「障害者」と「健常者」を、分断から交じり合いへと導くアートの力

みんなと同じだけど、ちょっと違う存在

小学生の頃、クラスに「たっくん」という、知的障害をもった男の子がいた。たっくんは一見、他の子たちと変わらない。体育のときは、みんなと同じように授業を受ける。でも、算数や国語の時間はいない。いつもニコニコ楽しそうだけど、時々、幼稚園児のような甲高い声を上げる。でも、クラスのみんなからは「たっくん、たっくん」と人気者で、誰も彼を“特別視”はしていない。

転校してきた私は、前の小学校ではそういう子と出会う機会がなかったので、率直に「あの子は何者だ??」と驚いた。先生に「たっくんって何者?」と尋ねたところ、担任の教師は、その素朴すぎる疑問に「わははは!」と大笑いした。「何者?って、あなた、面白い表現ね~!たっくんは、みんなと同じだけど、みんなと一緒にできないこともある。そういうときだけ、特別支援学級で、別のお勉強をしているのよ」。たっくんとの出会いが、私にとっては「障害者」との初めての出会いだった。

 五体不満足』と「バリアフリーブーム」

その数年後、乙武洋匡さんの『五体不満足』が大ベストセラーになった。「障害を個性のひとつ」と捉える作者の、前向きな生き方は衝撃を持って受け止められ、社会全体で「バリアフリー」や「心のバリアフリー」について考えるのがブームになった。

f:id:kaya8823:20141116030307j:plain(画像引用:Amazonより)

ただ、乙武さんがヒーローになっても、現実の「障害をもった人たち」は、相変わらず、都会のど真ん中というよりは、郊外など、ちょっと人里離れた所(というと語弊があるが、実際、施設があるのは、地方の自然に囲まれた地域が多い)で、割と地味で、地道な生活を送っている。そんな、「ごく普通の障害者」たちによるアートが、日本でも注目されるようになって、約20年が経つ。

「障害者アート」という人もいるが、正確にはこう呼ぶそうだ。「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」「生の芸術」*1。施設関係者たちの活動などを通して、地道に広がってきた彼らのアート作品は、この社会で「普通に生きる」とは何か、「普通ではない者」とカテゴライズされて生きるとはどういうことか、そもそもアートとは何か等々、様々な問いを投げかけ、私たちの「当たり前」を揺さぶる*2

11月8日(土)、日本では初めての試みとなるアール・ブリュットの合同展覧会が始まった。展覧会のコンセプトは、「TURN/陸から海へ~ひとがはじめからもっている力~」。東京藝術大学教授の日比野克彦氏が監修し、全国4つの美術館を巡回する。オープニングイベントを見てきたのだが、帰宅した当日は知恵熱が出るほど考えこんでしまった。

f:id:kaya8823:20141116031133p:plain(合同企画展のポスター)

「ひとがはじめからもっている力」って何だ?

同企画展に先立ち、日比野克彦氏は、入所者の方々と「時間を共有するため」、全国4つの障害者支援施設で「ショートステイ」をしている。日比野氏は、施設への滞在を通して、障害を持った人たちの創作意欲や独特のキャラクターを目の当たりにした。「健常者」である彼が、入所者とともに寝泊まりし、同じように作業をする。することが何もない時は、日がな一日ぼんやりすごす。滞在中、日比野氏は、「アート(美術)のアートたるゆえんは何か」、「表現とは何か」「そもそも『美』とは何か」など、様々に思いを巡らせたそうだ。考えぬいて見えたものが、今回の展覧会のコンセプトとなった。いわく、「ひとがはじめからもっている力」

「良い意味で、分かりやすいコンセプトだなぁ」と、はじめは思った。「障害を持った人たちのアート作品を通して感じられる、普遍的な『生のパワー』みたいなものかな……?」だが、現実はもっと複雑だった。その「複雑さ」をレポートするのが、このブログの目的です。ちょっと長くなりますが、時間の許す限り、お付き合い下さい。

障害者、マルセル・デュシャン岡本太郎の作品が並列に並ぶ

合同企画展のスタート地点は、京都府亀岡市の障害者支援施設「みずのきえん」が運営する「みずのき美術館」。京都駅から電車で20分あまりの、亀岡駅で下車する。町中にある「みずのき美術館」まで、てくてくと歩く。

f:id:kaya8823:20141108144349j:plain

商店街の古い家屋がたちならぶ中に、ぬっと、真っ白な、でも不思議と町並みに溶け込んだ建物が姿を現す。

f:id:kaya8823:20141108144530j:plain

(みずのき美術館の入り口。大正期に建てられた理髪店をリノベーションした建物)

中に入ると、障害を持った人たちの作品から、マルセル・デュシャンの有名なアート作品「泉」、岡本太郎が全国行脚して、地方に生きる人々の生活を撮影、文章とともに著した「藝術風土記」、最近の現代アート作家たちの作品、演出家の野田秀樹さんの作品までが、“対等に”並んでいる。

f:id:kaya8823:20141108144106j:plain

当日は、日比野克彦氏と、キュレーターの奥山理子氏による作品の解説があるということで、かなりの人出だ。100人くらいは集まっている。取材陣も多数。

f:id:kaya8823:20141108151245j:plain(中央が日比野克彦氏)

作品解説が始まる。1作品目は、島袋道浩さんの「輪ゴムをくぐりぬける」。無造作に置かれた輪ゴムが、人々の行為を誘発する。日比野氏が、文字通り「輪ゴムをくぐり抜け」るパフォーマンスをし、会場はどっと湧く。

f:id:kaya8823:20141108151128j:plain

(これも、日常にありふれたモノからコミュニケーションを生み出すアートだ。)

f:id:kaya8823:20141108150954j:plain(輪ゴムをくぐり抜ける日比野克彦氏)

そもそも、絵を描くことの意味って何?

次は、日比野克彦氏が、全国4つの障害者支援施設にショートステイした際に仕上げた作品。日比野氏は、滞在中「絵を描くことを自分に課さなかった」という。それでも、入所者たちとの何気ない時間から、「1人1人のキャラクターを見ているうちに、積もってくるものがあり」、隣接のアトリエへで、彼らのイメージをもとに作品を仕上げたのだという。

f:id:kaya8823:20141108133114j:plain(自身の作品を解説する日比野氏)

入所者の方々と一緒に創作する中で、日比野氏は「絵を描くって、なんだろう」という、根源的な問いにぶつかった。私たちが絵を描くときは、だいたい、描いた先の結果を見越して表現している。それは、他人からの「すごいですね」という評価かもしれないし、「思い通りのイメージを表現できた」という自己満足かもしれない。が、施設の人たちは、そういう「未来」や「結果」を思い描くことなしに、ただひたすら描くのだという。

障害を持った人たちがアートで表現する行為は、「意味」や「未来」とは切り離されているのかもしれない。私たちが絵を描こうとする場合は、事前にイメージを組み立ててから、カンバスに色を塗り始める。が、日比野氏が出会った「ソウちゃん」という方は、真っ白な紙の中から、何かあるものを「掘り起こす」ために筆を動かしているような印象を受けたという。彼は、頭の中のイメージを紙に投影するのではなく、紙の中からイメージを掘り起こしている。いや、彼が掘り起こそうとしたのは「イメージ」ですらないかもしれない(「イメージを掘り起こす」という表現自体、私たちの先入観である)。とすると、彼が筆を動かす「行為」とは一体何なのか?

