パラリンピックの成功は、ノーマライゼーションを進める絶好のチャンス。厳しい環境下でメダル獲得を目指すパラリンピアンたちを支援する組織が発足!

資金難から手弁当で大会に出場するパラリンピアン

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2020年の東京五輪へ向けた関心が、日々高まっている。が、ニュースを見ていると、「新国立競技場は完成するのか?」や、体操、水泳など、日本が伝統的に「強い」といわれる競技の注目選手などの話題が中心だ。障がいをもちながら五輪を目指す「パラリンピアン」たちへの注目は、それほど高くないように感じる。たしかに、華やかな活躍が期待できる分野への関心が高まるのは当然だが、オリンピックはパラリンピックとセットで成功させるものだ。日本オリンピック委員会IOC)の憲章には、「スポーツの実践はひとつの人権。何人もその求めるところに従ってスポーツを行う可能性を持たなければならない」とある。

競技に向けられる社会の関心度は、「財政支援の多寡」に比例する。特にパラリンピックの競技団体への支援は、それ以外と比べて少ないのが現状だ。一般の競技団体には、合わせて15億円もの資金援助があるのに対し、パラリンピックの競技団体に対しては、なんとその「20~30分の1」の援助しかなされていない。
「そもそも選手の人数が違うから、差があるのは仕方ないのでは?」と思われるかもしれないが、実は、パラリンピアンの人数はオリンピック選手の2分の1。かなりの人数だ。それなのに、競技団体への資金援助が「一般団体の20~30分の1」という数字は、明らかに社会的な関心度の違いを反映した「格差」だろう。
選手たちは、せっかく競技の才能がありながら、資金難から手弁当で試合に出場し、仕事をもちながら、合間に練習をしなければならないケースも多い。その練習場さえ、確保が難しい場合もある。 

パラリンピックを目指す競技団体に資金と事務所を提供

こうした現状を打破しようと先日、「パラリンピックサポートセンター」が設立された。センターの目的は、“パラリンピックムーブメント”を促進するための、包括的な「支援事業」を行うこと。日本財団が100億円を拠出し、日本財団ビルのワンフロアを競技団体の共同事務所として貸し出すという。最高顧問には、森喜朗元首相が就任。特別顧問には都知事の舛添要一氏と、下村博文文部科学大臣が就いた。そうそうたるメンバーで、数年後に迫ったパラリンピックと、その選手たちを支援する体制構築への意気込みが感じられる。

ちなみに設立記者会見には、100人以上の報道陣が詰めかけ、会場に入れない人も大勢いた。もしかしたら、その数日前から話題になっていた「新国立競技場の未完成(疑惑)問題」について、下村大臣にコメントを求めたいという記者たちの思惑も、あったのかもしれない。パラリンピックサポートセンターの設立会見なのに、記者たちの目的は一体……?と、やや勘ぐりたくなってしまうほどの「詰めかけぶり」だったが、ともかく「パラリンピックサポートセンター」の目的と可能性をじっくりと聞くのが目的だ。

ロンドン五輪は、パラリンピックの成功があってこその「高評価」

都知事の舛添要一氏は、12年に五輪が開かれたロンドンを視察してきたという。ロンドン五輪は、近年の五輪に比べ「パラリンピック」への注力が目立っていた。五輪開催にあたって、街のバリアフリー化を進め、車椅子の人も通行しやすいまちづくりが目指されたという。卵が先か鶏が先かの議論になるが、そうした取組みを進めた結果、パラリンピックとパラリンピアンたちへの理解が進み、ロンドン五輪は世界的な評価を得た。舛添要一氏は、日本もロンドンを参考に、

「首都である東京のバリアフリー化を進め、東京パラリンピックを『通過点』にしたい」

 

と語った。

現役選手たちからは、厳しい現状を訴える声

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現役のパラリンピアンたちからも、リアルな声を聞くことができた。一般社団法人「日本パラリンピアンズ協会」会長で、水泳の河合純一選手は、92年のバルセロナ大会から96年のアトランタ、00年シドニー、04年アテネ、08年の北京、そして12年のロンドン大会と、通算獲得メダルは「金5・銀9・銅7」という輝かしい実績をもつ。そんな河合選手は、

「とにかくパラリンピアンたちを、『人を育てる』という観点から支援していきたい。パラリンピアンが長く活躍し続けるのは、難しい現状がある。引退後の雇用、就労の場についても考えていかなければならない」

と述べた。「日本パラリンピアンズ協会」理事で、射撃の田口亜紀選手も登壇。彼女は04年アテネ大会、08年の北京、12年のロンドンと出場し、10年のアジアパラ競技大会では、銅メダルを獲得している。田口選手は言う。

「パラリンピアンたちは、手弁当で協力しあっている。強化合宿も、皆でまとめて航空チケットを取って、できるだけコストを抑えたり、仕事の合間に練習時間を確保したり……なかなか競技に専念できる環境が整っていないのが現状だ」

世界的に「パラリンピック」への関心が高まり、支援体制も整いつつある中、日本は後れを取っていると言わざるをえない。

「日本パラリンピック協会」の会長、鳥原光憲氏は、次のように述べる。

東京五輪をきっかけに、障がい者スポーツへの理解を促進したい。(1)障がい者がスポーツを日常的に楽しめるような社会が実現すれば、それを土台として、(2)世界トップレベルのパラリンピアンの育成も可能になる。(1)と(2)が好循環を生むと確信している。結果として、国民の『障害者スポーツ』への理解も広まるはずだ」

鳥原氏はまた、「パラリンピアンたちが現役を引退した後のキャリアについても、しっかり考え取り組んでいきたい」と述べた。引退後のキャリアの問題も、パラリンピアンたちには大きくのしかかっている。

長期的にパラリンピアンたちを支援する仕組みづくりを

パラリンピックサポートセンターは、2021年までの時限組織だ。その間に、パラリンピックの普及・啓発活動、パラリンピックを支援するボランティアの育成、パラリンピック競技団体の活動を強化するためのスタッフ雇用・バックオフィス支援、アスリートが競技に集中するための環境整備など、多くの事業を行う。日本財団の100億円を資金源のひとつとし、パラリンピック学術研究も行う予定だ。大きな目標としては、障がい者の文化・芸術支援(障がい者による文化活動の推進)も掲げる。スポーツに限らず「障がい者の表現活動」への支援は、日本財団がこれまで力を入れてきた分野だ。かなり期待できると思う。

2021年までの時限組織とはいえ、3.11の被災地への復興支援が今も続くようにパラリンピックサポートセンターの活動が、東京五輪の終了と同時に打ち切られることはないという。五輪までに、障害者スポーツに関わる人材育成をおこない、その後も長くパラリンピアンたちを支援する仕組みづくりを進めることが重要だろう。パラリンピック障害者スポーツに力を注ぐことは、マイノリティを含むすべての人が平等に社会参加し、生活の権利を保障する「ノーマライゼーション」の考え方と合致する。パラリンピックサポートセンターの設立をきっかけに、こうした流れが日本でも促進されることを願う。

【北条かやプロフィール】

1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月『キャバ嬢の社会学』刊行。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演する。15年5月26日、最新刊『整形した女は幸せになっているのか』発売。 

 

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『整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)発売と、発売記念イベントのお知らせ

5月25日(月)に、星海社より『整形した女は幸せになっているのか』が刊行されることになりました。

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(2章まで試し読みができます。こちらから。Amazonはこちらです→ キャバ嬢の社会学 (星海社新書)

