「ポエム化」のルーツは「一杯のかけそば」にあり!?

NHKクローズアップ現代」の「あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」があちこちで話題になっています。

居酒屋甲子園」なるイベントで「夢は一人で見るもんじゃない! みんなで見るものなんだ! 」と絶叫する、おそらくは低賃金のサービス労働に従事する若者たち。

彼らは、過酷な労働環境や不安に押しつぶされないよう、今を生きる強度をひたすら上げようとしているようにも見えます*1

居酒屋のトイレにあふれる「ポエム」

こうしたポエムについては、3年ほど前に下記のようなツイートをしました。拙い投稿ではありますが、ちょっと引用します。

→「エラいように見えて全然エラくないのが店長」とかも付け加えるべきですよね…

→お客様も結構ですが、御社の従業員をもうちょっと大事に扱ってください。

ブラック企業が労働者を搾取する手口は、ますます巧妙(そしてベタに)なりつつあるようです。

居酒屋のトイレで、相田みつを「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」といった詩を見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。もちろん当ブログで相田みつを批判をするつもりはありません。

むしろその作品が利用される文脈が気になるのです。幸せのものさしが個々人の心にあるのは当然といえば当然ですが、それを経営者がいいように解釈して「ツラい仕事の中にも、幸せは"心で" 発見できる!頑張れ!(例)」などと言うのは欺瞞に過ぎません。

※ちなみに震災後、相田みつを美術館では下記の詩を「被災者支援のメッセージ」として公開しています。「うばい合えば 足らぬ わけ合えば あまる」

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(c)相田みつを Mitsuo Aida 

ポエム化のルーツは89年の「一杯のかけそば」?

こうした"ポエム"に「癒やされたい」人々が増え始めたのは、89年に大ブームとなった小説「一杯のかけそば」あたりからではないか、と思います。若い人は知らないかもしれませんので、その内容を簡単にご紹介すると、

昭和の大晦日の晩、ある蕎麦屋に子供2人を連れた貧しそうな女性(父親を事故で亡くした母子家庭らしい)が現れ、一杯のかけそば3人で分けあって食べる。蕎麦屋の主人は3人で分けるのだろうと母子を気遣い、内緒で1.5人前の蕎麦を出す。→毎年の恒例に。しかし、ある年からパッタリ来なくなってしまう。→十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び来店。子供らは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。

こんな陳腐な物語に日本中が涙し、新聞や国会でも取り上げられ、フジテレビでは中尾彬武田鉄矢などによる朗読劇が繰り返され、92年には電通東映の配給で映画化されました(母親役は泉ピン子

当時はバブルの真っ只中。博報堂「分衆」ということばで表現したように、消費が多様化して人々の欲望や価値観がバラバラになりゆく中、日本人がひとつになれる物語が「清貧の思想」だったとは皮肉な話です。その狂騒を当時、タモリ「涙のファシズムと批判しました。

「生きてるから幸せ」90年代、若者に絶大な人気を誇った326

バブルが終わり、日本経済は「失われた20年」へと突入。90年代後半以降、人々の間には閉塞感が漂います。そんな時代に若者から絶大な支持を集めたアーティストを2名、ご紹介しましょう。1人目は、78年生まれの326(ナカムラミツル)当時は22、3歳でした。

彼は99~02年にかけて大ブレイクしたフォークユニット「19(ジューク)」の初期メンバーで、イラストにメッセージを載せた作風により人気を博しました。ポエムの画像NAVERまとめになっていますので、お時間のある方は見てみて下さい。

「人生はかけ算だ。どんなにチャンスがあっても 君が『ゼロ』なら意味がない」「『幸せです。』『どうして?』『 生きてるから。』」「急ぐ必要はない 君の速さで歩けばいい」など、今眺めてみると、相田みつをに、ゆずとミスチル桜井和寿のエッセンスを加えたような適度に癒され鼓舞されるメッセージ(※あくまで個人の感想です)。著作もよく売れました。帯には「癒された」と大反響!とあります。