 「ダルマの目入れ祭り」という不思議な光景

頭がこんがらがってきそうになったところで、田中偉一郎さんというアーティストによる「目落ちダルマ」の「目入れ祭り」が始まった。会場の天井付近には、巨大なダルマが(なぜか)鎮座している。

f:id:kaya8823:20141108155455j:plain(何でこんな場所にダルマが……)

今から、作者の田中さんが、この巨大なダルマに「目」を入れるという。なぜか目隠しをし、「メーーーーッ!」と叫ぶ田中さん(ダジャレ?)。

f:id:kaya8823:20141108160023j:plainf:id:kaya8823:20141108160036j:plain

一体、どうやって天井のダルマに目を入れるのか。参加者だけでなく、町の人たちも、「???」といった顔で、立ち止まったり、ちょっと気まずそうに前を通り過ぎたりする。幾度かの「メーーーー!」という絶叫を経て、いよいよ「目入れ」が始まった。

f:id:kaya8823:20141108160444j:plain

結局、ダルマの目は、2階にいるダルマ本体ではなく、美術館の外壁に描かれた。一同、拍手喝采。作者の田中氏いわく、「巨大なダルマがなぜか天井に置かれている、目入れをする作者自身が、なぜかタオルで目を隠している、ダルマの目入れの場所がズレている……というように、『すべてがミステイク』な作品です」。

 通りすがりの人も含めた皆が、田中さんの「ミステイク」を共有するという、ちょっと不思議な光景だった。田中さん、素足で寒そう。

アウトサイダー」的なパフォーマンスが、街に出ることの意義

福祉や美術にあまり関心のない人たちも、「あれは何だ?」と、興味をそそられ、思わず見てしまうもの。「アウトサイダー・アート」や「アール・ブリュット」の作品たちが、美術品という枠組みを超え、“パフォーマンス”として街に出ることには、大きな意味があるように思う。「普通の人々」が、アートをきっかけに、アウトサイダーと呼ばれる人たちの周りに集まってくる。そうすることで、「障害者」への意味付けも変わってくる気がした。

もちろん、「そんなのは単なる希望的観測では」という意見もあると思う。現状では、「障害者」「健常者」といったカテゴリーを意識せざるを得ない場所が、まだまだ沢山あるからだ。いくらバリアフリー化が進んでも、見えない心の壁や、家族を含めた当事者たちの苦悩は残る。それでも、「彼らと我々」が、完全に分断されているよりは、どこかで混ざり合い、こうして出会える社会の方が、健全ではないかと思う。この展覧会のように、その融合は「アート」の分野で先に達成されているが、この「社会」にもまた、徐々にそういう原理が広がればいいと思う。

 「美術」と「福祉」をつなげようとする試みのジレンマ

課題はある。当日は、展覧会を共同開催する美術館のキュレーター4人が、トークセッションを行った。「アートと福祉の交差点 交通渋滞発生中!」と題したラウンドトークでは、「美術」と「福祉」をつなげようとする試みのジレンマが伝わってきた。

f:id:kaya8823:20141108161354j:plain

(4名のキュレーターによるラウンドトークの様子)

広島、鞆の浦ミュージアムの櫛野さん(写真右から2人目)は、「障害をもった人たちの作品が“1人歩き”するのではないか、との懸念もあった」という。

 「障害者の中には、当然ながら、アート作品をまったく作らない人もいる。彼らは普通に、施設で生活している。そういう人たちにも光が当たるようにしたい」(櫛野さん)

その意味では、「作品を作らない障害者たち」と一緒に過ごした日比野克彦氏のショートステイ体験は、示唆的でもある。

アートといえば、すぐ「◯◯展で入賞した」というように、権威づけを欲する風潮がある。もちろん、障害者たちや「アウトサイダー」たちの作品が賞を取ることに「意義がない」とはいえない。が、それだけでは、彼らが表現することの「意味」は見えてこない。

アートは科学のように、「進化」を前提としない

日比野克彦氏は、「美術」と「科学」の違いを次のように語る。 

「医療や科学というのは、新しい知見を『下から順に積み重ねていく営み』なんですね。学問分野全体として、『進化』が前提になっている。一方、美術は、進化を目指すことが目的ではありません。1人1人の作品はそこでいったん完結しており、受け継ぐことができない。美術は、先行する知識を受け付けないのです。つまり美術は、下から上に『進化』をしていくのではなく、1人1人の表現が横に並んで、どんどん広がっていくイメージなんです。そのイメージを、素直に体現しているのが、障害者たちのアール・ブリュットなのかもしれない」  

 現代社会に生きる私たちが、1万5000年前に描かれたラスコーの壁画を見ても、『ああ、上手だなぁ』と思いますよね。また、『あなたにとって好きな赤色は、どんな赤色ですか』と尋ねて、カーネーションの赤が良いと言う人もいれば、リンゴの赤が好きだと言う人もいる。どちらの『赤』も正解なんです。アートというのは、1人1人に寄り添う力がある。この、アートの原理は、社会問題の解決にも活かせると考えています

 あ、そうかと思った。ある種の美術作品を見て私たちが感動するのは、それが近代的な未来へと向かう「直線的な時間」を前提としていないからだ。それぞれの作品には「固有の時間」がある。その固有性は、「他者性」でもある。私たちは、アートを通して「他者」と出会うのだ。

「健常者も障害者も同じ人間」という、心地よいスローガン

エッセイストの中村うさぎさんは、『愚者の道』(2005、角川書店)という作品の中で、下半身麻痺の男性と出会った経験を綴っている。うさぎさんは、車椅子生活の苦悩を含めた、彼の様々な内面を、「完璧に『分かる』とは言えない」と、率直に告白する。どんなに頑張っても、身体障害者である彼のすべてを「私」が理解・共有することはできない。が、そういう彼と「私」の差異こそが『他者性』なのではないか?うさぎさんは、その『他者性』を無視して、「健常者も障害者も同じ人間だ」と、聞こえの良いスローガンで思考停止してしまうことの危険性を指摘する。

アール・ブリュットに関しても、同じことが言えるのではないか。日比野氏の語る「アートの原理」に照らして言えば、作品の「美」は1つ1つ完結しており、それぞれが「力」を持っている。しかし、その作品を見て、単に「健常者も障害者も、アートの土俵の上では平等だよね」と感動するだけ……というのは、違う気がする。 

それぞれの「力」を持つ作品たちが宿す「他者性」から、目を背けることはできないのだ。目の前に、個としての表現が、ぬっと顔を現す。障害者をはじめとする「アウトサイダー」たちの作品は、見る者に「他者性」をつきつける。つきつけられて立ち止まり、足がすくんで動かなくなって、そこにとどまるか。「平等」という心地良い言葉のもと、考えることを止めるのか。それとも、その先へ進むのか。美術と福祉をつなげるアール・ブリュットの試みは、見る者を際限ない思考の循環へといざなう。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