以下、本書で行った”元祖美魔女”、作家の中村うさぎさんへのインタビューを一部、ご紹介します。

 

――それまでは、買い物依存から始まって、ホストにハマって行かれたと。

「そうですね、やはり若くてきれいな男みたいなものに憧れるというか。そういう対象に女として扱われることで、自分の価値がまだある、女として現役感があるという自己確認みたいな感じでしたね。ハゲのオヤジに、言い寄られたってあんまり自分の価値が上がらないので。自分の中でね。自己満足ってのはそういうこと。自分の中で自分の価値がどれだけ上がるかっていうことですよ。鏡を見て『あたしは綺麗』って毎日、思っていれば、自分の価値は底上げされるっていう人もいるかもしれないけど、女としての自信は、異性からの評価があって初めて裏付けられる。それがないと、美人でもなんでもないのに、必死になって思い込んでる『勘違い女』になると思う。そういう女だけにはなりたくないと思って、客観的な基準を持とうとすると、異性という他者からの評価しかないわけで。同性同士で、なになにちゃん綺麗ね、可愛いねって言っても、どこまで信用していいか分からないから。まあだいたい、同性同士で『ブスだ』とは言わないからね」

――ブサイクな子がいたとしても、『愛嬌がある』とか言って……。

「『笑うと可愛い』とかね。それはブスなりの可愛さであって、客観的な評価じゃないんだけどね。ブスな子がどんなに笑顔が素直でも、ブスはブスなので。怒った顔をしているよりは、笑った顔のほうが魅力的っていうだけ。本当に客観的に、女性の顔を評価できるのは、異性愛=ノンケの男性ですよ。容赦ないからね」

――容赦ありませんね。

「女の人は、性的に興味がない男性にも、社交辞令でニコニコ笑って『素敵なネクタイですね』くらいのことは言うんだけど、男は興味なかったら絶対言わないからね。そういう意味では、男の人の評価が一番、客観的だとは思うんですよ。そういう客観性っていうのはやっぱり必要なので」

(略)

美容整形は、自分の欲望と向き合う行為だ。うさぎさんが、買い物依存からホスト依存、そして整形依存の道を歩む中で考察してきたのは、自分が何を欲していたのか、ということであった。それは、自分の価値が高いと信じたい、というナルシシズムであり、一方で、そのナルシシズムを裏付ける証左がほしいという「客観的な基準への欲望」であった。そのもがきの過程を、彼女に批判的な人々は「依存症」と呼んで揶揄する。

 ――うさぎさんを「元祖美魔女」という人もおりますが、一方で、整形に依存していると非難する人もいますよね。

 「全然、依存していると思うし、そもそも私は依存体質だから。買い物依存、ホスト依存、イケメン依存というか、色恋依存というか。ちょっと前までは、美容整形に依存していたので、依存体質であることには変わりはない」

――うさぎさんの場合は、依存の過程を全て文章として残されていますし、「依存」という批判は、やや的外れだなとも思うのですが……。

「そうですね、『依存してない』とは一言も言っていないから。そもそも、何にも依存してないで生きてる人なんていないと思う。人は必ず、仕事や家族、恋愛、趣味、人間関係とか、様々な対象に依存している。そうじゃないと自己確認ができないから。他人との関係の中で自己確認をして、自分のポジショニングとか、価値みたいなものを測ろうとするから、依存せずにはいられないわけ。たとえば、趣味ひとつとっても、テニスがどれだけ上手くなったとか、ガンダムのフィギュアをこれだけ集めたとか、やっぱり他者との比較になって来るしね。どんなオタクだって、他者を必要としているところを見ると、『他者との関係性』に依存しないで生きてる人はいないと思う。そんな人が本当にいたとしたら、社会生活は営めないと思いますよ」(中村うさぎ氏)

 (後略)

私が「美容整形」という、拡大し続けるマーケットに焦点を当てたのは、整形が「人の興味を惹きつける『ゴシップ的な側面』をもちながら、一方で医療とも美容ともつかない曖昧な領域であるがゆえに、意味付けをなされていない分野」だからです。私たちは、美容整形についてあれこれ語っている一方で、その実何も語っていないのです。

なぜ世間は『整形』した人にネガティブな印象をもつのか、なぜ整形は、心の問題と関連付けられてしまうのか、整形する人と、しない人の違いは何? 多くの女性がプチ整形や整形で若返り、美人になることを、フェミニズムはどう捉えるのか?? そして私たちが、顔や体のコンプレックスに翻弄されてしまうのはなぜか??。

こうした問題について、徹底して向き合った1冊です。ぜひ、お手に取ってみて下さると嬉しいです。

ところで、お知らせが遅くなってしまいましたが……発売日の25日(月)、下北沢B&B書店にて、トークイベントを行います!

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お申込みは、こちらからできます

月曜の20時からなので、お仕事のある方は難しいかもしれませんが、ぜひいらして下さると嬉しいです!!!

 

北条かや

 

以下、星海社HPからの引用です。

星海社新書編集部が、下北沢B&Bに登場

大人気星海社新書の月例イベントが、下北沢B&Bに初上陸!

2014年、『キャバ嬢の社会学』社会学に新風を吹き込んだ北条かやが、満を持して送り出すデビュー2作目『整形した女は幸せになっているのか』。その発売日となるこの日、下北沢B&Bに、著者本人が登場します。新刊の内容についてはもちろん、企画開始に至った経緯や、整形経験者へのインタビューで感じたこと/書けなかったこと、今後の野望など、「この場」でしか聞けない話が盛りだくさん。

社会学の俊英、北条かやと同じ空気を共有し、五月病を吹き飛ばそう!

星海社新書『整形した女は幸せになっているのか』内容紹介

「顔さえ変えれば、うまくいく?」

あっけらかんとした「公言」に留まらず、手術前後をブログで「実況」するモデルまで出現し、ますますカジュアルになっていく「美容整形」。ある調査によれば、18歳〜39歳の日本人女性の実に11%が、整形経験者であるという。スマホで手軽に写真撮影・アップロードができ、これまで以上に「見た目」で判断される機会の増えた現代社会。時に美しさは、幸せになるための必要条件であるかのように語られる。美しく生まれた女が幸福に近いのであれば、美しさを「手に入れた」女もまたそうであると言えるのか。現代社会だからこそ出現したこのいびつな問いに、社会学の俊英が挑む。

「あなたのモラルは、どこまで許す?」

 

【北条かやプロフィール】

1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月『キャバ嬢の社会学』刊行。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演する。15年5月26日、最新刊『整形した女は幸せになっているのか』発売。 

 

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「誰にも相談できず、一人で出産する」母親を救うために、全国で広がる「妊娠SOS」ネットワークづくり

虐待死で最も多いのは0歳0ヶ月0日の赤ちゃん、背景に「望まない妊娠・出産」

「ひとりで悩んでいませんか?」「思いがけない妊娠でお悩みの方に~妊娠SOS~」。ショッピングセンターの女性トイレや、自治体の窓口に、こんな小さなカードが置いてあるのを見かけたことはないだろうか(写真)。

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(写真:各自治体が設置する「妊娠SOS」の連絡先を知らせるカード。ピンクや白を基調とし、他人に知られることなく持ち運べるサイズになっている)

