モテとは「利他の心」である?

元No.1キャバ嬢で、現在は作家やタレントとして活躍する立花胡桃(たちばな・くるみ)さんのモテテク本『不二子の掟(おきて)』を読んだら「モテとは何か」について考え込み、寝付けませんでした。

よくあるモテ本と少し違うのは、小説形式で「派遣社員の不二子が、商社で目的の男をゲットし、プロポーズされるまで」を描いているところ。だから、モテ本に苦手意識のある自分のような女が読んでも、妙にリアリティがあるのです。 

主人公の不二子は地方出身。家賃4万の木造アパートに住んで、派遣OLをしています。彼女の目的は「最高に素敵な結婚相手をゲットすること」。そのための努力は惜しみません。毎朝5時に起きて1時間半の半身浴、美顔ローラーに美容ドリンク、顔パック。地味顔を整形級に可愛くするお化粧テクニックの探求、補正下着で体型を偽装するため、胃まで締め付けられる苦痛を味わい、パンパンに脚をむくませるハイヒールの不快さと痛みも我慢。ビジネスマン向け雑誌を読むなど「ターゲットの研究」も怠りません。彼女のエネルギーは全て、モテるために注がれています。 

FRISK1粒で相手との距離を縮める

不二子が男性を惹きつけるテクニックは、思わず「うわぁ」となるものばかりでした。たとえば「意中の相手との距離を縮めるためには、アメやガムではなく、FRISKが使える!」など。飲み会の後など、FRISKを渡すと必然的に手を添えてボディタッチになります。計算して相手の手のひらに3粒出し、「出し過ぎちゃった♪」と、1粒は自分が食べる。他にもまあ、男性心理を研究し尽くしたモテテクが満載なわけですが、「これだから計算高い女は…」という感情が不思議と湧いてこないのは、不二子が「利己的なように見えて、実は利他的」だからです

利己的なのに、結局「人を喜ばせる」不二子

不二子の目的は、商社マンの彼と結婚すること。おそらくは学歴も、立派な職歴もない不二子にとって、結婚は「将来の生活保障」です。そのために男性を「落とす」わけですから、一見かなり利己的な感じがします。が、彼女がやっていることは(基本的に)相手の気持ちを読み、喜ばせることばかり

飲み会後の彼のためにウコンドリンクを用意したり、しかるべきタイミングで彼が喜ぶメールを送ったり(もちろん、ウザいメールは送りません)、デート中は彼を楽しませるため、最大限の配慮をします。薄給なのにお金を惜しむことなく、今まで彼が経験したことのないようなサプライズデートを計画し、喜ばれるプレゼントを贈る。彼のみならず、世の男性が不快にならないファッションやメイク、振る舞いを心がけているのです。

家賃4万のボロアパートを出た瞬間から、不二子にとって世界はランウェイ。彼女は「他人の目」を過剰なまでに意識し、内面化しているのでした。常に相手を観察し、その蓄積から「こういう時、この男(女)はこう思っているだろう。こうすれば喜ぶだろうから、こうしよう」と、相手の気持ちを想像し、行動に移すのです。

森岡正博氏の『草食系男子の恋愛学』では、「相手の身になって考えること」の重要性が説かれています*1。こちらの理想像だけを押し付けていては、恋愛は成立しないのでしょう。「ハイスペックな彼との結婚」という、一見「利己的」な目的のために「相手の身になって行動する」不二子。その振る舞いは、実のところ「利他的」です。だからこそ、恋は成就したのです。

モテ本には「他者」がいない

とかく、モテ本というのは「相手の姿が見えない」ものです。二村ヒトシ氏の『すべてはモテるためである』には、表面的なマニュアルを批判する「女性の声」が登場します。

「だいたいさ、そういうマニュアルって(中略)せいぜいB型はこう攻めろとか、お嬢様タイプはこうでギャルはこうとか、そういう分類でしょ。【あたし】はどこにいるのよ? あたしを口説きたいんでしょ? (中略)恋愛とかセックスとかって、一人ひとり やりかたが微妙にちがって、それが楽しいのに」(二村ヒトシ前掲書、p.28)

モテ本にはだいたい【あたし】=具体的な「他者」がいません。「どこにでもいそうだけど、いない男」や「女」をモデルにして、それを「落とすテク」やら「男とは、女とは~~」などの御託を並べているだけなので、どこか空疎なのですね。

女性ファッション誌の「着回し特集」では、よく「付き合って3年目になる、彼氏のタクヤ」みたいなキャラクターが登場します。が、そんな記号を前に「愛され服はこうですよ」と言われても、リアリティに欠ける。これも「彼氏のタクヤ」というキャラ=記号に「他者性」がないからでしょう(『不二子の掟』は小説仕立てになっており、落としたい相手が登場人物として具体的に描かれるので、この「他者がいない問題」を多少はクリアできているのだと思われます)。

モテたいなら利他的であれ

具体的な「他者」を前にした「モテたい欲求」は、おそらく、マニュアルでは回収しきれないリアルなものなんだと思います。そこでは常に「相手の身になって」利他的に行動することが求められる。草食系男子の恋愛学』でも『すべてはモテるためである』でも、『不二子の掟』でも、共通しているのは「相手が嫌がることはするな、相手が喜ぶことをしろ、そうすればモテる(恋愛が上手く行きやすい)」というシンプルな法則です。好きな人の気持ちを想像し、理解して行動しろということですね。こちらの知識をひけらかしたり、欲求を押し付けたりしている人間が「モテたい、愛されたい」なんて言っても、そりゃあ無理でしょうよ……という(当たり前といえば当たり前ですが、これができないから皆、苦しむのかもしれません)。

「相手の身になって行動しろ」というのは、「徹底的に利他的であれ」とも解釈できます。利他的であるためには、他人の利益になることをしなければなりませんから、けっこう大変です。相手が何をして欲しいか、分かろうとする必要がありますし、それなりの努力や出費も必要になる。そういう振る舞いが自然にできる人もいるのでしょうが、不二子のように、経験とトレーニングで身につける人もいます。

他人を喜ばせる「利他性」を努力で身につけるなんて、面倒でしょうか。でも、それをしないまま恋愛感情を押し付けると、二村ヒトシ氏が言うところの、モテない人=「キモチワルイ人」になってしまうのかもしれません。「モテとは利他の心なり」と理解した次第です。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

*1:同じことは二村ヒトシ氏の『すべてはモテるためである』でも書かれています。