*1:厳密には「障害者」だけでなく、犯罪を犯した人や、市井の人々による作品も含まれる。

*2:日本のアール・ブリュットは近年、海外でも評価されている。2010年から11年にかけては、パリで「アール・ブリュット ジャポネ展」が開催された。

「幼い子どもには、保護者の絶対的な愛情が必要」。だが、それは「母親が1人で育児を担うべき」ことと同義ではない

厚労省によると、2012年度に児童相談所が対応した児童虐待の件数は、6万6701件。2000年に「児童虐待防止法」ができる前の、実に5.7倍に増加しています。児童虐待に対する社会の認識が変わってきたということでもありますが、依然として、虐待で死亡する子供は増え続けています。こうした現状を考えようと、9月14日~17日にかけて、「子ども虐待防止世界会議 名古屋 2014」が開催されました。仕事で児童相談所の取材をして以来、この問題には関心があったので、早速、名古屋へ。初日の講演に参加してきました。

 「月経警察」などの政策が生み出した、「チャウシェスクの子供たち」

会議初日には、米国メリーランド大学教授のネイサン・A・フォックス教授が講演。児童虐待を知る人の間ではかなり有名、というか悪名高い事例、「チャウシェスクの子どもたち」についての、長期的な報告です。 

f:id:kaya8823:20140930092031j:plainf:id:kaya8823:20140930092046j:plain

  (写真:講演するネイサン・A・フォックス教授)

チャウシェスクの子どもたち」とは、何か。世界史で習った方もいるかもしれませんが、ルーマニアは60年代から80年代末にかけて、共産党チャウシェスクによる独裁政権下にありました。チャウシェスクは、国力を増強させるため、「産めよ殖やせよ」政策を強行します。具体的に何をしたかというと、まずは「メンストゥルアル・ポリス(月経警察)」なる組織を設立。政府の婦人科医が、子供を5人以上産んでいない女性を毎月検診して回ったそうです。さらに独身税(少子税)」を導入し、子供が4人以下の家庭には課税(!)、避妊と妊娠中絶を全面的に禁止するなど、少子化対策の極右にあるような政策を次々と実行します。

その結果、確かに、子供は増えました。しかし、ルーマニアの家庭が豊かになることはなく、子どもの面倒を見られない保護者が続出。チャウシェスク政権では、「それならお子さんを国に預けてください」ということで、大勢の子どもが国の施設で暮らすことになったのです。

1989年にチャウシェスク政権が崩壊した時、残ったのは10万人もの「遺棄された子どもたち」。劣悪な環境の施設に押し込められ、画一的な管理下で育った子どもたちには、その後、さまざまな発達上の「遅れ」が見られることとなります。

f:id:kaya8823:20140930092107j:plain

(写真:ルーマニアの施設の様子を、写真で解説するフォックス教授。子どもたちは、規律に縛られ、暖かな触れ合いのない生活を強いられたという) 

施設で育った子どもに見る、発達の「遅れ」

フォックス教授が実施した「ブカレスト早期介入計画」は、この「チャウシェスクの子どもたち」について長期的に検証した、初めての無作為実験でした。研究チームは、子どもたちを1)施設に残るグループ、(2)施設に収容後、里親によって養育されたグループ、(3)始めから一般の家庭で育ったグループに分け、30ヶ月目、42ヶ月目、54ヶ月目、8年、12年目にそれぞれ追跡調査を実施したのです。

f:id:kaya8823:20140930092153j:plain

(写真:PPTを見ながら「認知力の発達」について解説)

 やはりというべきか、幼い頃に施設に収容され、その後も施設から出ることのなかった子どもたちは、里親に育てられたグループと比べて明らかに「発達の遅れ」が見られるのでした。その差は、こうも「あからさま」か、と思うほど。たとえば、施設で生活している幼児には、IQや言語能力に大きな遅れが見られるのですが、月齢24ヶ月より前に施設から出て里親に預けられると、その遅れは緩和されるそうです。また、MRIを使った脳の調査では、施設養育歴のある子どもは、そうでない子どもと比べて、脳の神経細胞が極端に少ないことも判明。ただ、これもIQや言語能力と同様、一部は里親によるケアで改善の効果が見られるそうです。

養育者への「異常を伴う愛着」は31.6%

「育ててくれる人に、きちんと愛着を持てるかどうか」にも、明白な差がありました。施設で育った子どもたちは、養育者に対して「ある程度の差別化」や「ある程度の好意」をもつケースが合計55.8%、「愛着なし」が9.5%、見境なく愛着を示すなどの「異常を伴う愛着」が31.6%います。このような子どもは、始めから地域で育ったグループにはいませんでした。“愛着を形成できない”施設の子どもたちに、里親養育などの「介入効果」があるか調べたところ、里親に預けられる時期が早ければ早いほど、その効果は大きかったそうです。

ネグレクトされた子供たちの動画 

最も目を引いたのは、ルーマニアのある孤児院を撮影した、20秒ほどの動画です。スライドに映しだされた乳幼児たちの姿は、普段、子どもと触れ合う機会があまりない自分でもすぐ分かるほど、「異常」というか……ネグレクトされた子どもたちは、うろうろと歩きまわり、子ども同士のコミュニケーションが全くありません。言葉を発する様子もない。子どもたちの動きは、体を左右に揺らすなどの「反復」が多く、目はうつろでした。

f:id:kaya8823:20140930092208j:plain

(写真:上映された動画のPPT画面日本財団HPより)

少子化対策において何より重視されるべきは、「子どもの人権」

「産めよ殖やせよ」を強引に推し進めたがゆえに、劣悪な国営施設に大量の孤児を収容することとなった、チャウシェスク政権の少子化対策政権の崩壊後は、ストリート・チルドレンが増え、今に至るまで貧困の連鎖が続いています。物質的な貧困も深刻ですが、子どもたちの「心の貧困」もまた、恵まれて育った人たちからは想像もできないほどの断絶を生じさせるものです。

もちろん、すべての施設が一概に、「子どもの発達に悪影響を及ぼす」とは言えません。紹介したルーマニアの国営施設は、特に劣悪なケースでしょう。が、養育の「質」はともかく、1人の子どもに対する養育者の「数」をみると、多くの養育施設の環境は、家庭に比べて十分とはいえない部分があります。

チャウシェスクの子どもたち」から、私たちが学ぶべきことは、少子化対策において何より重視されるべきは「子どもの人権」である、ということかもしれません(母体の保護や福祉の重要性は、その理念に漏れなく付随するものです)。うつろな目をして施設内を歩きまわる孤児たちの姿を見て、そんなことを思いました。

「すべての子どもは家庭で育つべき」VS「3歳児神話」

フォックス教授の研究によれば、施設でネグレクト状態に置かれた子どもたちも、里親の元で育てられることで、「発達の遅れ」を取り戻すことができるそうです。養育者との1対1の関係の中でこそ、子どもはきちんと発達できる。ネグレクトされた子どもたちが、里親に引き渡される時期は、早ければ早いほど、「脳」と「行動」の発達に良いとの結果が出ています。

国連子どもの権利条約」では、すべての子どもたちが、「その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべき」と書いてあります。

これは、ややもすれば、母親を家庭に閉じ込める「3歳児神話」へと誤読されかねない理念のように思います。が、「3歳までの時期には、特に保護者の絶対的な愛情が必要」という、子どもの権利条約の理念と、「3歳までは実の母親が1人で育児を担うべき」という考え方は、似て非なるものです。

