40年前のあさま山荘事件にみる、テレビの「現実」

日経新聞が、72年の「あさま山荘事件」について大きく取り上げていました。

映像の力 報道変える「1億総観戦」あさま山荘の戦場 ~警察、世論意識しメディア対策~(有料会員限定の記事です)

あさま山荘事件」を新聞社が振り返るとき、それはたいてい「国民がテレビ中継でリアルタイムに事件を"目撃"した、エポックメイキングな出来事」として描かれます。日経によると、10時間を超える中継の視聴率は最高で98.2%。テレビを見ていた国民のほとんどが、事件の様子をリアルタイムで共有していたことになります。

あさま山荘事件の中継は事件・事故報道に大きなインパクトを与えた。リアルタイムの映像の圧倒的迫真力は人々の感情を強烈に揺さぶった。

(※引用者注:事件を現場から実況した元日本テレビアナウンサーの)久能氏は「翌日、どの新聞も大報道だったが、臨場感を感じなかった。テレビ画面が訴える力を感じた。それまでテレビ報道は新聞の後追いが多かったが、テレビ時代が幕を開け、ニュースが変わっていくと思った」と話す。(日経電子版「1億総観戦 あさま山荘の戦場」より引用)

今から約40年前のあさま山荘事件は、新聞ではなく「テレビ」が報道の中心に踊りでる契機となりました。世論や事件そのものを、テレビが「つくりだしていく」時代になったといえるかもしれません。

あさま山荘事件の収束で、日本は「虚構の時代」へ

社会学や思想史の分野では、あさま山荘へとつながる一連の「連合赤軍事件」を、時代を象徴する出来事だと指摘する人が結構います*1

大澤真幸氏は、戦後日本を「理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代」の3区分から分析。「理想の時代」から「虚構の時代」へと移り変わる転換点に「連合赤軍事件」があるといいます。

「理想の時代」とは、敗戦~高度成長期のこと。人々がアメリカ的な豊かさの実現を「理想」として共有できた時代です。ところが70年代に入ると、オイルショックで経済は停滞。「物質的な豊かさを追い求めること=理想」は、空疎なものになっていきます。

目的を担保する理想が失われ、「何が理想か分からない」時代へ。ここからが「虚構の時代」なのですが、理想から虚構へと時代の空気が変わるターニングポイントが、72年の連合赤軍事件というわけです

連合赤軍の若者たちが、身内を「総括」した理由

大澤真幸氏は北田暁大氏との対談*2で、次のように発言しています。

ぼくが連合赤軍の経験を重要視するのは、それが、理想の時代から虚構の時代への転換を画する蝶番(ちょうづがい)の位置にあるからです

どうして理想が空疎かというと、…理想の否定だけが理想だという段階に達してしまっているわけです。だから、(※引用者注:理想は)それ自体としてほとんど内容がない

だから、理想をまさに理想たらしめているのは、その客観的な内容ではなく、それに対する主体的なコミットメントの強度だけになってしまう。そういうなかで、『総括』ということが起きるのではないでしょうか」(『歴史の<はじまり>』2008年、左右社.p.28-9より抜粋、引用

 かつて皆が共有できた「理想」が、経済停滞によって、空疎で中身のないものになってしまった。連合赤軍事件を起こした若者たちは、最後の悪あがきといいますか、「総括」によって空疎な「理想」を達成しようとしたのです。が、いくら総括(理想を基準にした自己反省)をしても、「共産主義の地平」に達することができたかどうかなど、誰にも分かりません。案の定、中身のない「理想」を追い求めた総括は終わらず、12名の犠牲者を出しました。連赤の若者たちは「理想」を目指した結果、最終的には同志を殺し、自己否定に陥ったわけです。

「虚構の時代」とテレビの時代

70年代以降の若者は「シラケ世代」なんて呼ばれます。空疎な「理想」を追い求め、結局、自己否定に陥った連赤の若者たちを反面教師にするかのように、対象からあえて距離をとる「アイロニカルな態度*3」が時代の空気となりました。大澤真幸氏の言う「虚構の時代」の始まりです。

理想から虚構の時代へと移り変わるターニングポイント=「あさま山荘事件」が、「テレビの時代の始まり」と重なるのは象徴的だなぁと思います。

日経の回顧記事を読むと、

国民は画面に映る「戦闘場面」を食い入るように見続けた。(中略)「すじ書きのないドラマ、いや、ドラマにはない真実のもつ迫力が、人々をテレビの画面にひきつけたと考えられる。人質の命は、犯人の末路は……、人々は現実の事態の展開に、真のスリルとサスペンスを感じていた」(『テレビ視聴の30年』) (日経電子版「1億総観戦 あさま山荘の戦場」より引用)

 とあります。“画面に映る「戦闘場面」”とカッコでくくられているように、テレビが人々の「現実」を作り出す時代になったとも読めるでしょう。テレビの普及率は、事件のあった72年あたりから、8割を超えています。新聞よりも「テレビ」がリアルな報道の中心となっていく時代を、あさま山荘事件は象徴しているのです。(↓赤い線が、カラーテレビの普及率です)

f:id:kaya8823:20140420175754p:plain

「統計から見る日本の工業」工業製品のいま、昔| 経済産業省より引用、◯と矢印、「1972年」を追加)

連合赤軍の若者たちは、人々にとって「理想」がもはや、空疎なものであることを体現してしまった。その「理想の時代」の終わりを、「理想」=物質的な豊かさの象徴であった「テレビ」が生中継していたというのは、因果なものだと思います。以上、あさま山荘事件についての雑感でした。

<追記>

「テレビ」が、自分たちの作り出す「現実」に気づき、「テレビ的演出」を意識的にパロディ化していくのはもう少し先のこと。(北田暁大氏が『嗤う日本のナショナリズム』で指摘しているように)80年代に入ってからです。85年の『元気が出るテレビ』以降、テレビは意識的に「テレビ的演出」を取り込み、パロディ化していくわけですが、自分はそのようなメディア空間しか知りません。連合赤軍事件が終わらせた「理想の時代」における「テレビ」の現実とは、どんなだったのかなぁ、などと思いを馳せております。

※記事中で触れた、連合赤軍における「総括」の内実は、若松孝二監督による下記の映画を見て何となく理解できたように思います。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]

 

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。

星海社新書「キャバ嬢の社会学」より引用

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

*1:大塚英志氏の『彼女たちの連合赤軍サブカルチャー戦後民主主義』や北田暁大氏の『嗤う日本のナショナリズム』、大澤真幸氏の『虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争』など。

*2:『歴史の<はじまり>』2008年、左右社.

*3:北田暁大氏のいう「消費社会的アイロニズム