いずれも各自治体が、思いがけない妊娠に悩む女性たちのために設けた相談窓口だ。近年、こうした「妊娠ホットライン」などを設置する自治体が増えている。背景には、妊産婦検診を一切受けずに産科へ駆け込む「飛び込み出産」の増加や、児童虐待への関心の高まりがある。虐待の死亡例のうち4割を占めるのは、「0歳児」だ[1]。中でも「0歳0ヶ月0日」の死亡が最も多い。思いがけない妊娠を受け入れられず、誰にも相談できないまま出産し、生まれたばかりの赤ちゃんを遺棄してしまう、などのケースが深刻化している。産まれた後の「子育て支援」も大切だが、出産前から「誰にも相談できない」と悩む女性たちを、なんとかして支えられないか。そんな機運が高まり、助産師や保健師が相談を受け付ける「妊娠SOS」を設置する自治体が増えているのだ。

 [1] 参照:厚労省資料「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第10次報告)

「妊娠SOS」の試みはまだ始まったばかりで、窓口と病院、行政、警察などとの連携が進んでいなかったり、相談後に「これでよかったのだろうか」と、頭を悩ませたりする相談員も多い。こうした現状から一歩前に踏み出そうと、日本財団が主催する全国妊娠相談SOSネットワーク会議が、2015年4月18日(土)、19日(日)に開かれた。ネットワーク会議の目的は、各相談窓口が専門家からの知識を学び、ノウハウを共有しあうというもの。初日に参加してきたので、その様子をレポートしたい。

赤ちゃんポスト”(こうのとりのゆりかご)の事例からみえたのは、「24時間体制」の大切さ、他機関との連携の重要性

会場には、北海道から沖縄まで、日々女性たちからの様々な相談に向き合う、助産師・保健師さんたちが集まった。開会前から、熱気に満ちている。

f:id:kaya8823:20150513184836j:plain(写真:当日の会場、開会前の様子)

 前半は、「赤ちゃんポスト」で全国区の知名度となった熊本県「慈恵病院」で、昨年度まで相談役を務めた田尻由貴子氏の講演。慈恵病院では、いわゆる「赤ちゃんポストこうのとりのゆりかご)」だけでなく、全国では珍しく24時間体制で相談を受付けている。相談はメール、電話、直接病院へ訪れるなどの形で行われ、匿名でもOKだ。

 慈恵病院に寄せられた相談件数は、2007年のスタート以来、501件から、13年度には1445件へと大幅に増えている。この間、慈恵病院のある熊本県や、熊本市への相談件数はほとんど増えていない。つまり「赤ちゃんポスト」のニュースが全国区となったことで、「慈恵病院にSOSを出せば何とかなるかもしれない」と感じた女性たちの相談が、全国から殺到している、ともいえる。データを見て、全国の窓口担当者たちは思わず息を呑んだ。

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(写真:元慈恵病院の田尻由貴子氏[左下]、講演の様子)

10代からの相談も2割、「破水しそう、外で出産した」など、命にかかわる相談には「警察」とも連携して取り組む

田尻氏は言う。 

「SOSを求める女性たちの世代をみると、20代が43%、30代が30%で、合わせて7割以上を占めています。一方で、15~20歳未満の少女たちからの相談も、2割いる。少女たちの中には『家族にバレたくないから』と、夜間に電話してくるケースも多いです。なるべく来所してもらうよう勧めていますが、相談は全国から来る。最も多いのは「関東」で29%です。「関西」も12%、大阪府からの相談が多いです。中部地方も9%。病院に来てもらいやすい、熊本県内からの相談は27%と3割に満たないなので、来所してもらうのはなかなか難しいですね。以前、『県名は明かせるけれど、どこの市かは言えない』という少女から、『たった今、夜の公園のトイレで出産した。どうすればいいか』という電話もありました。

 「妊娠SOS」に寄せられる相談は、必ずしもその自治体の内部からだけではない。24時間体制で受け付けている慈恵病院のように、全国津々浦々から相談が来るケースはまれだとしても、「身近な自治体の窓口だと周囲にバレるかもしれない」と、あえて遠方に相談する女性もいる。ネットで検索し、どこでもいいからとにかく話を聞いて欲しい、という女性もいる。

 田尻氏によると、「破水しそう、どうすればいいか」「陣痛が始まった」など、命に関わるSOSの場合、「最善の策」は警察に協力を仰ぐことだという。

警察の全国ネットワークは、どこの福祉窓口よりも進んでいます。匿名で『今、公園で産んだけれど、どうすればいいか、県名以外は言えない』というような相談でも、『◯◯県には~~に公園がある』という情報を網羅している警察なら、SOSを出した女性を見つけてくれる。こうして命が助かった例もあります」(元慈恵病院の田尻氏)

 できるだけ来所面談を!「動けない」女性には、こちらから出向く

「妊娠SOS」に連絡してくる女性は、思わぬ妊娠に戸惑い、誰にも相談できないという人が多い。いわば「最後の手段」として電話をかけてくるのである。そんな女性に対し、口頭で「市役所へ行けばこんな申請ができますので、そちらへどうぞ」とアドバイスするだけでは、根本的な解決は難しい。では、どうすればいいのか。田尻由貴子氏は、「できるだけ来所面談を勧めましょう」と説く。「動けない、行動するのが怖い」という女性に対しては、「迎えに行く、病院に同行する」など、こちらが積極的にサポートする心構えを見せる。その上で、何度も相談し、「協力を得られる人はいないか」など、詳しく状況をカウンセリングする。「産む・産めない」の選択をしてもらう。「産みたいけど、育てる自信がない」場合も、生活保護や、妊娠出産にともなう一時金、母子寮の存在などを教えてあげることで、「自分で育てよう」と前向きになる女性もいる。出産にともなって得られる行政の支援は、意外と沢山あるのだ。

 行政からの援助は、「知らないだけ」で意外と手厚い

次に、婦人保護施設「慈愛寮」の施設長を務める、細金和子氏によるレクチャー(「社会福祉講座」~予期しない妊娠で悩んでいる妊産婦が活用できる社会資源と窓口~)。筆者は細金氏の話を聞くまで、恥ずかしながら、経済的に苦しい妊産婦が活用できる制度といえば「生活保護」くらいしか知らなかった。筆者は細金氏のレクチャーを聞き、「一口に『産前産後の支援』といっても、本当に色々あるのだ」と、目からうろこが落ちる思いだった。

 事前に相談員たちから収集したアンケートでも、「制度などに対する知識不足」が課題だと回答した人が目立つ。知識不足とリソース不足からか、行政の窓口などに「相談者と同行している」団体は23%にすぎなかった。電話でカウンセリングするのが精一杯で、具体的な支援につなげるのが難しい実態も浮かび上がる。

細金氏は、資料を見ながら説明する。

 「周囲のサポートが得られず、経済的に苦しい妊産婦が活用できる制度としては、まず『生活保護』があります。相談員の方々は、ぜひ『生活保護は恥ずかしいものではない』ということを、声を大にして言ってあげて欲しい。生活保護は、アルバイト収入などがあっても、一部は受給することができるし、住宅扶助や医療扶助も受けられる。福祉事務所で医療券を発行してもらえば、医療機関で検診を受けることもできます」(細金和子氏)

 「一時扶助」の中には、新生児の衣料費や家具什器費、布団などを支給してもらえるケースもある。万が一、中絶する場合でも、生活保護費で対応できることもある。窓口は、市町村の福祉事務所だ。

 よく知られているように、生活保護の申請時には「扶養照会」といって、身近な親族に連絡がいくことがある。親族から暴力を受けているケースなどは、申し出れば「照会」をされずにすむケースもある。

 「たとえば、幼少期から、親に違法な風俗で働かされていた、という女性が妊娠して逃げてきたような場合は、親に連絡がいかないようにすることもできます」(細金氏)