「里親」という選択肢

当たり前ではありますが、絶対的に弱い存在である子どもが、自己決定のできる大人になるまでには、長い時間がかかります。幼くて無力な時期に、不安定な状況に置かれることは、子どもにとって想像を絶する恐怖をもたらすのですね。情操面だけでなく様々な部分に、負の影響が出てしまう。フォックス教授が強調していたのは、「安定」という言葉でした。子どもがきちんと発達していくためには、永続的な「安定」が保障された環境を作ることが必要なのです。たとえば「里親制度」の充実は、子どもに永続的な安定を提供するための、ひとつの手段でしょう。

日本にも多くの「遺棄された子どもたち」がいるわけですが、厚労省のデータでは、日本の社会的養護は、施設が9割で里親は1割にすぎません。施設=悪とまではいえないものの、里親とのマッチングが進む欧米諸国と比べて、施設での育児に偏っているのが現状です。ただ、新潟や福岡では、里親への委託率が3割を超えるなど、自治体ごとにかなり差があるのも事実。子どもと里親のマッチングは、自治体の積極的な介入がないと進まないのでしょう。

もちろん、里親制度がすべて完璧かといえば、そんなこともないと思いますが、できるだけ早い時期に、多くの子どもが良い保護者に巡りあうチャンスを作ることは、積極的な福祉です。予算や人員が足りないなどの“言い訳”はいくらでもできますが、保護者を失った子どもたちにとって、何が一番大切なのか、答えは明白ではないでしょうか。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

「一般論なら何を言ってもいい」と信じている人たち~「高齢出産でDNAに傷がつく」発言より~

世の中には、まだまだこういう人たちがいるから、困ったものです。

晩婚化、健康な子が産まれない」と市長が答弁…富山・滑川 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 

富山県滑川市の上田昌孝市長が、市議会で「晩婚化と(出産が)遅いほどDNAの傷から、なかなか健康な子供が産まれてこない」などと述べたとして、答弁の取り消しを求められています。上田市長は11日に行われた一般質問のなかで、晩婚化について次のように述べたと報じられています。

・「きわめて若い精子卵子はDNAに傷がついていない。そういう若い精子卵子から産まれた子供は非常に健康な子になっている」

・「晩婚化と(出産が)遅いほどDNAの傷から、なかなか健康な子供が産まれてこない」

・「こういう夫婦間、あるいは男女間の問題にも触れながら進めるべき」

トンデモ科学(ですらない)発言。こういう発言をとがめられた政治家は、だいたい開き直って、発言を「正当化」します。上田市長は読売新聞の取材に対し、

「一般論を述べただけ」と述べ、削除を拒否する考えを示した。

・「誰かを名指ししたわけではなく、若いうちに健康な子供を産んでもらいたいという思いで発言した。撤回や謝罪をするつもりはない」

としています。どこかで聞いたことがある対応だなぁと思ったら、今年6月に起きた都議会の「セクハラ野次」問題でした。みんなの党TOKYOの塩村議員が、女性の妊娠・出産についての支援体制について質問を行っていた際、「早く結婚したらいいじゃないか」などの野次が飛んだ、あの事件です。発言を認めた自民党鈴木章浩都議は、

「私自身、少子化、晩婚化の中で早く結婚していただきたいと思い、あのような発言になったが、したくても出来ない人への配慮が足りませんでした」

 と、謝罪をしていますが、この謝罪文がまた、「全然コトの本質を分かっていない!」と批判を浴びることになりました。「早く結婚していただきたい」という言葉自体がもう、余計なおせっかいなんですが、その部分はあまり反省していないのだろうな、という感じです。富山の市長も、だんだん分が悪くなってきたら、「早くに健康な子供を産んでもらいたいという思いで発言したが、出産したくてもできない人たちへの配慮が足りなかった」という一文をお尻にくっつけて、本質的には何も解決しない、形式的な謝罪をするかもしれません。

「一般論だから何を言ってもいい」という人たち

両者の発言に共通しているのは、「女性が早く結婚し、出産するのはいいことだ」という大前提にもとづく「一般論」を主張し、謝罪の時も、その「一般論」を決して覆してはいないことです。

もろもろの社会状況を鑑みずに、「えーだって、女性は子供を早く(たくさん)産んでくれたほうがいいじゃん」というホンネを、ポロッと漏らす。その際に彼らが利用するのが「一般論」です。トンデモ度合いに濃淡はあれ、「高齢出産では健康的な子供が生まれづらい」とか、「女性は早く結婚した方がいい」といった、彼らにとっての「一般論」は、彼らの "ホンネ" を補強するものでしかありません。そして、そのホンネの部分を批判されても、彼らは最後まで屈さない。だって「自分のホンネは、一般論=多くの人にとって正しい事実だもん、そこは訂正する必要ないでしょ」というわけです。

言語にはコミュニケーション機能がある、だから「言って終わり」はありえない

当たり前のことではありますが、言葉は、単なる文字の羅列ではありません。すべての発言は、メタ・メッセージが宿るコミュニケーションなのです。Aさんが、Bさんに、「今日は遅刻せずに出社できたね」と言えば、それは往々にして、「いつもは遅刻魔だけどね」という意味を含んでいる。

同様に、「出産が遅いほどDNAの傷から、なかなか健康な子供が産まれてこない」という上田市長の発言は、多くの人を不快にさせる、何らかのメタ・メッセージを含んでいるのです。それがどんな意味かを、ここに書くのはあまりに嫌悪の情が湧くのでしませんが……。

いくら市長が「一般論を言っただけ」と主張しても、発言が「不快なコミュニケーション」を帰結してしまった以上、謝罪は必要でしょう。ましてや政治の場でなら、なおさらです。こうした自覚がない人が、一定数いるのだなぁと思います。

「一般論」を盾に、女性の身体に踏み込んでいく人たち

この手の人たちは、「一般論」を笠に着て、女性の身体的な領域にズカズカと踏み込んできます。妊娠や出産は、特に女性にとって繊細で、他人からはあまり立ち入られたくない領域。

ですが、彼らは少子化対策」という「国家の大義名分」に加え、「一般論」で武装しているので、堂々としたものです。もちろん高齢出産にリスクがあるという「一般論」を否定はしませんが、どうして高齢出産が増えているのか、その社会的背景を考えないといけない。こうした議論の背景をすっ飛ばして、「女子の皆さん、早く産んでねっ!」というホンネを漏らすだけの人が、政治の領域にはまだまだ多いのだなぁと感じた次第です。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

「両立できそうな仕事はないし、大変そう」尻込みする専業主婦たち。彼女たちを労働市場に「連れ戻す」ために必要なものって何だろう。

経済成長のために「女性活用」ムードが盛り上がる昨今。結婚や出産などで“家庭に入った”女性たちに、再び働いてもらおうとの機運も高まっています。そんな女性たちへ向けたイベントが名古屋で開かれると聞き、7月19日(土)、「ママの就活応援フェスタ」(於・名古屋栄三越)に参加してきました。名古屋の子育て事情が知りたい!という好奇心もあり、どんなママたちが集まるのかもちょっと楽しみです。

共働きのエキスパートが語る、「小1の壁」の本質とは?

