。まずは、施設への「インセンティブ」を変える必要があると思う。現行の制度では、児童養護施設に対して「子供1人あたりいくら」という形で補助金が支払われている。よって、施設を運営する側が、特別養子縁組や里親とのマッチングに消極的なのだ。このインセンティブをなくさない限り、「脱施設化」=施設の機能を家庭や地域コミュニティへ移すことは、不可能だろう。東欧の事例は、子供たちにとって家庭で育つことが、プラスの効果をもたらすことを確実に示している。繰り返しになるが、結局は「箱モノ=児童養護施設」への投資よりも、「ヒト=家庭や地域コミュニティ、ソーシャルワーカーなど」への投資を増やしたほうが、親に恵まれなかった子供たちにとっても、地域全体にとっても、ひいては国家の福祉予算軽減にとっても、いずれもプラスに働くということだ。

今回、NGO組織「ルーモス」の取り組みを知ったことで、改めて「少子化と格差拡大に悩む日本政府がすべきこと」が分かった。それは施設など「ハード」への投資ではなく、ヒトと地域コミュニティという「ソフト」への投資が大切だということである

【北条かやプロフィール】

1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月『キャバ嬢の社会学』刊行。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演する。15年5月26日、最新刊『整形した女は幸せになっているのか』発売。 

 

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