 不安を抱える女性たちには、相談員が適切な知識をもって「安心してね」と言ってあげることが重要だ。それには、制度への豊富な知識が求められる。

 一時的な生活費の貸付や、働けない間の「シェルター」も利用できる

生活保護以外には、「生活福祉資金の貸付」という方法もある。働けるが、妊娠・出産期間に収入が激減するのを乗りきれるか不安、という女性には、「一時生活再建費(60万円)」や「緊急小口資金(10万円無利子)」などのほか、就業や住宅、教育、技能習得など様々な目的のための「貸付」が行われている。窓口は、区市町村の福祉協議会、または民生委員だ。福祉事務所へ行けば「女性福祉資金」「母子福祉資金」の貸付が得られるし、妊産婦検診の費用を、少ない自己負担で受けられる制度もある。ここには書ききれないほど、母子の健康を支える制度は沢山ある。妊産婦検診についても、何らかの事情で健康保険証が使えない女性(DVを受けている夫にバレたくない、在留資格がないので、そもそも健康保険証がないなど)でも、「無料低額診療券」を交付してもらえば、特定の病院で診察を受けられる制度がある。細金氏は続ける。 

「派遣・パートなどの方で、育休はあるけれども、その間は無給なので生活のめどが立たない、という女性には、一時的に『婦人保護施設』や『母子生活支援施設』に入るという手もあります。短期から中期間の利用ができる施設まで、区市町村の女性相談窓口へ行けば、グループホーム公営住宅を紹介してもらえることもあるんです」(細金氏)

 妊娠SOSの相談員たちが、こうした制度を知っていれば、一緒に窓口へ赴くこともできる。

「望まない妊娠」で悩んでいた女性たちも、産前産後を、暖かいサポートの中で守られて暮らすことで、心身ともに回復していくケースは多いという。新生児とともに、安らかに暮らした産前産後期間が「人生のターニングポイントになった」という母親もいる。

「誰にも相談できなかった、1人で産んだ」という理由から、商業施設のトイレや、児童養護施設の入り口に赤ちゃんを置き去りにする母親のニュースは後を絶たない。こうした事例の多くは、10代や20代で、誰にも言えずに自宅などで出産し、困り果てて、極端な手段に出てしまった女性たちだ。

 妊娠・出産をサポートする制度は、私たちが知らないだけで沢山ある。悩んだ女性が「妊娠SOS」の存在を知り、適切なサポートが受けることができていれば、置き去りにされた子供たちにも、違う未来があったかもしれない。

【北条かやプロフィール】

1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月『キャバ嬢の社会学』刊行。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演する。15年5月26日、最新刊『整形した女は幸せになっているのか』発売。 

 

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15年は「養子縁組」「ナースの起業」に注力 日本財団は莫大な資金源を「社会貢献」にどう活かすか

ボートレースからの収入が270億円超

ご縁があり、たびたび「日本財団」の取材をさせて頂いている。共働き家庭の家事分担を考えるイベントや、障害者たちのアート作品展示、ハンセン病差別をなくすためのグローバルアピールなど、いくつか見てきた中で、「日本財団とは改めてなんぞや」ということが気になった。同財団は世界有数の社会貢献団体だが、「一体何をしているのかよく知らない」という人も多い。財団が、全国の男女2460人を対象に行なった調査(14年3月)によれば、「日本財団」を知っている人は全体の3割だったが、知っている人の過半数が「活動内容は知らない」と答えたそうだ[1]

今回は、そんな疑問を解消すべく、4月1日に開かれた事業計画・予算の記者発表を報告する。日本財団の大きな資金源は、全国の「ボートレース」による売上だ。ボートレースの売上高は、年間1兆円に迫るともいわれ笹川陽平会長の挨拶より)、その約2.5%が日本財団の収入となる。記者発表によると、15年度は270億円あまりの見込み。これに加え、投資活動による収入が457億円。両者を合わせた収入から、被災地の復興支援や地域おこし、海外事業子育て支援など、さまざまな公益事業への助成金が支出される。15年度の支出は455億円だ。

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(記者発表会の様子、左が笹川会長)

[1]鳥海美朗、2015、『日本財団は、いったい何をしているのか』木楽舎より

親に恵まれない子供の85%が「施設」で暮らす現実

日本財団が今年度、注力する事業は2つある。そのうち筆者が最も注目しているのは、日本でなかなか普及しない「特別養子縁組」の促進だ(ハッピーゆりかごプロジェクト~すべての赤ちゃんにあたたかい家庭を~)。望まない妊娠や貧困などの理由で、生みの親が子を育てられない場合、日本では85%が「児童養護施設」に入ることになってしまう。。現在は、3万2000人の子供が児童養護施設で暮らしている。特別養子縁組がなされれば、こうした子供たちも保護者と「1対1の関係」を作ることができる。が、施設ではそれができない。いくら職員が優しくても、施設の構造自体が「子供のプライバシー」を軽視していたり、子供同士のイジメがあったりと、環境は厳しい場合が多い。

筆者が昨年、参加した日本財団のイベントでは、児童養護施設では、一般的な家庭で教えられる社会的なマナー(切符の買い方や、基本的な買い物の仕方など)を学べない」との声も聞いた。子供たちは18歳で施設を出なければならないが、右も左も分からない状態で、働き先が見つからず、生活費が尽きて結局「生活保護しかなくなった」というケースも珍しくない。

 6組に1組のカップルが不妊に悩んでいるのに、特別養子縁組は年間わずか300~400件

国連子どもの権利条約」では、すべての子供が「家庭環境の下で成長すべき」と定めている。だが、日本ではそれがほとんど叶えられていないのが現状だ。夫婦の6組に1組が不妊に悩んでいるのに、親に恵まれない赤ちゃんの85%は、養子の可能性すら考慮されることなく、施設に入ることになる。現状、「特別養子縁組制度」は年間300~400件程度しか行われていないが、制度が広まれば、施設で養育した場合の公的負担(子供1人につき1億3000万円かかるといわれている※日本財団の記者発表より)を、削減することもできる

日本財団では今年度、映画を活用した啓発イベントや、思いがけない妊娠をした女性のための相談窓口の強化、「養子縁組推進法(仮)」の制定へ向けた政策提言などを行う予定だ。恵まれない子供たちが、幸せな家庭で育つ仕組みづくりに期待したい。特別養子縁組の啓発活動はもちろん、実際に養子縁組を考える人たちに、経験者の声を届けるイベントなどがあればもっといいと思う。

看護師が起業する! 「在宅看護センター」の支援

日本財団では今年度、第2の柱として、「看護師の起業支援」に尽力する。「在宅看護センター起業家育成事業」だ。2025年には、団塊世代が一斉に「後期高齢者」となる。4人に1人が高齢者という、未曾有の高齢化社会の到来だ。地域の病院は、お年寄りを受け入れきれずにパンクする可能性もささやかれる。こうした課題の一助となるのが、看護師が患者の自宅でケアを担う「在宅看護」だ。

在宅看護センターは、看護師を中心に、介護士、理学療法士作業療法士など、10~15人の体制で運営される。地域の患者たちを24時間カバーできるのが強みだが、現状、多くの団体が資金難に苦しんでいる。これを支援し、かつ、新たに起業する看護師を増やそうというのが日本財団の試み。

14年度の実績では、在宅看護への意欲の高い看護師17人(それぞれ、10年程度の臨床経験あり)に研修を行い、起業・運営ノウハウなどの専門知識を教授。全員が研修を終え、在宅看護センターの起業を予定している。先日、第1号のセンターがオープンしたという。