午前11時。イベントの1stステージは、保育ジャーナリストの普光院(ふこういん)亜紀さんによる講演。題して「再就職と子育ての両立入門」です普光院さんは、出版社で働きながら2人の子供を育てた経験から、『共働き子育て入門』(集英社新書)などの著作を多数出版、「保育園を考える親の会」の代表も務めておられる「共働きのエキスパート」です。お話の中で最も興味深かったのは、共働き夫婦が直面する「小1の壁」について。

f:id:kaya8823:20140719110712j:plain

(写真:保育ジャーナリスト、普光院亜紀さんの講演の様子)

「小1の壁」とは一般的に、「保育時間の壁」だと考えられています。保育園に預けている間は、20時や21時までの延長保育があったのに、子供が小学生になって「学童保育」を利用するようになると、預かってもらえる時間は一気に18時頃までになってしまう。よって多くのワーキングマザーは、「誰に子供を見てもらえばいいの!?」と両立の困難に直面するのです。が、この「小1の壁」、普光院さんいわく「保育時間の問題ではない」というのです。え、どういうこと?

自由に遊んでいられた幼児期とは打って変わって、小学生になると、宿題や明日の準備などの課題が増えます。子供には自分で自分を律する力が求められるようになります、その分、ストレスも増える。これが本当の「小1の壁」なのです。なるほど、「保育時間の問題ではない」というより、「保育時間の問題に加えて、子供が自立するための負担がのしかかる」のが「小1の壁」なのですね……。共働きだと、この壁をいかに乗り越えるか、かなり大変そうです。

それでも「共働きのメリット」はある

職場では、「お子さんはもう小学生だから、楽でしょう?」と言う人もいるでしょうし(実際は保育園の頃より大変なのに!)、子供が小学生になってからも「時短制度」を使える会社はまだ多くありません。子供は周囲が思うほど、すぐには自立してくれませんし、やっぱり「手をかけて」育ててあげるのがよいのではないか。小1の子供が学校から帰ってきたときに、鍵っ子はかわいそうかもしれない。サポートがない中での共働きって大変だよなぁ……と、暗い気持ちに。ただ、普光院さんいわく、それでも共働きには「ポジティブな面が沢山ある」といいます

母親が働いていれば、家事がおろそかになる、子供との時間が減るなどのデメリットもあるわけですが、こうしたデメリットは、家事を通して夫婦の相互理解を深めたり、子供から適度に目を離すことで自分は外の人間関係を広められるといった「メリットの裏返し」でもあるからです。何より、子供にベッタリにならない、過干渉にならずにいられる。さらに最大のメリットは「経済的なゆとりができること」。その上、外の世界に出ることで自己成長できるのであれば、共働きも悪くないかもしれません。そんなことをあれこれ考えているうち、イベントは2ndステージ、「再就職ママの好感度アップ外見術」へ。

スタイリストが指南する、「お仕事ママ服」の真髄とは

次は、アラフォー向けファッション誌『STORY』などで活躍するスタイリスト、若狭恵美さんによる「お仕事ママ」のファッション指南です。若狭さんは愛知県の出身。2歳の女の子を育てるワーキングマザーでもあります。個人的にはファッション術よりも、彼女がいかに両立ライフをこなしているか、というお話に心惹かれました。

「スタイリストは、常に最新の流行を知っている必要がある。育児で休んでいると、流行についていくのはかなり大変でした」(若狭さん) 

 

f:id:kaya8823:20140719133515j:plain

(写真:左がスタイリストの若狭さん。マネキンは左が「面接用」、右が「お仕事用」の着こなし。どちらも洗える素材で、産後の体型変化をうまくカバーしてくれるシルエット、かつストレッチ入りで動きやすい服装です。大ぶりのアクセサリーで華やかさを出すのもポイント)

フリーランスのスタイリストなので、断っていると仕事は減ってしまう。両立は難しいですが、今は仕事をセーブしながら、夫に助けられつつ働いています。最近、子供が2歳になって、ようやく仕事のペースが掴めてきたところです」(若狭さん)

同じフリーで働く者として、「断っていると仕事が減る」という点にはかなり共感しました。子育て中は仕事がしたくないのなら、断ればいい。でも、確実に仕事はなくなります。会社ではない場所で、ある意味「個性」(という言い方は嫌いですが、あえて使います)を発揮して働きたいと「フリー」を選んだ人間は、自由を得る代わりに、「子供を産んでも育休はおろか、仕事が続く保障もない」という現実を受け入れる必要があるのでした。先が思いやられる……。

スタイリストの若狭さんは、「食事は朝、煮込み料理をまとめて作っておく」などの工夫のほか、時にはベビーシッターをお願いすることもあるそうです。さらに、

「スタイリストという仕事柄、どうしてもアクセサリーを身につけたり、ハイヒールを履いたりすることは多くなります。保育園へお迎えに行くときは、イヤリングを外したり、ヒールからスニーカーに履き替えたりしますね。遅くなった時は特に……」(若狭さん)

カジュアルな格好の母親たちが多いお迎え時、何かと「浮かないように」気を使っておられるのでしょう。華やかな世界で働く彼女も、保育士さんや他のママの「人目」を気にしているのでした。

若狭さんは、スタイリストという仕事柄、かなりおしゃれです。当日のファッションは、モノクロのプリントTシャツに、シルエットがきれいな黒のクロップドパンツ。足元はポインテッドトゥのパンプスで、手首には太いバングル(ゴールド)。イヤリングもゴールドで統一されていて、まさに青山あたりを歩いていそうな……そんな彼女も、両立で苦労しているのだなぁ……。

終わった後、参加者の主婦の方にお話を伺ったところ、

「ファッションのお話はためになったけど、あんなおしゃれな人、名古屋にはいないよねぇ。ちょっとあの格好じゃ、名古屋は歩けないわ……」

と仰っておりました。「そもそもおしゃれにあんまり興味がなくて」というママも。え!名古屋も十分、都会でおしゃれなイメージがあるのに!と感じたのですが、そこはやや保守的な土地柄もあるのでしょうか。

ワーキングマザーのメイクは「時短」が鍵

3rdステージは、「再就職ママのお仕事メイク術」。メイクアップアーティストが「面接用」「お仕事用」のメイクを教えてくれるものです。イベントでは、実際のお母さん2名がメイクを体験。「アイラインはぼかす」「目の下にパープルのハイライトを入れると、クマをカバーして明るく見せられる」「目頭にパールの明るいアイシャドウを入れると、涙袋っぽくなって若く見える」など、ためになるテクニックが沢山ありました。

f:id:kaya8823:20140719152138j:plain

(写真:「面接で採用されるための信頼メイク」を伝授)

f:id:kaya8823:20140719151353j:plain

ただし実際のワーキングマザーは、毎朝そこまでゆっくりお化粧をしている時間はありません。というわけで、メイクアップアーティストさんに「本当に忙しくて時間がないときの、究極の時短メイクは?」と尋ねたところ、まず「BBクリーム」を頬の広い部分に塗り、あとは眉毛だけしっかり描けばOKとのことでした。忙しい毎日、お化粧はコツを押さえて時短で済ませるのがいちばんかもしれません。

名古屋のお母さんたちは、働きに出る必要がない?

