「聖子」の自由

地震原発の混乱もおさまらぬままですが、今回は少し、「女の欲望が許される条件」について書いてみます。

 

以前、野田聖子氏の高齢出産についてまとめたことがあるhttp://p.tl/k18U。彼女の決断にはそれなりの背景があったはずなのに、マスメディアは一様に「全てを手に入れようとする女の物語」として単純化してしまうのだった。



ところで「全てを手に入れた女」のはしりといえば松田聖子である*1



彼女は1962年生まれ。野田聖子議員の2つ年下だ。1980年にデビューし、バブル期ブリッコとして駆け抜けた。結婚、出産、2度の離婚、数々の不倫スキャンダルにもめげず、ゼロ年代の今もなお「アイドル」として輝き続けている。



野田聖子松田聖子も共に、キャリアと子供という「多くの女が欲しがるもの」を手に入れた。どちらも「欲しがる女」である。*2



だが松田聖子と同じように全てを手に入れようとする野田聖子は、女性からも男性からも非難された*3



上野千鶴子によれば*4松田聖子はバッシングもされるが「目が離せない欲望のモデル」なのだという。私たちは皆バッシングしながらも彼女のことを羨んでいる。子供もキャリアも恋人も欲しい。そんな彼女の欲望が許されるのは、どうしてだろう。

 

こう言っては元も子もないが、それは単純に松田聖子が美人だからだと思う。美醜という単純なモノサシで全てをはかることはできないけれども。



去年、柔道谷亮子選挙に出たときのことを思い出す。

「ママでも金」あたりまでは良かったが、議員でも金」あたりから雲行きがあやしくなった。彼女は一気に男女双方から非難され(でも何を?週刊文春「女が嫌いな女」でも見事、ランク入りを果たす。

 

(※ただし、このランキングは「週刊文春の編集部が嫌いな女」でもあるので、注意が必要ではありますが。)



谷亮子のことを考えると、「不美人のくせに(それをわきまえず)全てを手に入れようとする女」は、同性からも異性からも嫌われるのかもしれない、と思う。野田聖子がもし松田聖子のような美貌とスタイルだったら、彼女の「欲望」はこれほど非難されただろうか。



ところでお分かりかもしれませんが、「全てを手に入れようとする不美人」が嫌われないコツが1つだけあります。



それは、みずからの「傲慢さ」をわきまえていること



林真理子を思い出してほしい。彼女の作品には「自分という女嫌い」通奏低音のように流れている。みずからの女性資源に対する冷徹な眼差しがあるから、林真理子の欲望は支持される。



こうしてみると私たちはきっと「女の欲望」のままに全てを手に入れることに罪悪感があるのだと思う。だからそれを、あっさりとやってのける「自分以下の美貌の女」にはおそろしく厳しい。



「欲しがる女」が肯定される条件は美貌である。だから思春期を経た多くの女は、諦めることを覚えるのだろう。 

 

 

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