かつては、看護師が「血圧を測る」ことすら許可されていなかった時代もあったが、近年は看護師を目指す学生の4割が大学生であり、医療権限も拡大している。経験値の高い看護師が「起業」し、地域医療の中核を担う未来は明るいだろう

9億円の資金が「独自に使える」初の試みに期待、「子供たちの福祉」充実を

 日本財団はこれまで、ボートレースなどから得た資金を、小規模な財団法人や学校法人、NPOなどに「助成金」として分配してきた。が、今年度からは初めて、9億円の資金を、独自の事業に使うとしている。今までは、地域の団体が行う活動を「支援」してきたのが、これからは一部を、主体的な事業活動に充てるというのだ。これをぜひ、子供たちの教育や福祉を充実させる活動に使って欲しいと思う。政府の社会保障支出は、7割が「高齢者向け」であり、子育て支援は手薄い。この部分を、日本財団の潤沢な資金で補えないだろうか。

教育格差の是正のため、無料の学習塾を開いたり、貸与型の奨学金制度を充実させたりするのもアリだろう。日本では質量ともに不足している、ベビーシッターや保育ママの普及へ向けて、研修事業を行なったり、団体を創設したりするのもいいと思う。子供たちの幸せのために、多額の資金を使える団体はそう多くない。日本財団の新たな活動に期待したい。

 

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

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ハンセン病差別によって埋もれた作家「北條民雄」が描いた「“いのち”として存在させられるということ」

人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人達(※引用者注:ハンセン病の患者たち)の『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがぴくぴくと生きているのです。」(北條民雄『いのちの初夜』勉誠出版、2015、p.49より引用。初出は1936年「文學界」2月号[1]

[1]旧仮名遣いを一部、現代仮名遣いに変更しています

ここに書かれた文章は、文学青年として活躍しながら20歳でハンセン病を発症し、23歳で結核のため夭逝した作家、北條民雄(ほうじょう・たみお)の『いのちの初夜』から引用したものだ。彼の文章からは、ハンセン病として生き、不当な差別を受けながら亡くなっていった人たちの「いのちの存在」が、ありありと迫ってくる。読んでいると、胸をえぐられるような感情に襲われるが、目を背けることができない。

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(北條民雄、『いのちの初夜』、勉誠出版、2015年)

90年代後半まで残っていたハンセン病患者の強制隔離

ハンセン病は、人類の歴史上もっとも古くから知られる病気のひとつだが、1980年代に治療法が確立されるまでは、世界各国の政府から「隔離」、「断種」(避妊手術)などの対象とされてきた。

 日本も例外ではなく、1953年にはハンセン病患者を隔離する「らい予防法」が成立。患者たちは社会的な労働を禁じられ、療養所入所者は外出を禁止された。「らい予防法」は1996年に廃止されたが、2001年に違憲判決が出るまで、ハンセン病患者に対する「差別」は正当化されてきた。現在も、社会的な差別をおそれ、施設から出るのをためらう入所者は多い。

今回は、「世界ハンセン病の日」合わせて開かれたイベント、「文学でみるハンセン病~川端康成に支えられた作家、北條民雄について語る~」(2015年1月30日)を通して、「ハンセン病」と、人間が「生命としてあること」について考えてみたいと思う。

没後80年を得て蘇る川端康成も評価した才能

冒頭に引用した「いのちの初夜」を著した北條民雄は、1914年生まれ。徳島県育ちで、15歳で上京、夜間学校に通うかたわら、友人たちと同人誌を起こすなど、精力的に活動していた。結婚もしたが、19歳でハンセン病の疑いが出て離婚。その後は、多摩の全生病院(現・国立ハンセン病療養所多摩全生園)で執筆を続けた。川端康成の手を借りて世に送り出された著作「いのちの初夜」は、1936年に文学界賞を受賞している。川端と北條民雄は、手紙のやり取りがあり、食事を共にしたこともあるという。

 北條民雄の生涯を綴ったノンフィクション作品、『火花』の作者、高山文彦氏によると、川端の友人だった志賀直哉は、すでにハンセン病を発症していた北條自筆の原稿用紙を見て「病気が伝染るのではないか」と、川端宅から逃げ帰ったという。文豪、志賀直哉すら恐れたハンセン病。すさまじい差別の中、川端康成がなぜ、北條民雄との交流を続けたのかは分からない。が、川端はのちに、「彼が生きていたならば、私より先にノーベル文学賞を受賞していただろう」と、北條民雄を改めて評価している。

2014年、北條民雄の死後80年近くがたって、ようやく本名の「七條晃司(しちじょう・こうじ)」が公表された。北條はハンセン病と分かった時に「戸籍」を抜かれていたため、「存在しない人」「幻の作家」とされていたのだった。存命の親戚すら、作家・北條民雄の存在を知らなかったという。

隔離された患者たちの「むき出しの生命」

冒頭の物語に戻ろう。イベントでは、俳優の原田大二郎さんが「いのちの初夜」の最後部を朗読された。

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(「いのちの初夜」を朗読する原田大二郎氏)

主人公の「尾田」は、23歳。ハンセン病の宣告を受けたあと、幾度か自殺を試みるが死にきれず、覚悟して施設へと向かう。そこで見たものは、隔離された患者たちの「むき出しの生命」とでもいうべき姿だった。

入院初日、看護師らに「消毒しますから……」と言われ、尾田は薄汚れた脱衣所で裸になる。「薄白く濁った湯」に浸かった尾田は、強い怒りと悲しみ、嫌悪感に襲われる。入浴後は、「小学生にでも着せるような袖の軽い着物」を渡され、着替える。いくばくかの手持ちの金銭は、施設内で流通する「金券」と交換された。

 「恐らくはこの病院のみで定められた特殊な金を使わされるのであろうと尾田はすぐ推察したが、初めて尾田の前に露呈した病院の組織の一端を掴み取ると同時に、監獄へ行く罪人のような戦慄を覚えた。」(p.17)

治療法が確立されていなかった戦前、尾田が目にしたハンセン病患者たちの姿は、「奇怪な貌」「不気味なもの」として感じられた。そんな尾田の世話人は、「佐々木」という同病の男性。彼はもう5年、この病院にいる。目がどんどん見えなくなっていく佐々木は、懸命に何かを表現したいらしく、夜な夜な文章を書いている。物語は、この「佐々木」と、尾田との会話を中心に進んでいく。

 ある夜、佐々木は、悪夢を見て起きてきた尾田に、「眠れないのですか」と声をかける。背後には、「ああ、ああ、なんとかして死ねんものかいなあー」と唸る患者の声が響いている。

佐々木は尾田に、「あなたは、あの人達を人間だと思いますか。」と問いかける。尾田は、佐々木の意図が分からず黙ってしまう。

 尊厳を奪われ「生命そのもの」として生きたハンセン病患者たち

佐々木は言う。

「ね尾田さん。あの人達は、もう人間じゃあないんですよ。」「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人達の『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがぴくぴくと生きているのです。」(前掲書、p.49)

 

入院患者たちは、社会から隔離され、人間としての尊厳を奪われている。彼らはただ「生命」として生かされている。「生命だけが、ぴくぴくと生きている」。これが「人間」の、本来のあり方だろうか。「生命」だけになって、それでも生きている「人間」を前にして、私たちは言葉を失う。佐々木は、たたみかけるように続ける。

 「誰でも癩(らい)になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。(中略)廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕等は不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、再び人間として生き返るのです。」(前掲書、p.49)