今回のイベントは全体を通して有意義なものでしたが、そもそも参加者がかなり少ないのが気になりました。事前PRはかなりされたようなので、名古屋の「ママ」たちはもともと、あまり就職をしたがっていないのでしょうか。何となく、「女性の活躍推進!とか言われてもねぇ」という、やや冷めた空気も感じたのでした。

県民性で全てを語ることはできませんが、名古屋はもともと、かなり保守的な土地柄だと言われます。悪く言えば「閉鎖的」というのでしょうか、あまり県外に出たがらず、女性は地元の「お嬢様学校」を出て、お金持ちの男性と結婚して主婦になるのが幸せ……そんな価値観も根強いと聞きます。愛知県の共働き率は全国35位で、決して高くはありません。「共働きって良いよ!」と言っても、あまり通じない土地柄なのでしょうか。昨今は名古屋に多い製造業の業績も回復傾向にあるので、「夫の給料が減ったから私が働かないと」という気分も生まれにくいのかもしれません。

今回のイベントは、経済産業省が主催する「主婦インターンシップ」のPRが目的でもあります。育児や介護などで退職した女性が、中小企業で2週間~3ヶ月間のインターンシップを経験するという主旨で、参加した女性には5000~7000円の日給も支給されるというもの。昨年度は延べ3000人以上の女性が参加し、47%がインターンシップ先やその他の企業に就職したそうです。今年度は応募要件を大幅に緩和するなど、ますます力を入れている様子。とにかく経済界は、「『眠った労働力』である専業主婦たちを、いかに労働の場に引っ張りだすか」に一生懸命なのです

母親たちは本当に働きに出たがっているのか?

こうした政府の施策は重要だと思う一方で、「多くの母親はそもそも、働く意欲を持っているのか?」という点が気になります。最近の調査では、今年6月に「リビングくらしHOW研究所」が全国の主婦623名(平均年齢44歳)を対象に行ったアンケートがあります。同アンケートでは、「現在仕事をしていない」主婦を対象に、「仕事をしたいと考えていますか?」と尋ねているのですが、「すぐにでも働きたい」と「いずれは働きたい」を合わせた割合は63.3%を占め、「(働くことは)考えていない」(34%)を大きく上回りました。が、「働きたい」の内訳を詳しく見ると、「すぐにでも働きたい」が12.7%、「いずれは働きたい」が50.6%。多くの専業主婦は、「いつかは働きたいけど、今すぐではない」と考えているのです

同調査によれば、主婦たちが「再就職」にあたって求める条件は、最も多かったものから順に「家から近い」「家事・子育てに支障がない」「給料」「時間の自由」。子育てに忙しい主婦たちにとっては、賃金の高さよりも、両立のしやすさの方が重要だと考えられているのですね。もっと言えば、多くの主婦は「そもそも家庭と両立できそうな仕事がないから、職探しの意欲も失っている」可能性が高いのです。人材不足だからといって時給を上げても人が集まらないのは、主婦たちのニーズに合う仕事が少ないからです。

いったん“家庭に入った”女性たちは、就労意欲があったとしても、「家事育児との両立は大変そう」と不安を抱き、「条件の合う仕事があれば、いずれは働きたいけど、今はいいかな……」と思っている。このように「尻込み」しがちな専業主婦たちの「能力」を上手く活かそうというのなら、まずは「両立のしやすい仕組みづくり」から始めることが必要ではないでしょうか

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

就職することは「残念」なのか~イケダハヤトさんと学生の対話から~

イケダハヤトさんが、就職が決まった学生に対し「残念だ」と繰り返す対談が話題になっています。「就職、ほんとうに残念です」 会社に入るなんてマジでつまらない! イケダハヤト×小川未来【前編】 | 小川未来『就活事変』 | 現代ビジネス [講談社]

「そうかぁ。残念だなぁ・・・。はあ、残念だなぁ」。有能な学生が、リクルートという大企業の中で埋没し「面白くなくなっていくこと」をひたすら嘆くイケダハヤトさん(09年卒)。一方、迷いつつも大企業への就職を決めた学生編集者の小川未来さん(15年卒)。彼らの間には6年の差がありますが、イケダさんいわく、この6年でツイッターフェイスブックの普及など、若者のネット環境は激変したといいます。

小川:(中略)イケダさんだって会社入ってるじゃないですか。

イケダ: 当時は選択肢がなかったですからね。

小川: イケダさんとぼくって学年でいうと6個差ですよね。09年卒と15年卒で。(中略)この6年で、そこまでがらっと変わったんですか?  イケダさんが今だったら就活してない?

イケダ: ぼくだったら絶対そっちのほうが美味しいと思うから、就活してないと思いますよ。実際それが許される選択肢が広がってるわけですから。ぼくの頃はTwitterFacebookがないですから、あんまり選択肢の多様性がなかったし見えなかった。 

それなりのスキルと発信力、覚悟さえあれば「フリー」でやっていける今だからこそ、イケダさんは「せっかく面白いのに、没個性的な会社員になろうとする」学生を「残念だ」と感じるのでしょう。

会社に入ると面白くなくなる

イケダさんの主張をごく簡潔にまとめると、下記のとおりです。

学生時代に面白いことをやっていて、注目されていた人が、会社に入るのは機会損失である

サラリーマンになると、組織に埋没して面白くない人間になってしまう。学生時代は自分のやっていることを「面白がってくれる人」がたくさんいたのに、そういう「面白がり屋さん」の大部分は、サラリーマンのことを面白がらない。

会社で影響力のある仕事をしても、「自分の影響力」には紐付かない。だから会社で働くのは、有能な人にとっては「時間の無駄」。

これらはもちろん、独立してもやっていけそうな能力をもつ学生に対しての発言ですから、すべての人へ向けて言っているとは思えません。が、イケダさんのように「常に面白いことをやっていたい、それをダイレクトに評価されたい」タイプのビジネスマンにとっては、生き方の根幹ともなる考え方なのだと思います。

「社会人になっても、自分は今のまま面白いと思ってもらえるのか?」

対して、就職を決めた小川さんの意見はこんな感じです。

自分が今、面白がってもらえているのは「学生」というゲタを履かせてもらっているから。

社会に出たら一社会人として評価される。そのとき、自分が「面白い」と評価してもらえる自信はない。それなら、少なくとも3~4年は会社組織の中でいいと思っている。

・とはいえ、学生時代に面白かった人(Twitterのフォロワーが多かったり、Web経由で仕事を生み出していた人など)が、会社に入ると発信をやめてしまうのを見ると、そういうふうにはならないし、なりたくない。何らかのアクションは続けたい。

小川さんは、今やっていることは「学生だから評価されている部分がある」と、冷静に見つめています。イケダさんが「面白いのにもったいない!」とアドバイスしても、「学生じゃなくなった時の自分がどうなるか(もしかすると評価されないんじゃないか)」という不安があるのです。その気持ちは何だか分かる気がします。自分もそうだったので。

 一方で、小川さんのこの発言、

「例えば、社会人になって下積み3年とか、ソーシャルメディアポリシーとか言うじゃないですか。3年間、SNSやめるとかあり得ないですよ。ぼくの場合は。性格的にも、キャリアプラン的にも」

「就職、ほんとうに残念です」 会社に入るなんてマジでつまらない! イケダハヤト×小川未来【前編】 

には、これまで自由にやってきた学生ならではの「自信」と、「会社の中で発言(≒個性)を抑制されることへのおそれと反発」が見え隠れしています。学生というのは特権的な存在ですから、何をしても目上の人から珍しがってもらえたり、可愛がってもらえたり、賞賛されたりします。「生意気だ」という批判さえ、時には妬み半分の褒め言葉だったりする。