ラブレター(C)326 ポケット版 (宝島社文庫)

 326が大ブレイクした当時、私は中学生でしたが、同級生女子の3人に1人は彼のイラストをあしらった缶バッヂやペンケース、下敷き、消しゴムをお守りのように持ち歩いていたと記憶しています。高校生らは、携帯の待受に彼のイラストとポエムをダウンロードしていました。326の発する聞き心地のよいメッセージに「励まされる」若者は多かったのです。

「世界いち、あなたは世界いち」00年代の癒やしのポエマー「きむ」

 00年代に入ってからそのメッセージが若者に大受けし、20代前半で出版社を立ち上げるほどになったのは詩人の「きむ」(80年生まれ)です。作風は、日常の何気ない風景や人物の写真に、詩をのせたもの。

「目の前の人を大切にすることを 優しさといい愛というのだと思います きむ」

「これでいいのかなんて やればわかる 行けばわかる きむ」

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きむポストカード全種セット 〈196枚〉|いろは出版公式通販サイト TONARY(トナリー)

ちょっと銀色夏生っぽいポエムと写真のコラボ、相田みつを感のある署名の入れ方が特徴です。銀色夏生さんの詩集は私も何冊か持っていますが、「好きな人のことばやしぐさは 人から人へ伝わる 透明な小さな手紙のようなものだと思います(『小さな手紙』93年)」といったメッセージなど、きむさんの音感とちょっと近いのかもしれませんね。

それはともかく、00年代に入ってからは、きむのポストカードを部屋に飾ったり贈り合ったりするのが若者の間で流行したのです。

「号泣したい」エンタメ作品の群れ

そういえば00年頃から、若者だけでなく日本中が「号泣できる」エンタメ作品に夢中になっていった気がします。

一連のケータイ小説はもちろん、柴咲コウ「泣きながら一気に読みました」という帯がきっかけで100万部の大ベストセラーとなった世界の中心で、愛をさけぶや、メディアミックスで大ヒットしたいま、会いにゆきますは記憶に新しいところです。

あまり話題を広げ過ぎるのもナンですが、00年代を通してJ-ラップは「ずっとトモダチ」とか「ありがとう」「感謝」「愛」といった歌詞でヒットを飛ばしておりました。こうした一連の流れをあらわす言葉はなかなか見つかりませんでしたが、ここへ来て「ポエム」という概念ができたことで、何となく説明できるような気がします。

10年に大ヒットした「トイレの神様」は平成版「一杯のかけそば」?

最後に。そういえば10年には、83年生まれのシンガーソングライター、植村花菜の「トイレの神様が話題になりましたね。

大切な祖母との思い出を歌った歌詞、「トイレには それはそれはきれいな女神様がいるんやで だから毎日キレイにしたら女神様みたいに べっぴんさんになれるんやで」「上京して2年が過ぎて おばあちゃんが入院した…『もう帰りー。』って病室を出された…次の日の朝 おばあちゃんは静かに眠りについた」「おばあちゃん おばあちゃん ありがとう ホンマにありがとう」といった歌詞がじわじわヒットし、紅白歌合戦にも出場。

彼女の詩に「泣いた」という人も多い一方、ネットでは「何か大昔に流行った "一杯のかけそば" みたい」との意見もちらほら見かけました。

そして、3.11のあとは「絆」の大合唱。こうしたムードに何となく違和感を覚えていたのは自分だけじゃなかったのか…と、ポエム化を批判するNHKの「クロ現」を見て思った次第です。ベタな言葉に没入して「生の強度」を確かめようとする風潮は、これからも続くのかもしれません。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

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*1:声に出して叫ぶ行為は、クラブで大音量のBGMに合わせて踊ったり、地方のお祭りで大勢が「よさこいソーラン」を踊るのと一緒で、非日常的な「強度ある体験」です。