 佐々木は、ハンセン病として生きる患者たちを、「新しい人間、今までかつて無かった人間像」として表現したいと考えていた。その哲学を必死に、ノートに書き付けているが、佐々木にはその「新しい人間像」を表現するだけの才能が(おそらく)ない。さらに、佐々木の目は、病によって、ほとんど見えなくなっていた。

 佐々木は、尾田に「ハンセン病として生きるとはどういうことか」を、しつこいほどに問いかける。病院内で当直を勤め、「どんなに痛んでも死なない」(前掲書、p.47)患者たちの下の世話をこなしながら、佐々木は「人間の条件」について思考を巡らせる。そうして「新しい人間像」について考え、書くことが、視力を失いつつあった佐々木の、生きる目的になっている。

ハンセン病としての人間像」に抗い、仁王立ちしてみせた北條民雄

作家の高山氏は言う。

「北條民雄の『いのちの初夜』を読むと、他の小説が“へなちょこ”に思えるほどの衝撃を受ける。おそらく北條は、ハンセン病患者になりきれずに”死んだのだと思う。彼は、夜な夜な日記をつけ、自らの思いを記録していた。『書かなければ、逃げられない』というような思いがあったのだろう。彼は、たった1人で『ハンセン病という人間像』に抗い、仁王立ちしてみせたのではないか」(高山文彦氏)

差別は「自分が上に立ちたい」という心から生まれる

社会問題にも関心の高い、俳優の原田大二郎氏は、10年以上にわたり、大学で朗読を指導している。原田氏は、「北條民雄の作品を読むと、命がかかっていない文学は、文学たりえないと感じる」と語った。

「僕は以前、インドでハンセン病患者と向き合った際、その手に触れるのをためらってしまった。どうしても、彼らを『普通に』見ることは難しかった。差別は、自分の心にも根深く存在している。その心は、『対象を自分より劣ったものとみなす心』だ。自分が『上』だと確認したいという心が、差別のきっかけをつくる。その差別心に打ち克つには、相手の立場になって考える『想像力』しかないのではないかと思う」(原田大二郎氏)

「いのちの初夜」では終盤、佐々木が、ハンセン病患者として「苦しむためには才能が要る。苦しみ得ない人もいる」と嘆く。佐々木は病院内で、人間としての尊厳を奪われた患者らを世話する中で、患者たちの「言語化されない苦しみ」を見ていた。佐々木の言葉に、尾田は何も言い返すことができない。しかし、彼はそれでも「やはり生きてみることだ」と強く思う。物語はそこで終わる。

20歳でハンセン病を発症した北條民雄も、文学を通して、ハンセン病患者としてではなく「人間」として限界まで生きてみようと決意したのではないか。彼の文章が私たちの心を打つのは、ハンセン病という「社会的な病」が、「人間」としての条件を突きつけるからだ。「人間の条件」が社会によって一方的に定義され、ある集団の人権を奪ってきた歴史がある。差別は今も続いている。ハンセン病の歴史を知ることで、私たちは、「不平等」が社会そのものによって生み出され、人々の意識を歪ませることの脅威に、改めて気づくのである。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

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「売上が震災前まで回復」した被災地企業は、わずか40%。被災地の産業復興に、民間のマーケティングノウハウは活かせるか

東日本大震災の発生から、来年の3月11日で丸4年となる。震災は、岩手・宮城・福島などの地域に大きなダメージを与え、「地方と都市部」の格差をさらに広げてしまった。一方、2014年の東京で、震災の爪あとを目にすることはほとんどなく、被災地への“想像力”が必要とされる機会は失われつつある。こうした現状を乗り越えようとする試みが、ないわけではない。たとえば「WORK FOR 東北」(復興庁・日本財団の共催)は、被災地の自治体で求められている人材ニーズと、意欲のある企業・個人をマッチングし、1~2年程度、被災地へ人材を派遣するプロジェクトだ。東京から派遣された社員たちは、東北での体験を自らの所属企業へと持ち帰り、「地方への想像力」をビジネスにつなげる。先日行われた「WORKFOR 東北」の企業向け説明会では、体験者の声を聞くことができた。  

「売上が震災前まで回復」した被災地企業は、わずか40% 

被災地の復興状況は「まだら模様」だ。復興庁の資料によると、災害廃棄物の処理や、下水道施設、学校、病院などの整備は99%が「完了」している。一方、現在の売上状況が震災直前の水準以上まで「回復している」とした企業の割合は、40.3%と半数に満たない。業種別では、売上が回復している割合が最も高いのは建設業(71.5%)、次いで運送業(48.3%)。最も低いのは、水産・食品加工業(19.4%)、次いで卸小売・サービス業(31.8%)となっている。総じて、インフラは回復したものの、産業、それも水産や小売業の状況が厳しいことが分かる

復興庁の岡本全勝統括官は、スピーチで、

「復興にはインフラ、産業、コミュニティの3つが大切だ。特に『産業』の復興には、人材の育成が最も重要。上から目線の押し付けではなく、人材の育成を加速化しなければならない」

と述べた。

f:id:kaya8823:20141211154314j:plain(「WORKFOR 東北」セミナーの様子)

よそ者だからこそ、「中長期的な視点」で考えることができる

「WORKFOR 東北」ではこれまでに、60名を超える人材を被災地に派遣してきた。現在、募集中の案件をみると、インフラというよりは、産業やコミュニティの復興にかかわるものが目立つ。たとえば岩手県の農林水産部が出している募集要項は、マーケティング知識をもつ人に来てもらい、「県産農林水産物の販路拡大」に取り組んで欲しいとの内容だ。農林水産物の風評被害から抜け出せない現状を、民間のマーケティングノウハウで解決したいとの思いがある。

 NECの山本啓一郎さん(1976年生まれ)は、今年4月、2年間の赴任を終えて東京に戻った。大手企業と被災地の企業をつなぎ、さまざまな支援策を提供してもらう事業結の場」の運営に関わり、現在は復興庁に出向している。

「赴任した当初は、方言も分からなかったし、被災地の方々に『産業の復興』を訴えても、『まだインフラも整っていないのに、産業の復興どころではない』と言われてしまった」(NEC、山本さん)

 それでも2日に1度のペースで関係者のもとへ通い続け、「産業を復興させることの重要性」を説いた。「よそ者」だからこそ、中長期的な視点で、地元の利益を考えることができたのだろう

被災地の自治体に育ててもらっている

社員3名を派遣している㈱リクルートライフスタイルでは、特に観光支援に取り組んでいる。

被災地の状況は良くなっているが、前向きな情報は、なかなか流れてこない風評被害が観光産業に影を落としている。当社の強みである『じゃらん』『ホットペッパー』などのコンテンツで、旅行支援に力を入れています」

派遣している社員3人の仕事は、10%が『本社と被災地をつなぐパイプライン』、90%が『ビジネスパーソンとしての成長』です。3人のうち、1人は仮設住宅で暮らしているのですが、被災地の状況を知る彼の発言には重みがある。被災地の自治体に育ててもらっているのです。彼の提案に『NO』は言えない」(㈱リクルートライフスタイル、北村吉弘代表取締役社長)

TOTO株式会社から福島県双葉町へ派遣されている山中啓稔さんは、40代なかば。家族の了承を得て、この4月から赴任中だ。

「入社してから、IT部門で6年、販売で14年、法務で4年働いてきました。これまでの経験をふまえ、うまく次のフェーズに行きたいと思って赴任しました。まだ成果は目に見えていませんが、それでもこうやって『悩むこと』自体が経験になっていると感じる。この経験を、手応えにしてゆきたい」(TOTO㈱、山中さん)

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被災地に赴任中の、TOTO㈱山中さん) 

復興=「前より立派な公共施設を作ること」ではない!