だから、学生という「上げ底」がなくなった時に自分がどう評価されるか試してみたいという気持ちは、ごく自然なものだと思われます。「安定した場所で挑戦したい欲求」というのでしょうか。最近の新入社員にもこうした傾向があるようですね。

新入社員の7割が終身雇用を望むも、チャレンジ志向は増えている

リクルートマネジメントソリューションズが13年入社の新入社員に対して行った調査*1によると、年功序列派」が4割、「成果主義派」が6割。2010年の調査と比べ、成果主義派が約5ポイント増加しているんですね。一方で7割の新人が「終身雇用」を望んでいる。「安定した環境のもとでチャレンジしたい」との意識が見え隠れします(詳細についてはY!ニュースに記事を提供しました)。

リクルートへの就職を選んだ小川さんにも、こういう傾向がピッタリ当てはまるぞ!と言うのではないです。でも、ある程度の失敗が許される環境下で思いっきりチャレンジしてみたい、実力を試したいというのは、学生らしい欲求として理解できますよね。

(もちろんイケダさんが、彼の就職を「残念」と嘆く気持ちもまた、彼の持論からすれば当然だと思います。が、企業のルールからはみ出してしまうほどの個性を持った人なら、就職してもすぐにフリーの道を選ぶのではないでしょうか。)

「会社員VSフリー」の二項対立でものを考える必要は、あんまりない

私も一度は会社員になりましたが、見事に適応できませんでした。退職するときは、「イケダさんの言うところの "面白がってもらえる人間" に、自分もなれそうな気がする、今やらなくては本も出せないだろう。文章力だって全然ない。これから鍛えていたら、30歳をこえてしまう。そんな自分に需要はないだろう。だから今やるしかないのだ」という焦燥感と信仰心のようなものがあった。何を信じていたのか具体的には言葉にできないのですが、とにかく会社をやめました。

「会社員としては全然ダメ」だったことが分かっただけでも、退路を断つ覚悟はできたのかなと思います。だから、イケダさんのように「自分は面白いはず」という確信がいまひとつ持てない人は、とりあえず就職して、コテンパンにやられるのもいいのではないでしょうか(もちろん、就職先がブラック企業なら話は別ですが)。

会社員をやる中で、上司から注意を受けたり、ミスに泣いたり、毎日仕事のことで頭がいっぱいになってオロオロしているうちに、「もっと発信したいのに!何か書きたいのに!仕事が、会社という組織が、それを邪魔するのだ!」という思いが鬱積し、それらを一気に発散しようと、退職する人がいてもいい*2

ノマドがOKで会社員はダメとか、まずは会社員をやってみるべき、フリーはダメといった二項対立で考えるのではなく、何をしている時にいちばん「強度」を得られるのか、という視点で進路を選んでもいいと思うのです。 そうすれば、自然とやるべきことは決まってくるのではないでしょうか。就職をめぐるイケダハヤトさんと学生の対話を読んで、そんなことを考えました。後編の公開も楽しみです。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

*1:従業員500名以上の企業に所属する大卒ホワイトカラーの新入社員400名に対し、Webアンケートで実施。

*2:一方で、作家の朝井リョウ氏のように、仕事と執筆を両立させている人の器用さと才能には感服します。

モテとは「利他の心」である?

元No.1キャバ嬢で、現在は作家やタレントとして活躍する立花胡桃(たちばな・くるみ)さんのモテテク本『不二子の掟(おきて)』を読んだら「モテとは何か」について考え込み、寝付けませんでした。

よくあるモテ本と少し違うのは、小説形式で「派遣社員の不二子が、商社で目的の男をゲットし、プロポーズされるまで」を描いているところ。だから、モテ本に苦手意識のある自分のような女が読んでも、妙にリアリティがあるのです。 

主人公の不二子は地方出身。家賃4万の木造アパートに住んで、派遣OLをしています。彼女の目的は「最高に素敵な結婚相手をゲットすること」。そのための努力は惜しみません。毎朝5時に起きて1時間半の半身浴、美顔ローラーに美容ドリンク、顔パック。地味顔を整形級に可愛くするお化粧テクニックの探求、補正下着で体型を偽装するため、胃まで締め付けられる苦痛を味わい、パンパンに脚をむくませるハイヒールの不快さと痛みも我慢。ビジネスマン向け雑誌を読むなど「ターゲットの研究」も怠りません。彼女のエネルギーは全て、モテるために注がれています。 

FRISK1粒で相手との距離を縮める

不二子が男性を惹きつけるテクニックは、思わず「うわぁ」となるものばかりでした。たとえば「意中の相手との距離を縮めるためには、アメやガムではなく、FRISKが使える!」など。飲み会の後など、FRISKを渡すと必然的に手を添えてボディタッチになります。計算して相手の手のひらに3粒出し、「出し過ぎちゃった♪」と、1粒は自分が食べる。他にもまあ、男性心理を研究し尽くしたモテテクが満載なわけですが、「これだから計算高い女は…」という感情が不思議と湧いてこないのは、不二子が「利己的なように見えて、実は利他的」だからです

利己的なのに、結局「人を喜ばせる」不二子

不二子の目的は、商社マンの彼と結婚すること。おそらくは学歴も、立派な職歴もない不二子にとって、結婚は「将来の生活保障」です。そのために男性を「落とす」わけですから、一見かなり利己的な感じがします。が、彼女がやっていることは(基本的に)相手の気持ちを読み、喜ばせることばかり

飲み会後の彼のためにウコンドリンクを用意したり、しかるべきタイミングで彼が喜ぶメールを送ったり(もちろん、ウザいメールは送りません)、デート中は彼を楽しませるため、最大限の配慮をします。薄給なのにお金を惜しむことなく、今まで彼が経験したことのないようなサプライズデートを計画し、喜ばれるプレゼントを贈る。彼のみならず、世の男性が不快にならないファッションやメイク、振る舞いを心がけているのです。

家賃4万のボロアパートを出た瞬間から、不二子にとって世界はランウェイ。彼女は「他人の目」を過剰なまでに意識し、内面化しているのでした。常に相手を観察し、その蓄積から「こういう時、この男(女)はこう思っているだろう。こうすれば喜ぶだろうから、こうしよう」と、相手の気持ちを想像し、行動に移すのです。

森岡正博氏の『草食系男子の恋愛学』では、「相手の身になって考えること」の重要性が説かれています*1。こちらの理想像だけを押し付けていては、恋愛は成立しないのでしょう。「ハイスペックな彼との結婚」という、一見「利己的」な目的のために「相手の身になって行動する」不二子。その振る舞いは、実のところ「利他的」です。だからこそ、恋は成就したのです。

モテ本には「他者」がいない

とかく、モテ本というのは「相手の姿が見えない」ものです。二村ヒトシ氏の『すべてはモテるためである』には、表面的なマニュアルを批判する「女性の声」が登場します。

「だいたいさ、そういうマニュアルって(中略)せいぜいB型はこう攻めろとか、お嬢様タイプはこうでギャルはこうとか、そういう分類でしょ。【あたし】はどこにいるのよ? あたしを口説きたいんでしょ? (中略)恋愛とかセックスとかって、一人ひとり やりかたが微妙にちがって、それが楽しいのに」(二村ヒトシ前掲書、p.28)

