だからリベラルは嫌われる?~城繁幸氏「なぜリベラルは嫌われるのか」から考える~

先日、城繁幸氏のこんな記事が話題になりました。 「なぜリベラルは嫌われるのか」

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 城氏はこう主張します。

 

香山リカ氏をはじめとする日本のリベラリストは、「なぜ自分たちが嫌われるのか」をいまだによく分かっていない。

 

いわく、彼女たちが嫌われる理由は次の2つ。

 

(1)強きを助け、弱気を憎むから

 

日本の金融資産の6割以上を所有している60歳以上の高齢者が「現役世代を搾取している」構図を、リベラルは温存しようとする。世代間格差の是正に熱心なのは、いわゆる保守と呼ばれる立場の政治家や専門家たちで、最もやる気がないのがリベラル派である。

 

 

 (2)大きな政府を否定し、小さな政府を主張するから

 

日本は世界で唯一、終身雇用という奇妙な雇用形態が存在する国。終身雇用を守らせておくだけで、政府は社会保障のコストを大幅に抑制できる。要するに究極の“小さな政府”政策である。

 

企業は、あんまり能力の無さそうな人や病気がちの人、そして出産にともない休職する可能性の高い女性は、なかなか雇わない。結果、男性を中心としたエリートは終身雇用というセーフティネットの中に入れてもらえるが、そこから漏れた人達はほったらかされることになる。

 

こうした現状にメスを入れることに反対しているのはリベラルだ(保守もあまり興味はないようだが)。(「なぜリベラルは嫌われるのか」より抜粋、引用)

 

一読して「あれ?」と思いました。これまで自分は、世代間格差や男女格差の是正に消極的なのは、リベラルではなく保守だと思っていたからです。

 

城氏は日本のリベラルを次のように定義します。

 

エリートのみが守られる小さな社会保障制度を称賛し、貯金も職歴もある中高年を若者との競争から一方的に保護する。これが日本のリベラル(派知識人※引用者注)の生態である。

 

分かりやすい批判ですが、この「リベラルの生態」については、微妙に違うと思います。

 

「エリートや中高年を保護し、世代間格差を温存しようとする」のは、香山氏などの「リベラル」ではなく、彼らが批判する「自民党そのもの」だからです。もっといえば、「自民党こそ日本のリベラル」と言ってもいいくらいなのです。

 

詳しく説明します。城氏の言葉を借りると、リベラルとは本来、

 

「格差の是正を目指し、そのために積極的な政府による介入を良しとするスタンス」

 

です。分かりやすくて完璧な定義だなぁと思います。でもよく考えてみると、これって「戦後の自民党そのもの」ではないでしょうか。

 

なぜなら、自民党はこれまで、公共事業を通して、都市と農村の格差を「是正」してきたからです。原発を造り、橋を架け、道路を造り……貧しかった日本の農村は、政府の「積極的な介入」によって豊かになりました。戦後自民党の「再配分」政策は、まさにリベラルです。

 

ただし、その恩恵を受けたのは、農協や土木産業をはじめとする「既得権益」層が中心でした。

 

自民党こそ、城氏が言う、

「男性を中心としたエリートは終身雇用というセーフティネットの中に入れてもらえるが、そこから漏れた人達はほったらかされることになる」

システムを創ってきたのです。

 

つまり自民党は、リベラルに見えて実は既得権益を保護していた、ということです。保守リベラルといってもいいでしょう*1

 

高度成長期には人々の生活水準が全体的に向上していたので、そのゆがんだ「自民党的リベラル」の実態は、よく見えませんでした。

 

ところが「失われた20年」になってはじめて、女性や若者の貧困が問題となり、自民党の政策が「リベラルにみえて実は既得権益の保護にすぎなかった」ことが分かったのです。

 

そんな、「リベラルぶって実は保守的な自民党」を批判する人たちが、今の日本では「リベラル」と呼ばれています。つまり、日本には2つのリベラル派がいて、どちらも「自分たちこそ真のリベラリストだ」と主張しているようなものです。

 

 「なぜリベラルは嫌われるのか?」

 

城氏の問いかけに対する、私の考えはこうです。もし日本のリベラルが嫌われているとすれば、それは、彼らが「自民党的再配分」以外の処方箋を出せていないからです。

 

もちろんリベラル派知識人たちも、具体的な政策提案をしたり、新たな再配分の仕組みを考案したりしていないわけではありません*2。ですが、仮にも戦後長らく続いてきた保守政権である自民党が「リベラル」に見えるので、「お前たちもどうせ保守リベラルだろ」という、城氏のような批判が寄せられてしまうのです。リベラリストとして、ただ自民党を批判するだけでは、「お前らはリベラルぶってるだけの既得権益、乙」と言われてしまうのです。

 

「自民党的な再配分=ウソっ子リベラル」ではない、「本当にリベラルな処方箋」を提示するのは、とっても難しいのです。リベラリズム「多様な価値を認めます」と言いながら、「ある特定の価値を支持する」(例:◯◯な方法で格差を是正するのが正しいと主張する)という、矛盾をはらんでいます。リベラリズムは全然、価値から自由じゃないのです。

 

そんなリベラリズムの不自由さを、人々は「結局リベラルは何にも実行できないじゃないか、要は既得権益を守りたいだけなんだろ」と批判します。

 

だから、小泉・竹中さんのように「自民党をぶっ壊す」=(=既得権益を解体する)という和製ネオリベラリズムが、人々の共感を得たのでしょう。

 

日本のリベラルは、決して一枚岩ではありません。そして、ややこしいことに、リベラル派知識人が批判したい自民党が、もっとも「リベラルな顔」をして居座っている。だからこそ「一体、日本のリベラルって何がしたいの?」という批判が出てくるのだと思います。

 

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*1:もちろん、一般的にリベラリズム自由主義といっても、必ずしも「自由競争バンザイ、格差は放置」ではありません。先進諸国が今、採用しているリベラリズムは、必ず何らかの再配分のしくみ(格差是正システム)を兼ね備えています。その再配分のしくみが、日本では、既得権益に偏ったものになっていたのです。

*2:アファーマティブ・アクションや、賦課方式ではなく積立方式の年金制度の提案といった、福祉主義や是正主義に基づく再配分システムを提唱する知識人は、たくさんいますし、私もそれに賛同します。