こうした民間企業からの人材受入れを、被災地はどう受け止めているのか。石巻市副市長の笹野健氏が、熱弁を振るった。

「来てくれた人たちは、1~3年で東京へ帰ってしまう。すぐには成果は出ませんが、長期的にみればきっと、成果は出ていると感じます」

 

復興とは何なのか。前より立派な公共施設を作ることではないですよね。それは、被災者も分かっているんです。復興の本質は、人様にお世話にならなくても回っていく『コミュニティ』を取り戻すことなんです」

 

 「あまり知られていないのですが、広島の牡蠣のタネガキは、多くが宮城県産です。博多の明太子も、もとの6割はうちが提供している。こんなに豊富な水産資源があるのに、われわれは『どうやって売るか』を考えてこなかった。外部の人たちから、『考えなきゃダメでしょう』と言われて、『売る』ことへの意識は確実に変わり始めています」(石巻市副市長、笹野氏)

 そろそろ「被災地がノウハウを身に付けなければならない段階」

 被災地の復興は、新しいフェーズに入っている。インフラはおおよそ完成し、被災3県における人口の社会増減率は、被害の大きかった沿岸市町村でも震災前の水準に戻りつつある。これからは、いかに「地元が復興のノウハウを身につけていくか」が課題になっているのだ。

ビジネスの知見や、コミュニティ再興ノウハウの獲得。これは被災地にかぎらず、人口減少や産業の空洞化に悩む地方が「サバイブ」していくにあたり、共通の課題だろう。その際、石巻市副市長が述べたように、「企業によりそって頂けることは、大きな助けになる」。民間企業が被災地に提供できる最も大きな「支援」とは、官にはない「ビジネスノウハウの提供」である。というか、寄付を除けば、それ以外ないだろう。。見返りとしては、派遣企業の多くが実感している「自社社員の成長」が得られる。社員数名を被災地に派遣しているKDDI㈱の菅野養一理事・東北総支社長は、次のように述べた。

被災地へ赴いた社員の成長は目覚ましい。被災地の自治体と仕事をして得られたノウハウは、将来、別の自治体と仕事をする際にも役立つ。『WORK FOR 東北』を通して、全国的な地方の課題を、今から把握していくことも可能だと思う

地方と都市部の格差がますます広がる中、「WORK FOR 東北」のような試みが広まっていくことは、大きな可能性を秘めている。「東京」だけで固まっていては、イノベーションを起こすことは難しい。「地方」への想像力を「都市部」が取り戻すためにも、こうした取り組みが全国的に広まればよいと思う。地方への想像力はきっと、お金には代えられない価値を生むからだ。

【北条かやプロフィール】

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「親に恵まれない子ども」のうち、9割が施設に。「子どもを社会で育てる」ってそういうことなの?

児童虐待のニュースが相次いでいる。先日は、大阪府茨木市で3歳の長女を衰弱死させたとして、義父(22)と無職の母親(19)が殺人容疑で逮捕された。新潟県では、「娘が泣くのでうざい」と話していたという母親(24)が、3歳の長女を川に落とし殺害したとされる。母親は夫の暴力が原因で離婚し、長女と交際相手の男性と3人で暮らしていたようだ。

どれだけ社会が豊かになっても、こうした「分かりやすく壊れた家庭」が消えてなくなることはない。児童虐待の件数は、12年に過去最高を記録した。貧困が子育て世帯を直撃し、社会からの孤立を深める。最も弱い子どもにしわ寄せがいく。「子どもを育てる能力がない」と判断された親のもとを離れ、やむを得ず国の支援下で暮らす子どもたちは、日本に約4万人*1もいる。

11月20日に行われた、「「世界子どもの日」国連・子どもの権利条約 採択25周年記念シンポジウム~すべての赤ちゃんが「家庭」で育つ社会をめざして~」では、社会的養護施設の関係者などから、リアルな話を聞くことができた。その一部を紹介したい。

児童養護施設出身者がホームレスになる確率は、そうでない人の44~88倍」

国際基準では、3歳未満の子どもは例外なく、家庭環境のもとで育てられるべき」と定められている。子どもは家庭環境で育つ権利をもっており、施設への収容は「最終手段」、基本的には望ましくないものという考えだ。養子縁組などを通して、家庭に戻ることができれば、子どもにとって最も重要な「安定」が得られる。安定的な環境で育った子どもは、そうでない子どもと比べて発達上のメリットが大きいというのは、多くの研究が明らかにしてきたところでもある*2長野大学准教授で、児童精神科医の上鹿渡和宏氏は、「施設から家庭へと移るのは、早ければ早いほど良い」とする研究結果を示した。

極論を言えば、親に子を育てる力がない状態で生まれた子どもは、すぐに特別養子縁組へ……というのが理想的なパターンだが、日本では、こうしたマッチングの機会は非常に少ない。よって、親に恵まれない子どもの約9割が「施設」で育てられているのが現状だ。彼らは乳児院から児童養護施設へと移り、18歳で施設を出たあとは、いくばくかのお金を持たされて「後は自己責任で頑張ってね」となる。その結果が、児童養護施設出身者がホームレスになる確率は、そうでない人の44~88倍」という数字*3だ。

東京都で社会的養護を受ける子どものうち、高校まで卒業できるのは73%、その後、短大や大学、専門学校などに進めるのは、わずか15%である。一般的な家庭は半数以上が「大学・短大」に進むことを考えると、著しく低い。施設育ちの若者は、学歴や職業スキルのない状態で放り出され、職を転々とすることも少なくない。養子縁組の場合とは異なり、施設で育った若者は、多くの場合、頼るべき家族がいないからだ

施設で育っても、実の親にずっと「縛られている」

自身も児童養護施設の出身で、施設出身者の現状をドキュメンタリーで追ったMさんは語る。

「僕は、幼いころに母親が病死し、父親が育てられないというので施設に入りました。施設では、6畳ほどのスペースに、4人で住んでいました。保育士さんに育ててもらいましたが、皆すぐに辞めてしまう。『この人もいつかは辞めるのかな』と、心を開くことはできませんでした。でも、一緒に過ごした仲間は、兄弟よりも仲の良い関係です

Mさんはその後、10代半ばで実父との生活を再開した。一方、18歳で施設を出たかつての仲間たちは、

「職を転々としている人が多かった。性風俗で働く子もいましたし、牧場の寮で、住み込みで働いている子もいます。みんな、新しい生活を送りつつ、どこかで『親』の存在に縛られているなと感じました。害のある『実の親』に縛られるくらいなら、優しい里親に育ててもらった方がいいと思う」 

施設で育てられ、保育士たちが「親代わり」だったというMさんたち。十分な愛情が得られなかったケースもあるのか、施設を出た今も、どこかで「自分を(捨てた)親」の存在にこだわってしまうのだ。しかし、その願望が満たされる可能性は少ない。だったら最初から、自分を実子のように愛してくれる「里親に育ててもらう方がいい」と、Mさんは力を込めた。

「一緒に育った友達を否定したくない」

乳児院児童養護施設、自立援助ホームの環境は、今年問題になった日テレのドラマ「明日、ママがいない」で描かれたものが全くの嘘ともいえないほど、時に劣悪だ。Mさんも、「6畳ほどのスペースに4人で暮らしていた」という。子どもにとって「安定的な環境のもとで育つこと」は、大人が想像する以上に大切だが、親代わりとなる保育士らの入れ替わりは激しい。子どもたちにとって、それは「親がコロコロ変わること」に等しいだろう。