モテ本にはだいたい【あたし】=具体的な「他者」がいません。「どこにでもいそうだけど、いない男」や「女」をモデルにして、それを「落とすテク」やら「男とは、女とは~~」などの御託を並べているだけなので、どこか空疎なのですね。

女性ファッション誌の「着回し特集」では、よく「付き合って3年目になる、彼氏のタクヤ」みたいなキャラクターが登場します。が、そんな記号を前に「愛され服はこうですよ」と言われても、リアリティに欠ける。これも「彼氏のタクヤ」というキャラ=記号に「他者性」がないからでしょう(『不二子の掟』は小説仕立てになっており、落としたい相手が登場人物として具体的に描かれるので、この「他者がいない問題」を多少はクリアできているのだと思われます)。

モテたいなら利他的であれ

具体的な「他者」を前にした「モテたい欲求」は、おそらく、マニュアルでは回収しきれないリアルなものなんだと思います。そこでは常に「相手の身になって」利他的に行動することが求められる。草食系男子の恋愛学』でも『すべてはモテるためである』でも、『不二子の掟』でも、共通しているのは「相手が嫌がることはするな、相手が喜ぶことをしろ、そうすればモテる(恋愛が上手く行きやすい)」というシンプルな法則です。好きな人の気持ちを想像し、理解して行動しろということですね。こちらの知識をひけらかしたり、欲求を押し付けたりしている人間が「モテたい、愛されたい」なんて言っても、そりゃあ無理でしょうよ……という(当たり前といえば当たり前ですが、これができないから皆、苦しむのかもしれません)。

「相手の身になって行動しろ」というのは、「徹底的に利他的であれ」とも解釈できます。利他的であるためには、他人の利益になることをしなければなりませんから、けっこう大変です。相手が何をして欲しいか、分かろうとする必要がありますし、それなりの努力や出費も必要になる。そういう振る舞いが自然にできる人もいるのでしょうが、不二子のように、経験とトレーニングで身につける人もいます。

他人を喜ばせる「利他性」を努力で身につけるなんて、面倒でしょうか。でも、それをしないまま恋愛感情を押し付けると、二村ヒトシ氏が言うところの、モテない人=「キモチワルイ人」になってしまうのかもしれません。「モテとは利他の心なり」と理解した次第です。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

*1:同じことは二村ヒトシ氏の『すべてはモテるためである』でも書かれています。

クックパッドが仕掛ける「ダイエットビジネス」は成功するか

若い女性の8割が使うという巨大なレシピサイト「クックパッド」が、5月20日、ついに(?)ダイエットビジネスを始めました。管理栄養士の個別指導でダイエットできるとうたう「クックパッド ダイエット」。カロリーの高そうなスイーツレシピもたくさん載せているクックパッドが、今度はダイエットかぁ……と感慨深いものがあります。もちろん同サイトは、よく「体に良い食事」をテーマにした特集を組んでいますし、農家からの「やさい便」など宅配ビジネスも展開しているので、ヘルシーなイメージを強化するにはもってこいかもしれません。

f:id:kaya8823:20140520215056p:plain

「クックパッドダイエット」では、オンラインで「痩せない弱点がわかるダイエット診断」が利用できます(これは無料。55問も質問がある割に、普段から健康的な食生活を心がけている自分のような者にとっては「うん、知ってる」みたいな結果でしたが……)。

銀座のサロンで1ヶ月1万2000円のマンツーマン指導

料金が発生するのは、銀座のサロンで個別カウンセリングを申し込んだ場合。今なら「お試し」で、特別価格1,500円らしいです。なんだか、大手エステチェーンの初回チケットと似ていますね。安いチケットで集客して、一定割合を本契約に持ち込むという。管理栄養士によるマンツーマンでのサポートコースは、1ヶ月12,000円です*1この価格設定は、これまたエステサロンとかなり近いものがあります。今後は「TB◯エステのダイエットコースをやめて、こっちにしてみようかな」という女子も出てくるかもしれません(食事療法中心のクックパッドダイエットは、マッサージなどが中心のエステサロンとはまた別の需要を掘り起こそうとしている感じもしますが)。1ヶ月12,000円というと個人的には「高いな」と感じますが、芸能人が通うような高級ダイエットサロンに比べれば、かなりお得感があります。美容に関心のある若い女性にとっては、決して惜しくない金額でしょう。

リアルの分野に攻め入るクックパッド

クックパッドの収益源は、多い順に(1)月額280円(税抜)の有料会員事業、(2)広告事業ですが、最近はリアルでの事業展開が目立ちます。12年10月にスタートさせた、全国の料理教室を検索&予約できる「クックステップ」(今年5月から「クックパッド料理教室 - クックパッド認定の先生から料理を学ぼうにリニューアル)。農家から定期的に野菜が届く「やさい便」、ユーザーの住所と近くの提携スーパーを紐づけ「特売情報」を配信するサービスなど。

「クックパッド料理教室」は、料理好きな主婦が手軽に教室を始めるのを応援する色合いも強いようです。サイトには「クックパッド料理教室の先生になりませんか?」とのバナーがあり、

料理教室を仕事にしていきたい、やる気のある方を対象にします。

クックパッド社が生徒さんの集客などの運営支援を行います。 先生はクックパッド料理教室に加盟することで、個人運営では得られない集客とノウハウを受けることができます。

などの文言が。クックパッドブランドで集客し、「料理を仕事に」という女性*2をサポートしますよ、もちろんマージンは取ります、というモデルですね。教室の主催者の手元にはいくら残るんだろう……まあ、もともと「料理ビジネスでガッツリ儲けたい」という人は狙っていないので、そこは大丈夫なのかもしれません。

クックパッドの「有料会員」「広告事業」の利益率はすさまじく、高い収益性につながっています(同社が有料会員を増やす方法は見事で、「クックパッドの無料会員に機能制限!課金ビジネスへの移行とユーザーの反応 」でも触れました)。足元の決算は好調、14年4月期も最高益となったようですね。(クックパッド、営業最高益 :日本経済新聞

ダイエットビジネスは売上に貢献するのか?

収益性の高いオンラインでの会員ビジネスに比べ、人件費のかかるダイエットサロンや、単価の安い個人の料理教室の運営をサポートしてマージンをとる、といった事業が「売上の第3の柱」になるか?というと、かなり微妙だと思われます。ただ、クックパッドは「料理」という日常に根ざした分野で勝負しているので、リアルとの連動がしやすい。利益面でも、もしかすると、もしかするかもしれないですね。リアルでの展開はブランド力の向上にも繋がります。媒体価値が上がれば、有料会員の増加にもつながるし、広告単価もアップするでしょう。クックパッドおそるべし。

【北条かやプロフィール】

86年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。同志社大学社会学部を出たのち、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』刊行。

Twitter  @kaya8823

Facebookページ

Facebookアカウント持っていなくても見ることができます。

 

【楽天ブックスでも送料無料】キャバ嬢の社会学 [ 北条かや ]

*1:キャンペーンの間は税込み9800円

*2:男性もいるかもしれませんが、ほぼ女性がターゲットと思われます。