それでもMさんは、自分が育った「施設を否定したくはない」と言う。

自分が幼少期を過ごした環境を否定することは、そこで出会ったかけがえのない友達を否定することにつながる気がする。施設を全否定はできない」(Mさん)

赤ちゃんポスト」の前で立ち尽くす母親

「明日ママ」といえば、主人公につけられた「ポスト」というあだ名が問題になった。「赤ちゃんポスト」(正式名称は「こうのとりのゆりかご」)を運営する熊本の慈恵病院などが、「人権侵害のおそれがある」などと抗議していたのを覚えている人も多いだろう。シンポジウムでは、慈恵病院の相談役を務める田尻由貴子氏が講演。赤ちゃんポストの実態を、データで報告した。

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(写真:慈恵病院で相談役を務める田尻氏)

慈恵病院は、病床数98の小さな施設。2007年に「こうのとりのゆりかご」を設置してから14年3月までに、101件の利用があったという。全国から利用者が訪れており、病院がある熊本市からは8%にすぎない。ポストの前で立ちすくみ、助けを求めるかのような母親も少なくないそうだ。

「民間病院が対応できる数には限界がある」

病院の立場としては、「困った母親に手を差し伸べることが目的であり、赤ちゃんを預けるのは最終手段」。ゆりかごの横に、ナースステーションへと繋がるインターホンがあるのはもちろん、全国から24時間365日、電話相談を受け付けている。助産師や保健師の資格をもつ相談員が、女性からの「思わぬ妊娠」や「暴力による妊娠」、「今、破水したがどうすればいいか」といった緊急度の高い相談にも対応する。相談数は年々増加しており、7年間で合計5000件を越えた。

「この件数は、いち民間病院が対応できるキャパシティは、明らかに超えています。それでも困っている女性たちには、相談し『病院へ行けば助かる』と思ってほしい」(相談員の田尻氏)

相談の結果、「自分で育てる」と決意する女性も多い。が、どうしても育てられない場合は、特別養子縁組を勧めることもある。慈恵病院では、7年間で204人の養子縁組を実現した。

こうのとりのゆりかご」の実践からは、現代の若者の「性意識の低下」や「自己責任の欠如」などが見えてくる……と田尻氏はおっしゃっていたが、昔も今も、一定の割合で「性意識が低く、自己責任が欠如した若者」はいただろう。問題は、こうした若者たちから生まれた子どもを支える、社会的なインフラが圧倒的に足りないということだ

もちろん田尻氏も、「社会的育児支援」は問題であると語っていた。子どもを社会で育てるという点からいえば、慈恵病院による「24時間365日対応」の相談活動が果たす役割は大きい。貧困や暴力など、困難な環境で妊娠する女性が、いなくなることはない。そういう女性たちが、産んでから「どうしよう、産まなければよかった」となってしまわないよう、「産む前からの支援」が何より重要だと思う。今は相談機関が圧倒的に少ないし、困難な状況で、行政を頼ることのできる母親は少ない。

児童養護施設への「補助金」が、子どもを施設に閉じ込めている?

親に恵まれない子どもを、「施設ではなく、養子縁組で家庭へ」という動きは、なかなか進まない。その一因が、「施設への補助金」だ児童養護施設には、国から「子ども1人あたりいくら」という形で補助金が支払われる。預かった乳幼児を養子縁組に出すと「経営が立ちいかなくなる」施設もあるのだ。福祉関係者は、児童養護施設との関係維持も大切らしい。そういう事情があるために、施設に対して「子どもたちを養子縁組に出してください」とは言えないのだ。里親になりたい人たちのニーズを掘り起こす活動も後手に回る。

親が行方不明で「同意」が得られないから、養子には出せないケースも

施設から子どもを養子に出そうと思っても、上手くゆかないケースはまだある。民法では、特別養子縁組の際、「実親の同意」が必要と定めているが、福岡市こども総合相談センターの福田峰之氏によれば、親が行方不明になっている場合などは、同意を得ることが難しい

「とにかく、子どもが施設ではなく、家庭で育つことのメリットを広める必要がある。里親が失敗したケースなど、悪い例ばかり見る人が多い

と指摘するのは、里親養育を推進するNPO法人「キーアセット」の渡邉守氏。

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(里親支援の関係者などが集まり、ディスカッション)

そもそも「施設で育てること自体が虐待」とすらいえる現状もある。国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ」の報告書によると、施設では、10代後半の子どもでも1人部屋がないのは当たり前。プライバシーが確保されていない環境で、フラストレーションがたまり、感情のコントロールができなくなる子どももいる。大きな施設で起きるいじめや暴力に関して、子どもたちからの「苦情申し立て制度」はない。さらに、一般家庭であれば、家族との行動を通して自然と覚える「社会的なスキル」が身につかない子どもも多い。「電車の切符の買い方が分からない」「マクドナルドの注文の仕方が分からない」子どももいる。

千葉県で養育里親をつとめる吉成恵里子氏は、「もっと気負わず、里親を経験する人が増えてほしい」と訴えた。

養子縁組で、生後3ヶ月の赤ちゃんと対面して感じた「子どもがもつ力」

特別養子縁組を通して、現在1歳8ヶ月の娘を育てている女性は、次のように語る。

不妊治療の末、夫と話し合い、養子という選択肢を考えた。迷いはありましたが、何度も研修を受けて、意志が固まりました。この子と対面した時、とても強い『力』を感じたんです。子どもの持つ力は大きいと感じます。娘が大人になったら、本当のことを話そうと思う。そして、世の中には自分と同じ境遇の子がいるんだっていうことを、理解できる子になってほしい

 「社会で育てる」=支援のもと、家庭で育てるということ

そもそも「子どもを社会で育てる」とはどういうことか。里親支援の関係者や、慈恵病院の方々の話を聞いて感じたのは、「社会で育てる」といえば聞こえはいいが、そこまで立派な「社会」は、日本にはもう存在しないのではないかということだ。今、恵まれない子どもたちは、「社会=国が面倒を見る”」ということになっている。それはすなわち「施設」という、名ばかりの「社会」に閉じ込めることを意味する。施設で育った子どもたちは、「社会生活に必要なスキル」が身につかないために、職を転々とし、最終的に生活保護を受ける場合すらある。再び「国が面倒を見る」わけだ。これが本当に、「すべての子どもを社会で育てる」ということなのか?

一般的に、「子どもを社会で育てる」という場合の「社会」とは、「地域社会」のことだと思う。より狭義には「地域社会とつながった『家庭』で育てる」という意味だろう。まず家庭があって、家庭を包む地域社会があって初めて、子どもは社会性を身につけることができる。里親など「家庭養育」への支援策を充実させないまま、児童養護施設補助金を出し、閉鎖的な環境に子どもを集めておく育て方が、本当に「社会で育てる」ということなのだろうか。「子どもが育つ権利」を第一に考えるのであれば、答えは「家庭」というところに戻ってくるのではないかと思う。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

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*1:13年10月1日現在。国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ」の資料「夢がもてない 日本における社会的養護下の子どもたち」による

*2:ネイサン・A・フォックス「重要なタイミング~乳幼児期の経験が脳と行動の発達に及ぼす影響についての考察~」子ども虐待防止世界会議、2014年9月発表など。

*3: ビッグイシュー「若者ホームレス白書」、「若年不安定就労・不安定居住者聞き取り調査」NPO法人釜ヶ崎支援機構より